曖昧なマージナル〜Preah Vihear
 
曖昧なマージナル
〜 Preah Vihear
 

   カンボジア領なのにカンボジアからは行けない遺跡があると聞いた。ポル・ポト派の支配地域であったため、長年にわたり旅行者の立ち入りが許されず「幻の遺跡」とも呼ばれてきたと。なぜ行けないのか。なぜ幻なのか。自分の目で確かめてみるしかないと思い、ラオスへの旅のついでに立ち寄ってみることにした。
 タイ東部の拠点都市ウボンラチャタニから南下すること一時間、何の変哲もない田園の只中で車が停まった。里山と言うにはいささか鬱蒼とした森があり、入口に壊れかけた木製の小さな門がある。その上には鉄条網が張られているが、乗り越えるのはさほど難しくなさそうだ。
「国境です。タイとカンボジアの」
 しかし、そこにあるのは本当に門だけ。壁もなければ柵もない。当然、人影などあろうはずがない。向こう側へは隣の家の敷地に入るより簡単に行ける。ためらいがちに門をくぐり、階段を降りて行く。やがて視界が開け村が現れた。赤茶けた大地にトタン屋根の平屋が何軒か。土埃を撒き上げながら子供たちが走り回っている。
 村があったことに驚くと同時に素朴な疑問が浮かんだ。彼らの国籍はどちらなのだろう。ここから先に集落はない。学校や就業など、生活のすべてはタイに依存しているはずだ。しかし既に国境は越えてしまっている。
 冷静に考えてみれば、タイ人のガイドが何の支障もなくここまでやって来れるのも不思議だ。いや、それを言うなら、ビザもパスポートコントロールもなしに僕たち外国人が訪問できていること自体、そもそもおかしい。
 これまでの経験から、国境とはナーバスかつセンシティヴなものというのが僕の理解だ。政治的、軍事的に懸案を抱えた国同士ではなおさらだ。
 第二次世界大戦後だけでも、政変や戦争などでカンボジアの状況はめまぐるしく変化してきた。陸続きの隣国であるタイも安穏としていられたわけがない。いくらクメール王国の時代に同じ国だったとはいえ、現在は共に独立した主権国家だ。こんな曖昧なことで大丈夫なのだろうか。
 カンボジアの人々、たとえばプノンペン市民はどうやってこのエリアに入るのだろう。あるいは入れないのか。それとも、一度出国し改めて入国するとでもいうのだろうか。飛び地でもないのに、自国内を移動するために外国を経由しなければならないとしたら釈然としない。しかし、目の前の現実を見る限り、ここはまるでタイ国内と等しい扱いを受けている。
 村の外れにチケットオフィスがあった。説明の看板がいくつか立てられているが、クメール語なのかタイ語なのか、現地の言葉で書かれてあるので内容はわからない。東南アジアに独特の、絵文字のように丸いあの書体だ。
 プリア・ヴィヒアというのが遺跡の正式な名称だが、タイではカオ・プラ・ヴィハーンと呼ぶ。日本の旅行会社のパンフレットではこちらの方がポピュラーかもしれない。カンボジア政府からクレームがつかないのだろうか。僕自身、国境を挟んでふたつの異なる遺跡があるのかと思っていたくらいだから、混乱する人もいるのではないか。
「それじゃ、行きましょう。朝ご飯は食べてきましたね」
 金毘羅山の参道を思わせる石段が目の前に伸びていた。長い年月の間に数え切れないほど多くの人々によって踏みしめられたのだろう。角はすっかり取れて丸くなり、餅のようになめらかな起伏がついている。
 見上げた先には遠くカンボジア国旗がはためいていた。青い空に吸い込まれるように、力強く雄々しく風にたなびいている。やはり、ここは紛れもなくカンボジアなのだ。入場券の支払いがリエルとバーツどちらだったのか、後でガイドに訊いてみようと思った。
 

   
Back ←
→ Next
 


 
静寂のカンボジア
 

  (C)2002 K.Chiba & N.Yanata All Rights Reserved