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やっぱりジョン・レノンかな

KAORU


 レノンの存在を知ったのは、彼が撃たれたという悲報を流すTVのお昼のワイドショー...だからエラソーなことは語れませんが...
1980年の12月8日は、中学1年の期末テストの時期で、午前中2〜3科目テストを受けるだけで帰れたんですよね。で、たまたまお昼頃家に帰って、ついていたTVを見たらいわゆるワイドショーでね。(←母が何となく見ていた)民放のワイドショーで、得体の知れないガイジンの訃報を、何でこんなにとりあげるんだろう...全く何も知らなかったのでそう思ってました。
 得体の知れない、、、っていうのは語弊があるんで説明すると、TVなどで取り上げられるレノンの写真というのは1968〜70年の、髪のばしてヒゲのびて〜、っていう時のものがほとんどなので、そういうふうにしか見えなかったのですぅ。
 で、「なんでこんなに特別扱いなの?」というところから、Beatlesがどんなグループだったのか、さかのぼって自分なりに調べて音楽もひととおり聴いてみよう...そこからスタートしました。あの頃、これに関してだけは向学心(?)があったなー。
 当時、いわゆる小・中学校の音楽の教科書にはイエスタデイ「レットイットビー」が巻末の所にお約束のように載っていて、それまでBGMとしては何かしら聴いてましたがそんなにいい曲か?っていうのもあって。
(また語弊がありそうですね。何しろ、まったく知らなかった、これにつきるのでお許しを)
 で、なにやら‘夏休みの自由研究’風な取り組み(?)の結果、見頃にハマったというわけです。この『けんま』でも過去にビートルズネタで書いていますけど、中学〜高校1年・15〜16歳ぐらいの、多感な時期っていうんでしょーか。そういう感受性の強い(?)時期に一連の作品を聴くことが出来て良かったなぁーと思います。
 そこから、当時ヒットしている洋楽や、モータウンやソウルに行ったしあちこち行きましたね。60年代がどんな時代だったか、当時のはやりや風俗とか、図書館に行って調べたりもして。こういうのは、社会科の授業ではやらないですからねー。

 レノンの訃報をとりあげるTV局、音楽をかけまくるFM局社会的な背景なども漠然とながらわかってきたように思います。
 しかし、ジョン・レノンという人にどっぷりハマってはいても、もう本人はこの世の人ではなかったので、音楽を聴くことと、暴露本(?)やらアルバムの歌詞カードやらでの知識しかなく、追体験でしかありえない。「あんたに何がわかるんじゃい!」って言われそうですけど。
 ただひたすら、彼のボーカルを聴き、インタビュー記事を読み、もろもろひっくるめて、自分なりに解釈した上でのヒーロー...になってしまいますね。
(誕生日も私と3日違いで近いし...って、あまり関係ないか)
 ジョンは、いいたいことストレートに言ってるなあー、という印象が強いです。実は全然模範生なんかじゃなくて、むしろリバプールの悪ガキからスタートしたし...そういうところがかっこいい。
 有名になるにつれて、何か発言しただけで問題発言になり、世間から非難GoGo!というのはスーパースターの悲しさですね。

 ジョンの曲は理屈抜きで好きです!特に彼のVoice。
エルトン・ジョンとの共作「真夜中を突っ走れ」、アルバム『ロックンロールでの「スタンド・バイ・ミー」など疾走感っていうのか、ちょっと形容しがたいんですが、ひとえに渋い、カッコいい。
とばしてるだけじゃなく、遺作となった『ダブル・ファンタジー』での「スターティング・オーバー」「ウーマン」とか、声が優しいんです。
 激しさとか弱さとかたぶんひととおり受け止めた上でこういう曲が作れ、こういうボーカルになるんでしょう。渋いというより枯れた感じ。でも決して弱々しくない、、、うーん。伝わるかなぁ。
 ジョンの人生が1980年で終わってしまったのは本当に残念だし、もったいないし、悲しい。

 超個人的な話ですが、私の仕事は経理業で、11月末で年度末で、12月から新しい年度にに入ります。(だいたい3月末決算のところが多いですよね)もう入社してン年、毎年12月3〜4日までは、11月末の日付の事務処理で1年で一番忙しく、8〜10日頃やっとひと山越えるんですね。
 で、また10日過ぎから決算計上、年末の怒濤の時期を迎えるんですが、ちょうど命日である12/8が、少し仕事も一段落するころで、ぼんやりとジョンの曲を聴くというのが恒例となっています。決算明けで頭がぼよよ〜ん、となっていて、おセンチモードになる気力もなくただぼーっと。うーん。ただただ沁みるのだ。


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