【情報ソース】 2004〜2005年にかけて開催されたで「本田宗一郎と井深大 −夢と創造― 展」の、「さまざまな試作品」コーナーに試作VTRカメラなどとともに展示されていました。

【スペック/データ】 本文にある通り詳細不明です。公式パンフレットでも全く触れられておらず、正式情報は展示ポップのみからしか得られません。サイズは280×135×370mmで、カートリッジ式だそうです。ソフトも開発年度も不明、そういえばSONYのロゴすら入っていません。

さて、以下は全くの推測です。昭和49年(1974年)5月9日付の日経産業新聞を見ると、磁気カードで録画/再生ができるビデオプレイヤーMAVICAシステムをソニーが発表したという記事があります。MAVICA=マビカとは、ソニーのFDDデジカメのブランド名として知られていますが、これはそのご先祖様で、やはり磁気カードに映像や音声情報を記録し、テレビ受像機(記事写真を見ると、一般の家庭用テレビのようです)に出力します。なお、磁気カードはB5サイズだとか。

SONY試作TVゲーム
MAVICAシステムの記事(日経産業新聞/1974年5月9日)

 前面から挿入するメディアのセット方法といい、空気穴といい、サイズといい、材質といい、いずれにおいてもシンクロ率が高く、おそらく、この初代(?)MAVICAをベースに応用製品の一例として、当「試作テレビゲーム」は作られたような気がします。
  それから2年後の1976年末、ソニーはエレクトロニクスショー'76において、VTRと連動するビデオゲームを出展していまして、この操作部のボタンが4つのみ、ということで、どことなくこの試作ゲームに似ていなくもないのです。ということで、開発時期は1974年〜1976年頃と推測することができるかもしれません。
  なお、この磁気記録/再生方式は、同時期リコーが「マイティーチャー」として発売した機器と基本的には同じです。が、MAVICAの場合2層式となっており、一方に映像を載せることができるようになっていました。


 次にゲームシステムについて仮定します。仮に74年のMAVICAシステムをベースにしたとすると、カセットテープのように再生、頭出しなどはできても、コンピュータのような演算、記憶回路は積まれていませんから、これは我々が普通イメージするディジタルオブジェクトを操作するビデオゲームではなくて、アナログ映像をコントロールするといった意味でのビデオゲーム、いうなれば、ビデオリモコンで遊ぶゲームのようなものだったかと思われます。
 映像で遊ぶビデオゲームと言って、真っ先に思い出されるのが、LDやVHDを使った、80年代中期の映像ゲームですが、ランダムアクセスができなかったであろうこのシステムでは、もっと単純で静的なゲームだったと思われます。
 1975年に任天堂EVRのようなシリアル映像の競馬ゲーム、また、針を落とす位置をランダムに変化させ予想を楽しむ「ゲームレコード」なんてのがありました。いずれも複雑なシステムが安く作れなかった時代において、あらかじめ何種類ものストーリーを用意しておき、軽いランダム性を加えゲームを楽しむものでした。

 本マシンはボタン操作部に選択肢があり、「こたえ」「すすめ」と書かれていることから、ゲームをプレイするとなると、これはやはりクイズ形式だったとみてよいのではないでしょうか。例えば3択クイズの映像が1つ、こたえの映像が1つ、まちがいの映像が1つ用意しておき、最初にクイズを流しておいて、 ”さあ、あなたが思っているこたえを押してください”と映像を表示して一時停止するわけです。プレイヤーは思ったボタンを押すわけですが、それは早送りボタンに連動しており、まちがった場合は、早送りしてまちがいの映像を表示、正解の場合はそのまま再生・・・という感じです。競馬ゲームほどのランダム性もなく、かつ一度正しいルートを憶えてしまえば飽きられてしまうシステムですが、それは次に書く教育・訓練用途には悪くなかったはずだと思われます。



 さて次はマシンのターゲットです。MAVICAシステムの場合、記事中にアーチストとおぼしき写真が映っていることから、プロモーションビデオなど短いクリップを再生する用途もあったようですが、これが家庭用ゲーム機というフィールドを目指すとなると、子どもの教育向けというのが一番可能性が高かったように思います。 選択ボタンの「こたえ」「すすめ」がひらがなであることや、同様のリコー・マイティーチャーが教育用であったこと、また、ソニーの創業者である井深氏は、自らがそうであったように、子供たちに科学分野に興味を持って欲しいと考えておられ、例えば大ヒットしたトランジスタラジオ「TR-55」発売の翌年、早くも子供のための組み立てラジオを発売したり、幼児教育用カード型再生機「トーキングカードシステム」を、自らの手で開発するなど、教育系に関してのとりくみは、深く知られています。

ただし、TVゲームという表現ではあっても、この時代は必ずしも”家庭用”とは言えないようです。1974年当時の日本では、まだ家庭用VTRという市場は普及以前のちらほら状態であったため、電機メーカーの家庭用市場開拓の前段階として、業務用VTR市場があり、その売り先は主に企業における教育訓練用だったそうですから、そういった方面に、操作をしながら学べるシステムとして売ろうと考えられていたことが考えられます。職業訓練学校や、公共施設向け、例えば図書館における映像資料なども選択肢として出てきそうですね。

 


【発売されなかった理由】 現時点ではまったく不明です。この「さまざまな試作品」群の解説ポップには、発売されなかった要因の例として、技術的な壁にぶつかって倉庫の隅に消え行くもの、時代の先を行きすぎたもの、長い時間かかって世に出たもの、などが例として挙げられていました。

SONY試作TVゲーム

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