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最近、前号の『けんま』の感想を聞く機会があった。その中で‘何だか辻仁成さんの特集号みたい’というコメントを聞いた。
まあ、パンド活動を辞めて、書き上げた作品が次々に受賞となり、芥川賞までとって、それだけでも「にくいよこのっ!」という、‘今が旬’のヒトである。さらにこの6月に、創作活動に専念するためアメリカヘ単身で渡るという。今トキのネタには事欠かないこともあるし、『けんま』に書いていたみなさんは作品や歌に対して共鳴されていて、思い入れもじゅうぷんあるんだなあーと思いながら読んだ。
かくいう私も、前号では、ほんのちょこっとエッセイについて触れた。実は、辻さんのエコーズ時代の曲はほとんど知らない。(もちろんエコーズというパンドのボーカルで、バンダナをして歌う姿は知っていましたが)話題となっている彼の著作も、読もうと思いながら忙しさにかまけてほとんど読んでいない。唯一読んだことのある彼のエッセイに感銘を受け、その著作の名前をちらっと出したに過ぎない。
ほかに持っているものといえぱソロになってからのアルバム2枚だけ。あとは新聞・雑誌で、受賞に対する戸惑い、文学を守りたいという発言に関して、女優・南果歩さんとの暮らしぷりのインタビューを読んだくらい。
個人的に、日本文学を専攻して文壇の流れをかじったこと(もうほとんど忘れているけど)、転校生だったこと、辻さんがものを書き始めた頃、自分もこのけんまをはじめとして他のシーンでもぼちぼち書き始めたこと(こらこら、比較に及ばないんだからいくらなんでもそー言っちゃうのはずーずーしいぞお!)...などなど、曲も著作も知らないくせに、いくつかのささやかだが共感できる部分があった。
特に転校生としての視点でえがかれた前出のエッセイでの感覚は実によくわかった。辻さんは東京→九州→北海道という転校経験があり、私も東京を振り出しに関東→東北→中部→関東というルートで転校経験があるので、ちょっとさめた目でまわりを見渡し、もともといるコと打ち解けたり、いじめを目撃したり、自分がいじめられたり...。エッセイでの辻さんの思春期の頃の視点は、ひざをたたいて「そう!そーなんだよおー!」と叫ばずにはいられないモノ、なのだった。
著作は、本屋さんに買いに行けば手に入る。この人のナマの声をききに行きたい。ニューヨークに一年間行ってしまうその前に。またまた個人的に超ヒンシュク発言をすると、自分を表現するのに要領を得なくて、中途半端なまま書くことを始めたのが25〜6歳のころ。この人もその年の頃バンドと並行して書き始めた、ということをインタビューで読んだ。
ぽつぽつ書くようになった、とは言っても、声高に言えるようなものではなく、通勤電車の中で、夜帰宅して一息ついた後、オフの日に買い物に出たとき寄ったコーヒーショップで、プロットを考え、ネタ帳というには大げさだが手帳に走り書きして書き留めているのだが、中途半端なものがたまるぱかりである。
ライブが終わって打ち上げで飲んだ後、ホテルの部屋でとにかくひたすら書いていたという辻さんのエピソードを聞いて感動してしまった。やっぱりプロになる人は違う。
今年、アメリカ長期滞在で転機を迎えるこの人を見送りに行こう。行ったら元気がでそうだなと思って、梅雨入りとなった翌日の6月10目、仕事をほっぼって渋谷公会堂に行っ
た。
今回は単なる感想、です。辻さんがライブの時こんなこと言ってたよ、とか、コンサートバンフにこんなことが書いてあった、とか。論じるほど詳しいわけでもないし、辻さんの通の人には「勝手なこと言いやがって」なんて言われるのを覚悟で書いています。素敵だな、と思ったからそのまま書いてしまうという、ちょっと無責任モードが入っていますが...
今さらエコーズの曲を歌うのは詐欺なのでは、というコメントがあった。活動当初から知っている方にとっては「今さらねえー」ということになるのだろう。エコーズ時代のCDをひととおり予習したわけでもなく、かなりまっさらな(?)状態で聴いたことになる。まっさらだったせいか、先入観もなく、かえってじっくり味わえたような気がする。
「今日はツジヒトナリではなく、ツジジンセイとして来ました」
前半はエコーズ時代の曲、後半はソロをやります、とのことだった。
曲とタイトルがわからなくても、歌詞がわかりやすかった。
ロッカーとしてシャウトするとライブの時に結構聞きづらいアーティストも多いのだが、歌がうまいなーと思った。最近石嶺聡子や辛島美登里など、日本語ボーカルきれい系(?)をよく聴いていたので、なおさらそう感じた。例の「日本語を守りたい」発言もうなづける。
前半はアコースティックで弾き語り、後半になるにつれてピアノ、パーカッション、サイドギター、バンジョーが入って、という編成だったので重苦しくなく、聴きやすかった。
「ライブが決まった当初は、ソロで通す・最近は値段の高いライブが多いから安くする、とわがまま言っていた割に(確かに、3150円で激安でした)、あれもこれもやりたい・この音が欲しいって、結局バンドになってしまった」スローな曲のあと、「別に..・武道館でも良かったんだけど(爆笑)」
執筆活動に入っているので無精ヒゲ状態のこと、子どもがTVに映ったジョニー・ディップを指さしておとうさんと言ったこと..・曲と曲の合間に、ぼそぼそと、でも笑えることはかり話していた。これから旅立っということで、やるぞーみたいな気負いはもちろんあるんだろうけど、全編さらっとした印象だった。
「みんなの手拍子に追いつこうと、よけいにギターが速くなってしまった。俺、負けず嫌いだから」
パンフレットにもあったが、先輩作家から「一生アレ(芥川賞のこと)がついてまわるんだよ」「しばらくこの状況に浮かれて楽しみなさいよ」といったたぐいのご丁寧な忠告も受けているらしく、文壇の封建的な状況がうかがえる。ああ、そういうことに対してもガンバっているんだよな、というのがわかる。ここらへんがすごくカッコいい、のである。
「明日、間違っても成田に見送りに来るなよ!(笑)「物陰から、長い髪をかき上げてジトーツと見送らないように!」(爆笑)
中盤から客席はみなスタンディンク状態になった。辻さんがギターを抱えて、バンダナをし始めたらみんなどよめいた。辻ビギナーの私は、そんな状況に「うわあーそーなんだあー」とまわりをウォッチングしていた。
「そろそろ飛行機の時間だ」(笑)
「一年に一度ぐらいは、リハビリも兼ねてツジジンセイ、として歌いたい。(拍手)でもこの前、読売新聞のインタビューで、作家に専念するなんて言ってしまったんだけど(笑)」
ここで客席から「俺は朝日新聞だあ−−−!」のおたけぴ。(笑&拍手)
「来年、3月〜4月頃、一時帰国してライブをやるっもりなので(絶叫と大きな拍手)渋谷公会堂か、武道館か、どこになるかわからないけどまたきて欲しい」
大盛り上がりの中、アンコールは2曲のみで、実にさらっと終わった。曲が終わったと同時に客電がついた。みんな拍手して叫んでる中、もったいつけてもう一曲、ということもなく終わった。明るくなったと同時に混んでしまわないうちに通路に出ようとしたのだが、斜め前に加藤登紀子さんがいて、彼女の前後にマネージャーさんらしき人が2人づついて、彼女たちが先に出るのを少し待った。会釈されて、少しドキドキした。(サインとか握手とかをお願いする状況ではなかった...残念!)
‘おトキさん’の存在はライブの後半で気がついた。彼女のまわりは座っていて、おトキさんだけが立ってリズムをとっていたから。他にも、瀬戸内寂聴さんが来ている、と話していたコたちがいたが、ちょっとこれは確かめられなかった。
私事になるが、最近引っ越しをした。執筆活動に専念するため、なあーんでいうのはジョーダンで、30代突入を前に、より充実した環境にしようと一念発起したのだ。
今の自分に不要なものはひととおり捨てた。(ヘンな話ですが東京都の半透明ゴミ袋で自分の年の数ぐらい捨てました)モノも気持ちも、あーすっきり。ささやかであるがここにきて転機をむかえた気がする。
まだなにもかもが新しく、慣れない所でドキドキしている。遅まきながら「書くこと」をじわじわと、自分のぺースで始めていこう。(うわー、また言ってのけちゃった。絶対だなあー!ってツッコまれそう)
「とにかくぼくは、まだ気づかない多くのことによって少し純粋でいられるようです。馬鹿なことは大切で、無謀なことは重要で、そういうものに助けられて創作の場を広げることができたようです。気がつかないことが多いせいで向かっていけます。悟りを拓いちゃうのは死の間際でいい。悟るのは、型に自分をはめてしまうことです。悟ったと思った瞬間、その蟹気楼を壊せることができる人間でいたいと思います」(パンフレット「渡米前夜」より)
これを読んで、霧が晴れた気がして正直言って救われた。今まで、無理にこうあるぺきとかまっとうにとか、何とかいい方向に向かうように型にはめようとしていたから。無理に悟らなくていいんだ。
ライブでは、エコーズを後から聴いたんだろうなというような若いコたちが大多数。文学賞を受賞したことで『先生』なんて呼ぱれているけど、みんなのほんの少し先を進んでる、相変わらずカッコいい『先輩』に会って、なんだか晴れ晴れとして、身軽になれた気がしている。