2001/APR.


4/28連休??
世の中は本日より連休である。ゴールデンウィークなんだそうである。だけれど、僕は生まれてこの方こういう時に何処かに出かけると言う経験もなければ、意識もない。元々、親も同じ商売だから別にお休みじゃなかったからと言うのもあるのだけれど、どこ行っても混んでるじゃない。どこ行っても高いじゃない。こういう非合理的なことは、ことさら大嫌いなのである。それでも子どもとかもお休みであったりするので、最近歩いていけるとこ限定で出かけたりするようには、なってきたのである(人間年を取ると丸くなるのである)
で、ここから歩いていける所と言うのは結構充実している。
井之頭公園および動物園。深大寺および神代植物公園。野川公園などなど・・・。
いずれも二〜三十分 圏内である。今年はどこに行こうかな?動物園では、そろそろこの春に生まれたベービーたちがお披露目されているはずである。深大寺では花を見るより、異常に長い望遠レンズで接写?しているリタイアしたおじいさんたちが僕の観察対象である。野川だとやっぱりバーベキューになってしまうかな?まあ、今日からゆっくり考えて、ノンビリとフラフラと出かけてみようかと思っている。

ジャパンはあれでいいのだ!
0-1。負けは負けである。でもいいんだよ。退屈な試合でもいいんだ。いっぺんに守備も攻撃もうまくなるのは、それまでのレベルが低かったからなのさ。今回は守備の重視だったのだからあれでいいの。いつもいつもバランス良く成長なんてしないもんだよ。むしろ、そのレベルまで達したから、一度考え方を変えて、バランスを壊してるんだと思うよ。本戦でどれだけできるか解らないけれど、今回の試合の運び方、そしてその結果はあれで充分だと思うよ。この戦い方ならフランス相手でも2、3点差以内で戦えそうじゃない。サッカーは確かに点取りゲームだけれど点を取られなければ負けないんだ。そういうことを日本のサッカーファンはもっと理解すべきだよ。
トルシェが日本に来て始めてチームに徹底させた事、あるいはオフトがやったことも同じなんだけれど、なんだったと思う?それはパスを出す相手の名前を呼ぶ事だったんだぜ。こんなの原小キッズでも触れているけれど小学生レベルの話なんだよ。本来は。だけど、それが普通に出来なかったチームがここまで成長したんだ。認めて良いと思う。むしろボールが出されてからしか動けなかったメンバーが先を予想してずいぶん動けるようになった。ただ、まだレベルに達していないから、今回の試合でも中田のスルーパスにセリエAなら追いつけるのに間に合わなかっただけで、これもあのレベルでの試合を続けれれば、だんだん出来ていくと思う。
小泉政権じゃないけれど、もうしばらく長いスタンスで見守るべきだと思います。

4/26政治?

小泉純一郎氏の内閣がお披露目された。今回の彼の勝利は、マスコミの使い方がうまかったのと、まあ流れって言う物もあったんだろうけれど、それだけじゃないような気がするね。
まあ、 僕だけの考えかも知れないけれど、自民党名簿に本来自民党指示じゃない人の名前がたくさんあって、でも投票用紙送ってきちゃったし、こんな機会も滅多にないから投票しちゃおうかな!って言う人が結構いたんじゃないかと思うのね。その裏づけとして、昔、僕の所ににもその手の勧誘やいわゆる名簿に名前を貸してくれ、という話がたくさんあったからね。
僕は、基本的に特定の宗教、団体、派閥には属さないと言う考えなんですね。ず〜〜っと一貫して、じゃ、政治関係の仕事はしないのかと言うとそうでもない。某自民党の相沢さんのポスターやチラシも作った経験があるし、
故山花貞男さんの選挙時には、ジャンパーのデザインもしているし、調布市長選挙では、革新候補のアジビラも作っているし、またその時、知り合った社会党の候補の市議選では、かなりつっこんだところまでお手伝いをした。
無論、どの場面でも表には出てないけれどね。
ところで、今回の マスコミの使い方について、小泉サイドは大きな失敗をしたと思っているんだ。それは何かと言うと、閣僚人事を発表する前になぜ、一本のマスコミ通達を出しておかなかったのか?ということ。つまり、人事を発表する時に「○○派」 というのは、入れないでね。と一言通達しておけば、良かったんだと思うよ。 別に難しい事じゃないし、もし、派閥を超えた、党改革を目指すならその位の配慮が欲しかった。それにさ、党も超えちゃう人事なんてのも離れ業として見せてほしかったね。元々、民主党の人達なんて、結構近い考え方している人が多いんだからさ。自民党総裁は自民党の物だけれど、内閣は国民のために作るべきなんだよ。「考え方が、イデオロギーが違うから」と言うかも知れないけれど、国民側から見れば、あんたらハッキリ言って、一緒に見えるよ。ホント。

たださあ、自民党内部を含め、野党と言われる人達のコメントを聞いていると、ほんと度量もなく批判しているだけなのには嫌になってしまうね。欧米なんかでは、新規政権が樹立された時は、ハネムーン期間で三ヶ月位はお手並み拝見、静かに見守ってやるのが通例なんだよね。まだ、何もしていないのに批判するのは、客観的に見て、カッコが悪いよ。ケツの穴が小さい感じがするよね。

特にダメじゃんは、江藤さん。鳩山さん、志位さんね。
土井さんは、いいの。そういうキャラだから。
江藤さん。あなたはもう引退しなさい。国民が何を考えているかを知らないのは
もう年だからしょうがないけれど、目の前で何が起きているのか理解できずに、「私を通せ!」なんていうことを今、発言している人に税金を払いたくない。
鳩山さん。自分達が内部にいた時に出来なかった事を人がやってしまったからと言って 、ヤキモチを焼くな。それよりも党を超えて協力して前の時代の化石みたいな人達の掃除をしちゃいなさい。なんだったら、一時的に小泉一派と新党を作ってしまいなさい。後で別れればいいんだから。
志位さん。批判のための共産党は、もう いらない。小学生の頃から「赤旗」を読んでいた僕からすると、何も変わっていないのは、おたくだけです。政治は伝統工芸じゃないんだから、変わらない事が良い事じゃないんだよ。
とにかくさ、小泉さんがどうのこうのでなく今回の自民党員の決断は、「ダメ元」なんだから 自滅するにしても、上手く行くにしてもいいんだよ。しばらくは、
見守るべきだと思うよ。
ワイドショ−的な考え方をすればさ、これで小泉さんが心労が重なって、田中真紀子総理なんてのが 誕生したらこれはこれで面白いんだけれどね。


4/21お風呂屋さんと焼き鳥屋さん
この二つが、最近のお気に入り、マイブームなのだ。お風呂やさんは、下の尾籠な病にも大変効果があり(ただいま銭湯中にもこの手の事を描いた絵があったな)まさか自分がそういう状況になるとは思わなかったけれど、良いのは折り紙付きなので、せっせと通っている訳だ。さてお風呂やさんの通りを隔てたお向かいに小さな一坪ほどの焼き鳥屋さんがある。一坪だから無論、椅子はお店の外に並べてあって、無口なおじいさんが一人で黙々と焼き鳥を焼き、周辺のやや妖しさを含んだおじさんたちが、ワンカップ片手に焼き鳥を頬張っていたりする訳ね。このお店の場合、きちんと正しい手続きを踏んでいないのだろうか?メニューにお酒はない。でもビールといえばちゃんと出てくるし、お酒と言えば、ワンカップが出て来るのね。さらにそこで座っている人達は、ほとんどが常連さんだから、おじいさん、何にも聞かずにその人の顔が見えた瞬間、当たり前のように何本かの焼き鳥を焼き始めるのね。で、お客の方もこれまた当たり前のように無言で出された焼き鳥を食べている訳。よく観察していたら、お客さんによって、ちゃんと内容と言うか、出される中身が違うのね。こういうやりとりってのは、観察していて非常に楽しい。それで最近僕も、場にあんまり合わない格好ながら、通っている訳です。それでいつも同じ物を頼むようにしている訳。僕の顔を見て、焼き鳥を焼き始めてくれたら始めてこの焼き鳥屋さんの市民権が得られるのかも知れないなあ?なんて思いつつ、その日が楽しみであったりする今日この頃な訳です。

4/16大腸ファイバー
前振りが異常に長くなってしまいましたが、本日検査をして参りました。
昨晩飲んだ下剤はあまり効き目はなく、本日はきのう作っておいたポカリみたいな下剤ドリンクを1.8L飲んで、トイレに通いました。もうほとんど水便と言う感じ。あれっ、これならいつもの飲み過ぎた翌朝と同じじゃン。とか思いつつ、絶食だし、トイレに何度も通う訳だから、肛門周辺はなんだかうっ血しているし、クソ〜〜〜〜。とか思いつつ、病院へ。
「軽い麻酔状態で検査を行います」ということだったので、意識はあるのだろうと思っていたら、目覚めると検査後二時間も寝ていたそうな。
結果、大腸には異常なし。ポリープもなし。ただし肛門周辺は予想通り、うっ血状態。軽度の痔だそうである。でもちょっと待って!この状態は、通い続けたトイレが原因なのでは???
とにかくお腹が減っていたので、何かを食べよう!と、ちょいと寿司やへ。思えばこれがよくなかった。考えていたほどたくさんは食べられず、代わりに「立山」なんて粋なお酒が置いてあった物だから、ついついグラス二杯。それで終わっていれば、さらに何と言う事もなかったのだろうけれど、我が家に帰ってきてから、ビールを二本。そしたらたちどころに再び大脱水症状になり、二日続けて、トイレに通い詰めという悲惨な状況になってしまったのでした。 カミさんは冷たい目で見るし、いや、参った。

4/15/病歴その2の1
その2
それは、たしか25か26になっていたか、その位の時期だったと思うんだよね。事の始まりは、勤めていたデザイン事務所の引越しの後、肛門あたりに小さなオデキみたいな物が出来ちゃったんですよ。それで引越し先の青山の骨董通りの裏側に平田肛門科というお尻のスペシャリストがいるからってんで、診てもらったんですね。待ち合い室で聞くとこのお医者さんお尻にかけちゃ日本で五本の指が・・・いや 五本の指に入ると言うお尻の名医だった訳です。で、診断してもらうとそのオデキみたいな物は、ただのオデキだったのだけれど、中の方にその先生でも解らない物があると言う事になっちゃった訳です。で、その先生の先生。 つまりお尻にかけちゃ日本一って言う先生(あんまりカッコよくないけれど)を御紹介してくれた訳です。で、さらに大久保の病院へ行って、診断してもらったのですが、さすが日本一。診断して即「内痔瘻。要手術。早急!!」とのたまわったのでした。早速、下の受付に行って入院の予約を取ろうと思ったら、一年半先というじゃありませんか?こいつは困ったと思って先生に相談したら・・・。「僕が執刀する別の病院があるから・・・」と再び紹介してくれた訳です。つまりこの先生。いくつかの病院を掛け持ちされてて、そっちで切ってやる。ということだったのです。
で、その病院はなんと普段撮影で使っている六本木スタジオの隣で、昔のテレ朝の真ん前だったのですよ。しかもこの病院、森繁さんやベースターズの森さんや江川や各界の著名人のお尻を治しているという由緒正しい病院だったわけです。
そんなわけで、予約を入れたらやっぱり三ヶ月後。でもしょうがないから予約して帰宅した訳です。その二日後。病院から電話があった訳です。「一日/¥19000の部屋なら明後日から空くよ。君の場合、早いに越した事はないからね・・・」そう言われりャ、 「おッお願いします!」てな訳になるわな。これは・・・。でもさ十五年前の一日/¥19000よ。半端じゃないよな。実際・・・。
そういう訳で入院しました。ところが、後で回りの人に聞いたら、全員、同じ内容の電話が、かかってきてたらしいのね。「あっ!ひっかかったの!ハハハハ」と回りの方々に大笑いされてしまいました。だから僕も三日目から大部屋に変えてもらったのでした。
(長くなりそうなので続く)
痔慢の種(上の続き)
そういう訳で、内痔瘻のため入院したのですが、本人には、全然自覚症状はなかったのです。出血も膿も出てなかったし、痛みもなかったんですね。これが・・・。ところが同時に入院された方々というのは、これは皆大変な痔核症状をお持ちの痔主さんたちで痔慢の種もたくさんある方々だった訳ですね。当然。
たとえば手術の前には、スライドによる痔を知るためのレクチャーがあるんだけれど、とにかくちゃんと座っている人なんていないわけです。皆、身体を斜めにして、少しでもそこに衝撃およびうっ血を与えないようにしているわけね。その集団の可笑しさというのは、現場を見てみないとちょっと解らないと思うけれど、わずか15分ほどのレクチャーの間に二人ぐらい痛みで気を失いかけるというスゴサだったのね。
それでも手術は、一日にまとめて、同日入院した人達をダダダダダとやってしまいます。その手術にかかる時間は一人当り長くて20分程度なのね。これはさ、長年、その手の痛みに耐えに耐えてきた人達にはもう奇蹟と言っても過言ではないよね。きっとお医者さんが神様に見えていたとおもうよ。ホント。ところで、術後トイレに行く時は、皆、洗面器を持って行く訳のね。トイレの前には給湯器があって、そこで適度な温度のぬるま湯を作り、トイレに入る訳。これで何をするのかと言うと、した後、出口を洗う訳です。自分の手で洗うんだよ。それが一番痛くないし、正しいのだ。当時、ウォシュレットはすでにあったけれど、水圧が強すぎるんだそうな。そうして術後一週間、一時間の外出が認められるのですが、これもね、結構笑える集団でしたね。なんだか妖しいんだな。これが・・・。そう、はじめてXXXを掘られちゃった翌朝の人達と言う感じかな?なんだか腰が引けててね、歩き方がぎこちないんだよ。
(あっ、僕はこの手の経験はありませんが・・・)

4/14/病歴その1
あんまり胸を張って、するべき話じゃないんだけれど、僕の病気の話。
なんでこんな話になったのかと言うと、明後日、大腸の検査をすることになっていて、お医者さんから病歴を教えて下さい。って言われたから。
その1
入院した始めての経験は、21か22の頃だったと思うのだけれど、その頃、僕は 阿佐ヶ谷に住んでいて、日中はデザイン事務所、夜はイラストレーターっていう生活をしていたんだ。当然、生活はメチャメチャ不規則でお酒の量も半端じゃなく、白眼が濁った生活をしていたんだ。
そんでもって、ある日、なんだかお腹がねじれるように痛くなって、しかもすごい下痢でさらに黒い便で、「こりゃまずい!」と言う訳で、お医者さんに行った訳だ。そしたら「たぶんこれは盲腸です」と言われ、
同じ阿佐ヶ谷のS外科に担ぎ込まれた訳だ。御存じのように外科ならば、ほとんどの病気に対応できる訳なんだけれど、この病院は、ちょっと違っていたのね。(これは、後から気が付いたんだけれど)
とにかく、診断の結果「うん。やっぱ盲腸だろう・・・。まっ開けてみなくちゃわかんね〜からな!」と、院長がのたまい、次の日手術になった訳だ。(この辺で異常に気が付くべきであった)
盲腸の手術の場合、下半身麻酔が普通らしいんだけれど、僕も同様だった。麻酔をしてから、切るべき所に刺激を与え、「感じる?」と聞かれるんだけれど、メチャメチャ感じていた訳で、「痛いです」と答える。そのやりとりを2、3回 くり返した後、「いいや!やっちゃおう!」って、俺はまだ痛がってンだぞ!と思ってはいたけれど、哀しいかな手術台の上の鯉。で、「ギエ、ムムム」なんて唸りながら、お腹を切られた僕に追い討ちの一言。「あっ!こりゃ違うわあ。盲腸じゃないや!」って、麻酔をかけれているのは下半身だけだから、当然会話がすべて聞こえる訳だよね。それから執刀している助手の人となんだか専門的な言葉で会話しているんだけれど、所々に「まずいですね」とか「何とか引っ張り出して・・・」とか 看護婦さんも「院長!バイタルが・・・」とか言っていた訳ですよ。その間、こっちは「ウググムムムムム」とか唸りまくっていたのだけれど・・・・。
ところが、その辺から僕の記憶は途切れてしまっているのね、次の日、立ち会っていた家族曰く、一時は非常にヤバい状態まで行ってしまったのだそうだ。原因は、盲腸ではなく、小腸の一部が腫れて穴が空いて、そこから水分が腹膜の中に溜っていたらしいのだけれど、盲腸用に開けた穴から強引に腸を引っぱり出して、腹膜の中の水を吸い取り、血圧が急激に下がってきて気を失っちゃた物だから、あわてて入れ直して、ついでにきれいな盲腸も取っちゃったらしいのね。
で、次の朝、気が付くと相部屋の人達はすべて骨折とかの整形外科系の患者ばっかりで、みんな内臓は元気な人達ばかりだから、ある時刻になると、近所のラ−メン屋さんが出前を聞きに来ると言う病院だったんだよ。僕はその中で惟一の内臓を手術した人だった訳。
この手術以来、今に至るまで、少しずつ減ってはいるけれど、どうやらお腹のあちこちに癒着ができてしまい、くしゃみをする度、その癒着の所に火柱が立つみたいな現象があったりする訳です。
さらにおまけでここの院長さん。抜糸の時もピンセットで一本一本糸を抜いた後、あろうことか、傷口をポン!と叩いて。「よっしゃ。大丈夫。開かなかったから!」とのたまわったのであったのです。今なら大問題だろうけれど、20年近くも前だからね。
後で阿佐ヶ谷の商店街でお店を出している叔母に聞いたらこの院長さん。元軍医さんだったそうなんだけれど・・・。
その1が長くなってしまったので、その2は明日。

4/10/鳥の気持ち
我が家がここへ引っ越してきて、まもなく一年、調布と三鷹の境にあって、高台の6階にある我が家の建物の北側は東八道路という6車線もある幹線道路だけれど、南側には、何も遮る物がないので、180度パノラマで毎日富士山が拝めると言う、最高のロケーションである。特にここは武蔵野台地のてっぺんに位置するから、とにかくすこぶる眺めが良いのである。こうやって一年間、なんとなく下界を見渡していると、なんだかとてもおおらかな、そう、鳥になったような気さえする。特に季節の移り変わりの美しい今時は、桜はもちろんのこと、街のそこここに美しい彩りの植物が見れる。なるほど、このロケーションなら鳩も巣を作りたがるのにも頷ける。(だからといって営巣を許しはせんぞ!!)
朝起きて、ベランダに出ると様々な鳥たちの声が聞こえる。ここへ引っ越して来る前に住んでいた家も回りが園芸農家だったから、かなりの種類の鳥たちを見る事ができた。その数、なんと28種類。(もちろん季節限定の鳥も含まれる)珍しいところでは、アオバズクというふくろうの仲間やキツツキの仲間、ジョウビタキというオレンジ色のヒタキ類も見れた。
さて、少し前の話だが、ここへ引っ越してから、何気なく外を見ていたら、白い大きな鳥が飛んでいた。遠目だけれど、とにかくデカイ。優雅である。息子は「鶴だ!鶴だ!」と騒いでいた。そしてその晩。カミさんが会社から帰ってきて言うには、会社にある池に「鶴が飛んできた」と言うのだ。管理人のおじさんも掃除のおばさんも「鶴」だと言っていたそうなのだが、 まさか、鶴は渡りの途中でもこの辺を通る事はないし、僕の目撃した飛んでいる姿も合わせて考えると、それは、たぶんダイサギであろうと推測したのだった。
ここからすぐのところに深大寺があるし、多摩川へもさほど遠くないから、ダイサギなら見れるはずである。それでもね東京のこんなところでダイサギみたいな大きな野生の鳥が見れちゃうと驚きだよ。隣の稲城市でキジを見た時以来の驚きだった。
とにかくその鳥がダイサギであったとしてだ。あんなに優雅に飛んでいる鳥たちは 、下界を見てどんな事を考えているんだろうね。「住み難くなりやがったね!この辺も」なんて舌打ちしてるんじゃあないでしょうかねえ。

4/8/絵本販売ゆっくりした出足です。
手許本の販売を始めて一週間。少しずつ反響があります。特に宣伝している訳ではないし、口コミで徐々に広がって、大事にしてくれる方々のお手許にお渡しする事が目標だから、このペースは、正直有り難い感じですね。購入してくれた人達とメールのやりとりも楽しめるし、良い感じです。ただ、リビングに積んであるダンボールの山がちょっと気になるけれどね(笑)
そうです。僕の著作「ゴリラのジャングルジム」「タムとトムのぼうけん」「ムトトがきたよ」「森のクリスマス」の四冊に関して、書店での購入が不可能になった事を期に、僕の手許にある分だけ、このウェブで販売しております。各50冊限定ですが、今、ここでしか購入出来ませんので、御希望の方はお早めにどうぞ。

4/6/いつも見に行くHP
毎日見に行くHPというのがいくつかある。いわゆる「お気に入り」にしてあるHPだけれど、そのページが更新されていなかったりすると、妙に心配になったりもする。病気になったのじゃなかろうかとか、長期出張かな?とか思い浮かべてみたりする。まあ、余計なお世話だよね。なんてしばらく放っておくと、忘れた頃に更新されていたりして、なんだか、ホっとしたりしてしまうことがある。
なんで、こんなことを書き始めたのかと言うと、実は僕のHPも「お気に入り」にしてくれている人がいたらしく、最近更新を怠けていたので、上記の僕のように考えてくれて、メールをいただいたからなのだ。そうなのだ。日記とは名ばかりで、あまり、真面目に更新していないもんなあ。反省しきりである。
以前から、HP大改革を考えてはいるものの、気が付けば僕のコンテンツ は、意外に大量な画像だの広がりだのを持ってしまっていて、リニュアルはそう簡単な問題では、なくなってしまっているのも現実なのだ。その上、日常の中で、これが生活の糧になっているわけではないから、自然後回しにされる。その結果、
「明日がある。明日がある。明日がああるうさあ・・・」になってしまうのである。元々、「今日出来る事は明日も出来る。だから、そうしよう。明日にしよう!」という性格なので、仕方がないのだ。ごめんなさい。である。

ところで僕がブックマークしていて確実に毎日見に行くHPを御紹介しよう。
これ以外にも二日に一度、あるいは三日に一度というのも多々あるけれど、今回は、とにかく毎日行くHPだけの御紹介。どれも面白いから遊びに行ってみるといいよ。
まずは、ひこ田中さんのHP ごたく日誌は、独特の妖しい視点で書かれていて、その視点が的を得ているのだ。とにかく面白い。笑います。次にトトの情報も得るために必ず覗く、ニッカンスポーツのHP。ここの記者の後藤慎弥さんとは、昔昔、一緒にサッカーもしていたことがあり、彼の視点もまた面白い。さらに何度もこのHPで触れているけれど、西伊豆岩地の温泉民宿、海光苑さんのHP岩地は今、シーカヤッカーの聖地になりそうである。ここのオーナーは、昔トライアルバイクの競技にも出場していたくらいのバイク気狂いなのだが、そのせいか、泊まり客にもツーリング途中の方やジェットスキー関係の方、シーカヤック関係の方も多い。むろんダイビングや釣り関係の人もいるけれど、僕はこの岩地が何にも観光施設がなく、ノンビリするには最高の場所だから好きな訳で、あまりエキサイティングにマリンスポーツしたいとは考えていないのだけれど、HPを見る度にシーカヤックは、やっても良いかな?などと考えつつある。それから秋田県人のマックファンのHPというのもある。ここのオーナーとは、実はヤフーオークションで知り合ったのだけれど、マックのバグに関して、真面目に答えてくれるS君というのがいて、この人、やたらと新製品を購入するし、そのリポートもしてくれるし、丁寧にこちらの疑問に答えてくれるのでありがたい。それと一般的にはあまり知られていないかも知れないが、友人のカメラマンの石田君&お友達の紀美ちゃんのHP も毎日遊びに行っている。特に紀美ちゃん側(TONPA) の方の日記には、紀美ちゃんの性格が出ていて、なんだかホノボノとさせられる。

4/1/桜咲く。なれど別れの花なりき
義父の葬儀当日。葬儀場控え室の窓からは、ハラハラと散り行く桜の花びらとそれと同じくらいの雪が舞っていた。鬼平なら『春の気狂い雪じゃ!』等と呟くのだろうが、それほど「おつな」シチュエーションじゃないしなあ。
むしろ弔問に来ていただく人達の足許の方が気になっていたりした。
なんだか、今年は弔事が多い。しかも親しい人達のね。そういう年令なんだと思えば、その通りだけれど、それにしても多いね。参ります。
四十という年令は、今の平均寿命から言えば、ちょうど折り返し地点で、身の回りにこの手の事が起きると、尚更に「死生観」とか「人生観」とかいうものを振り返ってみてしまったりする。正直に告白しちゃえば、まだやりたいこと、やらなきゃいけないこともたくさんあるし、死んじゃうのは『こわい』けれど「死」っていうのが、必ずしも非常に怖がってしまうものではないような気も少ししてきた。上手く言えないけれど、また望んで死んではいけないと思うけれど、やがてその時が来た時に「享受」するのが正しいのではないかと暗然と考える自分がいたりする事に気付いてきた。
義父が意識を失う数日前。義父は昼寝をしていて、夢を見た。
それはそれは気持ちの良い夢で、このままでいいやと思ったらあっちに行ってしまう気がしたのだそうだ。病室で付き添っていたカミさん曰く、目覚めている時、とても苦しそうな呼吸をしていた義父が、たしかにその時は、とても心地の良い呼吸に変わっていたそうである。
思うに義父はその時、本当にあっちに行ったり、こっちに来たりしていたのではなかろうか?
あの世があるのか否かは、別次元の問題としても、また宗教観がどうのこうのでなく、生きている今の自分の存在がある意味『泡沫の夢』なのかも知れない。
どっちが「夢の中」にしても、その間は(夢を見ている間は)気持ちがよいのが良いし、楽しい方が良いに決まっている(少なくとも僕はそう思う)だとしたら、それなりに自分で世界を作っていかないと、最終的に「享受」する時、後悔してしまいそうである。できることしかできないけれど、できることならやっておこう。
(なんだかマトメが下手だなあ・・・)