「広島ケナフの会」木崎代表のコメント

 「広島ケナフの会」木崎秀樹代表から、ケナフ栽培の現状認識について、コメントを寄せていただきました。
 以下、投稿の全文を、原文のまま掲載します。<は> (2001/09/30)


私たちにとってのケナフの原点〜ケナフの現状と課題について

 私たちはこれまでアオイ科一年草のケナフという植物の持っている将来的な可能性に特化する事で、その魅力を独自の切り口で前向きに探ってきました。その過程で「ケナフが地球にやさしい」といった情報が先行し、ただケナフを多く植える事がそのまま地球環境に貢献するといったイメージが形成されてきたのかもしれません。それは私たちがある時偶然にも出会ったケナフという植物を、実際に自分の手で栽培し、その秘めたる特性を知るにつれて、私たちが託した夢やロマンがそのままケナフの姿として一人歩きしていったと言えるのかもしれません。

 現在の「ケナフ論争」は、地球環境の救世主的な存在として膨らんでいったケナフに対する過度の期待いわば「ケナフの扱われ方」へ対する疑問が背景にあり、それが一番のポイントになっているように思います。また、それがこの問題を考える上での、唯一の糸口であるように思います。いま一度、私たちにとってのケナフの原点を、あらためて考えてみる事も必要でしょう。そして、これからは、現状と課題についての正しい情報をあわせて発信していく事が、重要であると考えます。


 ケナフは「未来資源」として注目はされているものの、今国内でひとつの産業として大規模に栽培したとしても、その具体的な活用システムは確立されていません。ケナフを植えただけで、大局的に地球温暖化を防ぐ事にはつながりませんし、全てが解決する事もありません。環境にやさしいからといった特別扱いをする事で、逆にケナフの存在や未知の可能性そのものがが否定される事になっては、本末転倒となってしまいます。

 今 日本におけるケナフは、「産業として」「研究として」「趣味として」この3つをはっきりと分けて捉える必要があるように思います。

 私達は、その可能性の模索という過程の中で、国内における栽培に関して様々な課題にも直面してきました。その実体験を通した積み重ねの中で、ケナフの現状を知ると同時に、そこから様々な事も学んできました。ケナフ市民運動は、ケナフが私達の生活の中で実際にどういった形で根付いていけるのかといった、より現実的な視点で、ケナフで何をやりたいのか〜そのビジョンを明確にした「自己完結」の栽培が行われるべきでしょう。

 そして、その栽培は、研究と地域コミュニテイの道具、学校などでの教材として特化していく道がベストであるように思います。また、これまで同様に、環境問題を考えるひとつのきっかけと位置付け、「ケナフに遊び学ぶ」体験を通して、ともに地球の未来に関心を持ち、私達の生活を見直すヒントへとつながっていければ大変意義のあることだと考えます。

 以下、最近議論の対象となっている産業化にむけての紙資源としてのケナフそして生態系への影響について言葉足らずではありますが、私なりに現状を整理してみたいと思います。

産業としてのケナフ

 紙資源としては、現在、国内でケナフを栽培したとしてもそれを引き取ってくれるメーカーはありません。委託加工という形で育てたケナフを持ち込んで紙化してくださる業者はありますが、まだ国内での流通加工の流れは確立されていません。ひとつの産業として考えた場合、世の中の価値観が大きく変化しない限り、ここ数年の内に、画期的なシステムが確立され国産ケナフが一般市場でケナフ紙として実用化される可能性は、かなり厳しい現実です。そこには市場の原理の壁が、大きく立ちふさがります。現段階では将来的に木材を補完する紙資源となる可能性は秘めていますが、その優れた光合成能の有効活用も含めて、「地球にやさしい」素材としては、未だ研究段階〜可能性の範囲にあると言えます。


 世界的な紙需要の増加が予想されていますが、仮に全世界の人々が、日本人と同程度の紙を消費したとするならば、現在の6倍の原料が必要になるそうです。これから木材を育て守っていく流れの中で、再生紙と併せてケナフやバガスなどの非木材紙の活用も有効な手段となるはずです。そんな状況の中で、ケナフ産業は、中国や東南アジアとの国際的な交流を通じてあくまで「栽培作物」として、その可能性を見出していく事が有効なのではないかと考えます。なぜなら、そこには、すでに、繊維原料として長年に渡って、その地域に根付き、大規模に栽培されてきた歴史と実績があります。それをグローバルな視点から、研究開発を支援し有効活用していければ〜それこそが日本におけるケナフ研究の原点でもあると伺っています。一方で、国産ケナフの製品化については、付加価値を付けた形での家内工業としての小規模な生産と活用が現実的と思います。また、紙以外にも特性をいかし、休耕田対策などと絡めて日本独自の有効な活用方法が今後も引き続き検討されていくでしょう。

生態系の問題

 環境省などでは、「地球環境問題」を9つの現象に分類しています。生物多様性の減少もその中に含まれています。すでに、国内で帰化した生物は、1000種類を超えるとも言われています。そのような中で、この問題を突き詰めて考えていくと、結局は「人間活動と自然環境のバランスをどう維持していくか」といった問題になります。生態系の破壊そのものが、人間の経済活動に起因しているところが大きく、「人間活動」のせいで他の生物種が減っている事自体が大きな問題だと思います。しかし、これはどちらかというと道徳的、倫理的問題だろうと思います。今後は、、それを両立させていくための社会のシステムがあらためて検討されていかなければならないでしょう。現時点では、そのための明確なガイドラインはできておりませんし、人それぞれの価値観や倫理観も様々です。そのために、帰化問題に対しての評価もぼんやりとして明確にみえていないのが現状でしょう。

 全ての生物は子孫を残そうとする本能を持っています。今では、人間にとってよりよい種を開発すべく遺伝子組替技術などの人為的な研究開発が進められています。ですから、全ての植物はひとつの生命体として存在する以上、今後の長い歴史の中では、将来その場所で自生し定着していく可能性があると言えます。ですから、そういった長いスパンで考えれば、ケナフについても将来日本で自生して帰化する可能性は否定できないという事になるでしょう。

 私は現時点では、この問題は、何を基準にするかの比較対象論でしか、判断できないのではないかと思います。「他の植物と比較して」ならばケナフが特別に野生化して危険だと言う事はありません。国内で既に多種大量に流通されている野菜などの食料や園芸植物と同様に栽培作物として位置付けて、研究や趣味の視点からに特化して「自己管理」して栽培していければ、現時点でケナフが帰化して生態系を破壊するといった可能性ついては大きな問題はないと思います。現在ケナフの生態系論争は、生物学的な性状から来るものではなく、「ケナフの扱われ方」が問われています。

 もちろん、産業としての偏った大規模栽培が、生態系に与える影響については、常に頭にいれておかなければならない人類共通の課題でもあります。そういった前提があるならば、このケナフ野生化の評価については、他の植物同様の視点で、「研究として」行われるべき課題であると思います。また、ケナフをきっかけにして、その評価の指針や移入植物導入にあたっての基準が確立されるのであれば、それは素晴らしいことだと考えます。

 最後になりましたが、私たち市民にとってのケナフの原点、その切り口は地域活性化、総合学習、素材開発など様々です。そして、全国各地で、純粋にケナフのある生活を思いっきり楽しんでおられる方々がたくさんいます。その魅力は、何よりも私達を楽しませてくれるその可憐な花が、未来資源として私達が描く明るい未来の姿を創造し、地域コミュニテイの道具として人と人とのふれあいの場をたくさん提供してくれました。また、ガーデニング的視点からも、小さな夢を抱いて、ひとつの植物のいのちを育むことが、あわただしい日常生活の中で、「癒し」の場を提供してくれたように思います。

 ケナフに限らず、現代社会のどんな分野についても言える事だと思いますが、新しい可能性を提案していくにあたって、それぞれが得意な分野に特化する事で、その体験を通しての情報を提案し続けていく事により、それが、やがてどこかで接点となり、ひとつの大きな流れにつながっていくと考えています。

 “いまこの瞬間も 100年後も 自分を 人を 地球を愛する優しさ思いやりを育て 共に生きていく事の大切さを伝えよう このケナフを通して“(第3回ケナフサミットより) そんな小さな夢をもって、これからもケナフと関わっていきたいと願っています。

広島ケナフの会 木崎 秀樹


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