エルフェムとフィリアンの物語 

文 / 晶 様









太陽が沈む…
碧い海に吸い込まれていく巨大な炎は、しかし音も立てずに静かにその姿を消していく。
空は群青色に…
青い空に生まれたふたつの巨大な月は、まるで音も立てずに静かにその姿を現していく。
太陽と月に負けじと、燦々と輝き始めた星々は聖日の蝋燭のように。
大地と樹と全てを、渡り吹き抜ける風は聖母の微笑みのように。
葉の擦れあう音は天使の歌声。
波の音は楽園の楽隊。
祝福は、自分の周りにあった。
アンジェリークは満ち足りた微笑を浮かべて、ゆっくりと閉じていた瞳をあけた。
先ほどよりずいぶんと太陽が沈んでいた。潮風が頬に優しい。
「アンジェリーク?」
自分を呼ぶ愛しい声。他の人の名を呼ぶより、幾分艶のあるその声が、彼女は大好きだった。
「ランディさま」
振り返りにっこり笑う。ランディは持って来た夜衣を、座っている彼女の細い肩にかけた。
「まだ夜は冷えるよ」
「ありがとうございます。」
白いカーディガンを両手で抱きしめるように胸の前で固定する。ランディは彼女の横に座り、優しく肩を抱き寄せた。
椅子も何もない、ただ布を敷いただけの広いベランダ。コテージといっても1階建てのこじまりしたものだが、ここは二人のお気に入りの場所だった。
「何してたの?」というランディの問いに、「何も」と言って甘えたように彼の肩に頭を預ける。
「幸せだなって、思ってました。」
「…?」
「ランディさまがいて、心には憂いも何もない。」
出逢った頃よりずっと大人びた表情を見せる彼女に、ランディはその金色の髪に顔をうずめた。
「俺も、幸せだよ。」
今この時だけは、二人だけの世界。
住む世界も、互いの立場も、束縛も拘束も、自らを縛る誡めも何もない。
たった二人だけの世界。
その世界には愛だけがあればいい。
「あ!ランディさま、流れ星がたくさん!」
弾んだ声に顔をあげた。
すっかりと藍色になった空に、幾筋もの光の軌跡。ランディも嬉しそうに笑った。
「ほらアンジェ、願い事はした?」
「…ううん。だって、今こんなに幸せなのに、他に願い事をするなんて罰があたりそうだもの。」
恋人ははにかんだ笑顔を見せた。
「あの方角は、ガラドラム星座があるね。」
空の彼方を指さしてランディは続けた。
「分かるかい?ガラドラムの一等星、ロリスンを中心にして、台形ができるだろう?」
「あの…4つの星ね?」
「そう。上辺を5倍して東に進んだところには、ほら、竪琴の男が見える。」
「竪琴の一等星は?」
「エルフェム。あの青い星。」
この惑星の星座を勉強してきたランディは、次々と見える星座をアンジェリークに教えてあげた。
「西側には笛持つ乙女がいる。エルフェムから真っ直ぐ左下に視線を持っていって…」
指で幾つかの星をつないだ。特に輝きの強い星に手を止めて、
「笛持つ乙女の一等星が、そう、あれ。えっと…」
名前が思い出せない。ランディが首をかしげると
「赤い星、フィリアンね?」
にっこりとアンジェリーク。ランディは眉を上げて彼女を見た。
「知ってたの?」
「ううん。でも、エルフェムとフィリアンの物語をさっき読んだから…」
エルフェムとフィリアンの物語。
『奪う手』を持った竪琴を弾く戦人、黒髪の男エルフェムと、『与える手』を持った笛を吹く女神、金の髪のフィリアン。
エルフェムは光あたらぬ地底世界を支配し、フィリアンは天空を支配した。
エルフェムは力と限りないを闇を、フィリアンは深い知識と豊穣を人々にもたらしていた。
二人は決して相容れぬ世界の住人であり、エルフェムの日々の仕事といえば地底の悪鬼や幽鬼を支配し自らの力を増大させ、フィリアンは天空で歴史と時間を布に織り込んでいた。
出逢うことのない二人が出逢ったのは、偶然か必然か。
全能神サフィリアの使いで地上に降りたフィリアンと、地上の闘人ルギマルドを訪ねていたエルフェム。
ルギマルドが育てていた大樹エメルディの太枝で、夜一人竪琴を弾いていたエルフェムの見事な音色。誘われてフィリアンは自らの笛をその竪琴の音に乗せた。
近づきながら初めて目にする、猛々しくも繊細な、まるで星々の輝く冬のような黒色の瞳を持つ戦士の姿。
フィリアンの笛の音に驚きながらも、エルフェムもまた自分に近づく金の乙女を見た。
炎が翳る暗赤色の瞳、地底には無い雨上がりの朝焼けのような金色の髪。華奢な体からは命を吹き込んだかのように力強い笛の音色が流れ出している。
二人に言葉は要らなかった。そのまま唇を合わせ、深いキスをする。運命の出会いだった。
全能神サフィリアは予知していたのか…。
お互いの素性を知ってなお、エルフェムは地底を放り、フィリアンも歴史の乙女としての機織も止めて逢瀬を重ねた。
そして歪みが生じる。
エルフェムの重なる地上への意識拡散によって悪鬼らは暴走し、フィリアンも歴史を紡ぎ織る事を進めず、狂った時間がウルドもスクルドもヴェルダンディも世界を手放させた。
サフィリアは怒り、エルフェムの『神の力』を封じてしまった。一介の人間となったエルフェムはフィリアンと会うことが叶わない。
フィリアンもまた、サフィリアの首に繋がれた『時の牢獄』に封じられていた。紡ぐ乙女は貴重で、彼女は神格を剥奪されていなかった。
彼はただ、彼女といたかった。神格を剥奪されてもいい、『奪う手』などいらない。ただ彼女と引き離されたくなかった。
エルフェムはサフィリアですらも恐れ剥奪できなかった『奪う手』を支えに全能神と相対する事を決意する。
全能神サフィリアの前に来て、エルフェムはサフィリアの首下に囚われている彼女の扱いに憤慨した。
歴史を紡ぎ、時を管理し、なによりサフィリアの寵愛を受けていた彼女は今、サフィリアの時の召し囚人と成り果てているのだ。
エルフェムは怒り、サフィリアに挑んだ。『奪う手』の力だけの、まるで勝算の無い戦い。
しかし彼には考えがあった。全能神の力の源、リヴィールの首輪を壊せばよい。サフィリアの首に輝く玉さえ破壊すれば、サフィリアも今のエルフェムと同等の力しか残らないだろう。
エルフェムには『奪う手』がある。
自信はあった。サフィリアを叩けば、自分はフィリアンと共にいられる。
『奪う手』がサフィリアの首に近づく。エルフェム自身の体躯より何倍も巨大な『奪う手』がリヴィールの首輪に触れた。捕らえた獲物を一気に握りつぶす!
そして小さな悲鳴。
エルフェムがそっと手のひらを開けると、そこには無残に砕けた『時の牢獄』と、弱々しい微笑を浮かべる最愛の人の姿。
エルフェムは絶叫した。フィリアンは、全能神サフィリアを失うわけにはいかない事を分かっていたのだ。この世は自分のせいで正常な時間を失くしてしまった。だからこそ、サフィリアの力が必要なのだ。
フィリアンは最後の力を振り絞り、エルフェムの『奪う手』を自分の獄に向けさせた。
「泣かないで、エルフェム。私は愛するあなたに殺されて本望です。」
フィリアンが彼の頬に流れる涙をそっと拭う。その伸びた手がぱたりと落ちた。エルフェムはだんだんと冷たくなるその体を抱きしめて離さない。
サフィリアは重々しく告げる。
「エルフェム、我に反逆した罪は重く、また時の乙女を失った損害は計り知れない。」
全能神の追放の言葉。
「俺の命で償えるなら。」
エルフェムはただ真っ直ぐに罰を受ける事を決めた。自分の『奪う手』で、愛するフィリアンの命をも奪ってしまったのだ。
フィリアンの体を抱きしめたまま目を閉じた。一瞬の閃光。そうしてエルフェムの体も闇に落ちた。
サフィリアは自らと引き換えに自分を庇ったフィリアンの胸元に手を置いた。ただそれだけで、彼女の瞳がゆっくりと光を映しはじめる。
「お前は紡ぐ乙女だ。まだ逝くには早い。」
目を覚ましたフィリアンは、自分を抱きしめたまま黄泉に旅立ってしまった恋人を見つめた。
「エルフェムは罰を受けた。目覚めることは無い。そしてお前はエルフェムの命の続きを紡ぐのだ。」
サフィリアの言葉を聞いて、フィリアンは大粒の涙をこぼした。自分のこの呼吸は、エルフェムのもののはず…。
フィリアンは『与える手』で彼の冷たい右手を優しく包んだ。祈りを捧げるようにその手を額をつけて、
「私の希望はこの方です。この方が生きていてこそ、私は輝き、歴史を紡いでいけます。この方がおられない世界を紡いで、私になんの幸せがあるでしょう?」
そう言ったフィリアンの体が光につつまれた。
「私に受けられた恩寵を、この方に捧げます。」
サフィリアはただ黙ってそれを見ていた。
フィリアンを包んでいた光が、『与える手』を通じてエルフェムの体に移っていく。
すっかり光が消えた頃、今度はエルフェムが動かないフィリアンを見つめていた。
「我が与えた新しい命を、フィリアンはお前に返した。」
「…なんだって?」
「一度は罰を受けた身だ。これでお前の前世と、フィリアンの尊い犠牲により歴史は再び動き出す。」
魂と時間の採算がとれた今、サフィリアには罰を下す人物は誰もいない。
それから長い時間をかけて、二人は星になった。
「一説によると、8千億個の星の光を注ぐと失った命が戻るんだって。だからいつも竪琴の男から笛持つ乙女の方角に向かって星が流れてるんだ。」
「エルフェムが、フィリアンに星を贈っているって事?」
「うん、そうだろうね。」
こうしてアンジェリークとランディが空を見上げている間も、一つ二つと星が流れていく。
「…でも俺だったら、与えられた命を吹き込んでほしくないなあ…」
「え?」
ランディはアンジェリークの肩に回した手に、少し力を込めた。
「俺がエルフェムだったら、息を吹き返したフィリアンにはそのまま自分の人生を生きててほしいよ。」
「ランディさま…」
「愛する人には生きていてほしい。だからこそ自己犠牲をはかってほしくないんだ。誰かによって生かされた本人は、すごく苦しいことだと思うから…」
アンジェリークもランディの背中に腕を回した。
「私もですよ、ランディさま」
一度きゅっと抱きしめてから、彼の顔を覗き込む。
「私も、愛する人には生きていてほしいって思います。だって、ランディさまが私のために命を落とすなんて、そんなこと絶対嫌ですもん!」
「…でも俺は守護聖で、女王の君を守る立場にあるんだよ?」
くすくすと笑ったら、アンジェリークに額をこずかれた。
「そんなのは嫌です!…ねえ、ランディさま。それなら私は女王で、みんなを守る立場にあるんですよ?」
緑の瞳が、微かに潤んだ。
「何があっても、どちらがどちらを庇っても、ランディさま、生きてくださいね?」
「…アンジェ…」
「私を守って、私の為ために生きてください。」
真剣な表情に、ランディはそっと彼女の額にキスを贈った。
「俺もだ。俺のために、生きていてくれ、アンジェリーク。」
「約束します。決して、あなたを苦しませないと。」
「俺も約束する。君に重荷は背負わせないと。」
ふたつの月が天空で重なった。一際明るい月光が二人を照らす。
ランディの手が、闇の中から映し出された彼女の白い肌を這う。吸い付くようなみずみずしさに、彼の皮膚が喜びをあげた。
キスを繰り返す唇を離し、ゆっくりと彼女の夜衣を脱がせていった。
二人の体がそっと床に倒れ、アンジェリークはランディの愛撫を受けながら彼の上着の下から手を差し入れていった。
エルフェムとフィリアンの物語は、二人の心に深く突き刺さっていた。
命の剥奪贈答は、現実に起こりうることではない。でも、誰かを庇い死することはある。
フィリアンは愛しい人のため、自らの命を捧げた。そうして生き返ったエルフェムの苦悩のことなど考えずに…。
愛するがゆえの愚行。
ランディもアンジェリークも、自分のために誰かが命を落とすのは嫌だった。
本当に愛する人のためなら、その人を庇っても自分も共に生き抜くべきだと思うのだ。
「…あ、あ…!」
アンジェリークの鳴き声が、二人だけの世界を揺らす。
ランディの愛撫は止まらず、さかんに自分を攻め立てる。
アンジェリークは涙をたたえた瞳で自分を見下ろすふたつの月と、その奥で見え隠れする二つの星、エルフェムとフィリアンを見た。
エルフェムから幾筋もの光の軌跡を作って流れていく星。エルフェムから、フィリアンへの贈り物。
アンジェリークは喘ぎながら流れる星を想って目をつぶった。
―エルフェムの願いはフィリアンの命。その願い星に私の願いも乗せられるなら、たったひとつ。
 愛する人と共に生きて、死ぬこと…ただそれだけです―
ランディが彼女の名前を呼ぶ。アンジェリークはそれに答えようとしっかりとランディにしがみついた。
流れ星は留まることなく降り続いた。これまでも、これからも……。






晶さんのサイトのキリ番17777HITをゲットして『夏らしい爽やかなちょっと大人な甘々』のお題で書いて頂いたお話ですv星座のお話を通じて、愛するものの為に生きて欲しいという願いを確認しあい、約束を交わす2人が 大人な関係で素敵ですよね(*^^*) そして、流れ星の愛をも交わし・・・キャ〜〜、ロマンティックv 晶さんらしい魅力満点の素敵なお話をありがとうございました!
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03/05/02up