|
T
「ランディ様、どこ?」
休日の午後、風の守護聖の私邸を訪れた
金の髪の少女。恋人の姿を求めて、
かって知ったる広い屋敷内を、まるで
宝探しでもするように歩き回る。
次々に部屋をのぞいてみるが、ランディはいない。
アンジェリークは二階に赴き、
何番目かの扉を開けた。
書斎、と呼べるほど蔵書があるわけではない部屋。
どうしても持ち帰らざるを得ない仕事や、
手紙の返事を書くときに使っているのだろう。
窓際の机。彼が長時間はきっと座っている
ことは少ないだろう、木目の美しい家具は、
午後の日差しと、開け放った窓から流れる
涼やかな風にさらされている。
アンジェリークはその静寂にふと惹かれて、
揺れるカーテンを抑えながら、窓辺に立った。
机の上には、オルゴールがひとつ置いてある。
あまり凝った造りではないが、
不思議な魅力のある小さな箱だ。
観るものがつい手を伸ばして、
蓋を開けてしまいたくなる・・・。
彼女はこれを二人で選んだ時のことを思い出しながら、
両手に取って、ゆっくり蓋を開けた。
流れる旋律は、二人の大好きな曲。
金属的なのに、優しく可愛らしい響きが、
部屋の中に流れていく。
「やっぱり、いい曲ね」
アンジェリークはつぶやきながら、
箱の中の包みを、何げなく取り出していた。
「?」
人のものを探ろうとか、そういう意識よりも
オルゴールの中に仕舞ってある事への興味が
彼女の興味を駆り立てた。
レースのついたミニクロスに包んであったのは、
艶やかな二粒のチョコレート。
「ランディ様ったら」
思わずアンジェリークは微笑んでしまった。
ホワイトデーもとうにすぎ、あたりには
補佐官の采配で春の花が溢れている。
大事にとっておこうと思ったのだろうか?
置いておいたら、遊びに来た鋼や緑の守護聖に
食べられちゃうかもしれないからか。
そしてそのまま忘れてしまったのだろうか。
アンジェリークは、バレンタインの日の
恋人の照れくさそうな表情を思い出した。
「でも、もうすぐ賞味期限が
切れちゃいますよ?ランディ様」
彼女は細い指でチョコレートをつまみ上げた。
|
 |
U
「アンジェ?来てるのかい」
ロビーから声がしたとき、
メイドが淹れてくれた紅茶を飲みながら、
アンジェリークは客間でくつろいでいた。
「ごめんごめん。ゼフェルのやつがどうしても
急用があるって言うから、ちょっと家まで
行ってたんだ。ずいぶん待たせちゃったかな?」
「ううん。私も勝手に早めに来ちゃったから。
それで、ご用はもう済んだんですか?」
「うん。
たいした<急用>じゃなかったけどね。
着替えてくるから、もう少し待っててくれよ」
ランディは軽くアンジェリークの唇にキスすると、
二階に上がっていった。
アンジェリークはほんのり残る甘い香りが
ランディにわかったかな?とちょっと思ったが
その心配は無さそうだった。
「紅茶、いただいてたし」
|
 |
V
「ちょ、ちょっとタイム!」
ランディのシャツに手をかけようとした
アンジェリークの手を止めると、
彼はまたしてもしどろもどろになりながら
襟を元に戻した。
「えーと・・・
アンジェ、今日は・・」
「大丈夫ですよ。ランディ様のウチに
泊まってくるって言ったから」
ランディは驚愕して目を丸くした。
「だ、だれに!?」
アンジェリークは「ええと、寮のメイドさんに」
「そんな正直に・・・じゃなくて
はっきり言っちゃって大丈夫なのかい?」
「大丈夫ですよ。ロザリアと一緒に、
育成の相談に行くついでにオールナイトで
映画観るって言ってきたから!」
ランディの脳裏にロザリアの目配せと含み笑いが
浮かんだ。『ああ〜ついでにキツいお灸も』
二人の仲をすっかり熟知しているロザリアは
唯一の理解者でもある。だが、アンジェリークのことを
常に心配している彼女のお小言は、かなり厳しい。
友を気遣う気持ちがわかるだけに、ランディには
痛み入るのである。
もっとも、ロザリアにも最愛の某守護聖がいて、
お互いにアリバイつくりをし合っているのも確かだが。
些細な嘘など、女王陛下にはお見通しなんだろうな、
そう思って風の守護聖はため息をついた。
公には、清いおつきあいをしていることになっている。
特に、首座の守護聖の手前、おおっぴらにイチャつく
ことは控えているのだ。
公私をきっちり分けて、なるべく「そういう」素振り
を見せないようにするのは、若い二人にはとても
難しい。それも、いま愛しさがヒートアップして
いる時だ。余裕なんてまるでない。
・・・というのは、専らランディのことである。
ちょっとだけ二人の甘い空気が途切れたことを
察して、アンジェリークはつと立ち上がった。
「ランディ様、心配しすぎです」
機嫌を悪くさせてしまったかな?とランディも
ベッドから身を起こすと、アンジェリークの
表情を確かめる。彼女はふくれたふりをして
ちらっとランディを睨むと、すぐ笑顔になった。
そして彼の伸ばした腕をひらりとかわすと、
そのままバスルームに消えていった。
閉まったバスルームの扉を眺めながら、ランディは
また思索の海を漂っている。
「俺っていっつも・・・
こうなんだよな」
男として、何か情けなくないか?
自信をもっと持たなければ、とランディは思う。
オスカー様みたいに、女性をきちんとリード
できるように早くならなくちゃ。こういう時
いつもいつもアンジェに導かれてばっかりじゃあ。
「・・・いや。アンジェリークはこんな俺でも
大好きだって言ってくれたんだ」
無理にかっこつけたところでボロが出るのは
目に見えてる。初めてこんなに夢中になれる恋に
溺れているうちは、不器用なのは仕方ない・・・
このあいだも、ついこぼした物思いの言葉を
オリヴィエに拾われて、諭されたばかりだ。
「ランディ様!バス、空きました」
彼は明るい声で我に返った。
|
 |
W
バスタオルを身体に巻きつけた格好で、
アンジェリークはまだ石鹸の香りが漂う
バスルームに立っている。
(あー。だからそんな無防備なかっこで
俺の前に立たないで)
ランディは思わず自分の額に手をあてた。
「ランディ様、お背中流しましょうか?」
「い、いいよ!自分でするって」
シャツを脱ぎかけた彼は慌てて言った。
「も〜。照れ屋さんですよね。ランディ様って」
クスクス笑うアンジェリークの顔が愛しくて
ランディはぎゅっと拳を握った。心中は
(なんでそんなに可愛いんだっ彼女は〜っ)
という想いでいっぱいである。
(照れてるだけじゃない。ホントに
余裕がないんだ。俺は)
身のうちに凶暴なほど狂おしい愛しさが溢れて
止まらない。華奢な身体を想いのまま抱き締めたら、
きっとこの手で壊してしまう。だからいつも
そっと大事に扱うしかランディには術がないのだ。
「ランディ様?」
恋人のうつむいた顔を覗き込もうと、
アンジェリークが少しだけ屈んだ途端、
タオルが外れて床に落ちた。
「あら」
「わ」
二人同時に小さく声をあげる。
(だめだ。限界・・・)
ランディは無言で裸の上半身に白い身体を
抱き寄せた。
「ランディ様・・・」
恋人の唇が彼の名前を言い終わる前に、塞ぐ。
情熱的な口付けは、二人から言葉を奪い、
バスルームを甘い吐息で満たしていった。
首筋から胸に唇が降りていくと、アンジェリークの
溜め息はもっと甘く、小さな喘ぎをともなって
ランディの耳元に届く。それが彼を掻き立て
まるで追い詰めるように響いていた。
胸の頂を唇に含み、舌で愛撫するうち
抱き締める細い指がランディの髪を乱す。
反り返った身体がタイルの壁にあたって、
アンジェリークが自然と身体を捩り、
後ろから抱かれる形になる。
彼の手の平は、忙しく彼女の身体を這い、
指が金色の叢から敏感な場所にそっと入っていった。
「ん」
彼女は眉を顰めて、声を上げそうになる
自分の口に手を当てた。
「アンジェ・・・
声」
「・・んんっ」
「声・・出しても平気だよ」
「ラ・・・ンディさ・・ま・・」
「もっと・・・聴かせて
君の、声・・・・」
金の髪に、襟足に、接吻を繰り返しながら、
ランディが囁く。
「あ・・・っ」
恋人を見上げる瞳が潤んで、訴えるように
唇が半分開いた。ランディは唇を合わせながら
ゆっくり身体を重ねていった。
アンジェリークは、バスタブに両手をかけて
揺られながら、快感で飛びそうになる意識を
手放すまいとして正面の鏡を見つめる。
つながったままで胸を這う手は彼女のより
ずっと大きく、支える腕は、ずっと逞しい。
オルゴールにチョコレートを隠すような彼なのに。
照れてはにかんだような表情をするとき
まだ子供のようにみえるランディ。
アンジェリークはそんな彼が愛しい。
そしてキスの途中から、
少年の瞳が、「男」に変わる瞬間も。
だから、「心配」しないで。
アンジェリークは全身でランディに応え、
いつもそう語りかけている。
いつか風の守護聖にも、わかるときが
来るだろう。どんなに激しく抱き締めても
きっと全て、彼女が受け止めてくれることを。
激しく揺れる身体を支えるために腕を伸ばした先に
シャワーのレバーが当たった。熱い湯が噴出す。
全身ずぶ濡れになりながら、かまわず愛し合う二人が
湯気でだんだん見えなくなる鏡に、まだ映っている。
|
 |
X
後日、ランディは育成に向かうアンジェリークを
渡り廊下でそっと呼び止めた。
「アンジェ!」
「あ、ランディ様、こんにちは!」
「君、もしかしてこのあいだ」
「はい。なんでしょう?」
「ええと。オルゴールのある部屋、入らなかった?」
さんざん考えた末、やっぱり彼女しかいないのではないか
と思い至った表情をしている。
アンジェリークはくすっと笑って、
悪戯っぽい光を宿した瞳で答えた。
「ええ。入りました。
ランディ様がお忘れのようなので、食べちゃいました」
「あああああ〜!やっぱりそうか!ひどいよ〜
ずっと大切にとっておいたのに」
わかってはいても、思いっきり落胆している
風の守護聖に向かって、彼女は言った。
「だって、ランディ様ったら。
いくらチョコレートが保存がきくって言っても。
手作りなんですから・・・生クリームやフルーツも
使ってあるんですよ」
涙目になってアンジェリークを恨めしそうに見る彼に
微笑む。「あんな保存の仕方じゃ、蟻さんたちが
寄って来ちゃいますし」と言いながら、辺りを
見渡すとすばやく頬にキスをした。
「今度は、ランディ様のお家で、ゆっくりお菓子
作って差し上げます」
ランディがぱーっと笑顔になったのにつられて
アンジェリークもまた、輝くように微笑んだ。
|
|
FIN
|