16号 ちょっと言わせて

「養う/養われる」じゃない関係

OZ.


 14号の赤わいんさんの「ワインファクトリーへようこそ」の中で、「奥さんや子どもを養っていくには(自からの給料では)大変だから、奥さんには働いてほしい」という発言をした男性がいた、とあった。
 その「男性」とは、もしかしたら私のことかもしれない。だとすれば、言葉が不足していたかな、と反省している。
 私が言いたかったのは、次のようなことだ。

 家族を「養う」すなわち、生活費を稼ぐことが、暗黙のうちに男性の「役割」になってしまうこと、そして、その役割−一家の大黒柱−を果たすために、模範的社会人?としてがんばらなくちゃならないこと、…そんなことが、けっこうシンドイなあ、と最近思っている。

 ま、「養う」ほうがラクだと思う男性のほうが多いだろう。子育て、食事の準備や片付け、掃除、洗濯、病気の家族の介護、お役所の手続き、その他「家」のもろもろのことは全て妻がやってくれる(というより、やらせている)。自分は会社で仕事さえしていればいいからだ。
 それに、現実にはまだまだ「性別役割分業」の風潮は強い。「超氷河期」とまでいわれる昨今の女子学生の就職難はその代表的現象だ。
 また、ある大銀行に勤めている人に聞いた話では、その銀行では「女性は結婚したら退職」がいまだに不文律だそうだし、育児休業法施行以来今日に至るまで、私のまわりでは(あくまで私のまわりでは、だが)育児休暇をとった男性など見たことがない。

 お互いの意向を尊重した結果、「男は仕事、女は家庭」スタイルを選択することを、私は否定しない。シングルも含めて多様な家族形態を認め合える社会が望ましい。
 ただ、男性も女性も、生活費を稼ぐ・家事をこなす・子どもや病人の世話をする、といった家庭の責任をシェアしたほうが、どちらにとってもラクではないか、と私は考えるのだ。
 男性にしてみれば、家族全員の生活費をひとりで稼がなくていいから、「高収入」に縛られずに自分の納得のいく仕事をしたり、会社は「メシのタネ」と割り切って「一般職」的に働いたりすることも可能になると思う。
 そういう男性が多くなれば、妻の収入が夫のそれより多いことを気にするなんて、バカバカしいこととなるにちがいない。

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