’89 ホノルルマラソンに参加して      堂谷芳範(辰口クラブ)
 ホノルルマラソン、自分にとって3回目のマラソンだ。昨年同じ仲間の川本さんが2時間32分3秒で9位入賞、不可能な目標ではないだけに入賞を目指して2か月間マラソンに向けて走り込んだ。
 スタートは暑さを避けて朝5時30分。君原がいる、采谷がいる、山田敬三がいる。スタート後しばらくすると、すらっとした細く長い足の選手。後ろ姿のフォームから見ると、フランク・ショーターでは? 前へ出て顔を見るとやはり。こんなすごい選手と一緒に走っている!思わず感激してしまう。
 給水所では、百人近い人達が自分のコップを、自分のスポンジを取ってくれ、とばかりに手を出してくれる。ホノルルならではの光景である。
 20km手前で女子1位のビュースケンスに振り切られ、練習不足か、と不安が襲う。が、25kmで夜が明けると再び元気回復。ビュースケンスの前を風よけになって走り、地元のTVカメラにバッチリ収まる。
 40kmではダイヤモンドヘッドの坂。最後の難所を越え、自己記録を目指してゴールへまっしぐら。
 ゴールは2時間31分11秒で19位、30〜34才6位、日本人5位。
 惜しくも入賞はならなかったが、暑いハワイでまさかの自己新。3度目のマラソンでやっとまともに最後まで走れ、納得のいくレースが出来た。
 ホノルルマラソンはまさにお祭り。こんなビッグプレゼントをしてくれた石川テレビさん、ありがとう!

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 1989/10金沢百万石ロードレースで地元選手の1位(過去派遣者除く)となり、スポンサーの石川テレビがホノルルマラソンをプレゼントしてくれた。翌年の百万石ロードレースの大会プログラムに載せた文章である。
 なお、今は、地元選手をホノルルマラソンに派遣することはしていない。