鉄砲の普及が石垣を広めたわけではない
 

 どうも、昔の定説というのは、鉄砲こと、火縄銃を過大評価しすぎているような気がします。「鉄砲の普及が石垣を広めた」という昔の定説も、そのような過大評価の一例のように私は思います。鉄砲をよけるために石垣が普及したという短絡的発想に対する批判は下記の文献が雑誌に掲載されていたので、そのままそれを提示し、その補足として、火縄銃、もっと広義にいってマスケット銃と、第1次世界大戦から第2次世界大戦の頃のライフル銃との違いについてを、私こと参謀足軽が解説しましょう。


城の石垣は銃弾を防ぐためではなかった

 室町時代の城は、たいてい土で造られていた。
 だが元亀・天正年間(一五七〇〜九二)ごろから石垣造りの城が急速に普及し、近世名の居城に至っては、むしろ石垣造りが常識になっている。
 一方、石垣の普及とほぼ同時期に、鉄砲も普及している。そこで、両者の普及を短絡させて、従来の土の城では銃弾が貫通してしまうので、石垣を用いてこれを防ぐようになったとの説が古くから唱えられている。
 たとえば、近江の六角氏の居城で、数えきれぬほど多くの曲輪をもつことで有名な観音寺城では、比較的早くーー少なくとも弘治年間(一五五五〜五八)には石垣の工事が行なわれたようであるが、これについて『滋賀県史』は、「天文中火器の輸入と共に、その急速なる伝播は従来の城壁のよく防ぐところに非らざるを以って、この新式の築城を促したるものと思われる」
 としている。
 だが、たとえば旧帝国陸軍の三八式歩兵銃が、厚さ一メートルの土手を貫通できないことが公式実験で明らかにきれているように、ある程度の厚ささえあれば、土も石と同様に銃弾に耐えるものなのである。
 それに、土の城壁が危険であると考えたならば、人体を隠せる程度の石垣を築けばよいのであり、安土城や姫路城のような広大な石垣など築く必要はあるまい。
 現に天文十八,〜九年(一五四九,〜五〇)に将軍足利義晴が京都東山の大嶽に築いた城の壁について、『万松院殿穴太記』に「ニ重に壁を付て、其間に石を入たり。是は鉄砲の用心也」としているではないか。
 銃弾の貫通を阻止するためならば、この程度の工事で充分であり、この方が石垣などを築くよりもはるかに経済的でもある。
 それによく考えれば、石垣は鉄砲のなかった古代の城や、鎌倉時代に築かれた元寇の防塁にも用いられているのである。元亀・夫正頃から石垣が普及したことについては、銃弾を阻止するためなどとするより別の原因を考えるべきであろう。
(「別冊 歴史読本 歴史常識のウソ 300」 新人物往来社 (1991年出版)より、抜粋)


追記
 そもそも、火縄銃というのは大変原始的です。ただ発射速度が、現在の銃に近い第1次世界大戦や第2次世界大戦の頃のライフル銃(以下ライフル銃と略します。)よりおそいだけというだけでなく銃身の構造が全然違います。(現在の兵士の使用する銃は短機関銃や自動小銃ですので、これらの銃だと別のニュアンスが加わってちょっと比較しづらくなってしまうのでライフル銃で比較することにしました。)
 左図は銃の銃身の構造を示し、Aは滑腔銃で火縄銃はこの部類に入ります。銃身の内側は図の示すとおり、何の工夫もなくただの筒です。これだと、銃身と玉のあいだに隙間aが生じ、ここから爆発したガスが漏れるし、玉が回転しないので弾道が不安定です。ガスが漏れるので火薬の爆発力が有効に利用されていません。
 Bは施線腔銃すなわちライフル銃です。銃身に螺旋状の溝が刻まれており、突出部は条丘と呼ばれ、これが弾丸に食い込み発射された弾丸に回転がかかり、弾道が安定します。弾丸と銃身との隙間bが少ないので爆発したガスがほとんど漏れません。
 銃身だけでなくライフル銃は金属薬莢なので発射の際に薬莢が膨張して銃身に密着して銃の底に気密性が保たれる。火縄銃は銃の外から銃の底に入った火薬に点火するのでおそらく点火部からもガスがもれて火薬の爆発力が弱まってしまうと思われます。
 この気密性と弾道の安定が火縄銃等のマスケット銃との性能に著しく差を付けます。マスケット銃の有効射程(命中精度がよい射程で最大射程ではありません)はせいぜい80メートルくらいです。(「武器」 1989年 マール社発行より)これが火縄銃のデータかどうかはわかりませんが火縄銃はマスケット銃のうち(中世のハンドキャノンを銃と見なさない場合)もっとも下等な銃であるのでこれ以上の性能は出さないと思います。ところが、ライフル銃の有効射程は最大800メートルとなんと十倍も違うのです。(ション・ウィークス著 拳銃・小銃・機関銃 1973年 サンケイ新聞社発行より)
 日本の三十八式歩兵銃は発射速度はボルトアクションなので当時としては時代遅れですが、命中精度等、狙撃銃としてはとても優秀でした。有効射程のデータがちょっと見つかりませんでしたが、かなりいい銃なので、おそらく800メートル近くの有効射程を持っていたものと思われます。
 その三十八式歩兵銃が1mの土手を貫通できないのに、なんで火縄銃の破壊力で貫通できるんでしょう。さらに第1次世界大戦、第2次世界大戦でも銃弾を避けるのに土のうという土を入れた袋を用いたのに、それより数段おとる下等な火縄銃が土の防壁をすたれさせ、石垣を普及させたなんていえるのでしょうか。
 なお、マスケット銃はおもに発火方式で分類され、その進化の過程はおよそ火縄銃すなわちマッチロック式からスナップハンズ式→フリントロック式→パーカッション式とヨーロッパでは進化しました。ヨーロッパではマッチロック式は18世紀頃にはみられなくなりましたが、日本では19世紀半ばまで使われていました。
 
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