戒道幾巳少年の育ての母親にあたる女性。正確な姓名が不明なためここでは便宜的に「夫人」と記述している。
8年前(1997年)阿蘇山麓にて生後間もない乳児を発見し養子として養育した。配偶者がいたかどうかは不明だが、実質的に戒道幾巳少年を「女手一つで」育てたものと思われる。息子に対して惜しみない愛情を注ぎつつも、息子がいずれ自分のもとを離れていくことをかなり早い段階で覚悟していたらしく、「本当の親のところへ帰る」ことが戒道幾巳少年の幸せであると割り切ろうとしていたようにも見える。しかし2005年8月、ゾンダリアン最終作戦以降戒道幾巳少年が行方不明になってからは近所の海岸で水平線を見つめて涙する日々を送っている。
2005年11月、機界最強7原種により対「アルマ」戦の切り札とみなされ、腸原種の融合を受ける。アルマを母の姿を以って動揺させる作戦であったが二度は通用せず、メキシコ・マヤ遺跡での戦闘において戒道幾巳少年の浄解を受け、その後GGGの手によって帰国。2007年現在は某病院にて入院加療中である。