追悼:Claudio Abbado

 

永遠なれ、Claudio !

 クラウディオ・アッバードはある談話のなかで、自分は幸せな人間だと述べている。第一に、自分の好きなこと、音楽をずっと仕事にしてきた、第二に、世界的に重要なできごとが、自分にとって好ましい時期に起こった、と。実際、アッバードは若い頃からずっと、音楽に自らのすべてを捧げ尽くしてきた。しかも、必要とされるときに、まさに自分のいるべき場所にいた。ヨーロッパで改革の嵐が吹き荒れた1968年に、スカラ座の音楽監督に就任し、音楽の上でも、社会的な面でも、信ずるままに新しい試みを実現していった。それは、今の我々が考えるよりも遙かに革命的なことであったに違いない。八十年代後半にはヴィーンに居た。ここでも彼は限界ということを知らず、伝統に縛られず、まさに「壁に穴を開ける」ように新しいことに挑戦した。1989年、ベルリン・フィルの音楽監督に選出された途端に、ベルリンの壁が崩壊した。そのあと彼がベルリンで何を成し遂げてきたか、敢えて言挙げせずともよいであろう。そして、病のために活動を縮小せざるを得なくなったとき、彼は長年の夢をかなえて、ルツェルンで巨大な室内楽ともいえるアンサンブルを結成していた。アッバードはつねに、ふさわしい時期に然るべき場所にいた。
 限界を知らなかった。偏見を持たず、いつも心を開いて、新しいものを探求しようとした。つねに未来を見ていた。音楽を愛し、惜しみなく与え、そして愛された。
 アッバードは私たちに、音楽を通して、世界は生きるに値すること、信じるに足るものがあること、人生はかくも美しいこと、を教えてくれた。アッバードの音楽によって生きる喜びを知った人が、どれほどいることか。
 どうしてそのようなことが可能であったのか。アッバードの音楽のもたらす至福は、私にとっては一つの奇跡であった。『トリスタン』であっても、マーラーの第九番であっても、『ヴォツェック』であっても、彼の音楽はつねに生の方を向いていた。
 最後に指揮したのはブルックナーの交響曲第九番。その数箇月後に、アッバードは静かに旅立った。最後まで見事に全うした、美しい生涯であった。
 まだどこかにいるような気がする。そう、アッバードという人間も、音楽も、私たちの心にいまだ生き続けている。
 ありがとう。永遠なれ、クラウディオ。

死とは生の一部であると私は信じています。私たちは死と呼んでいますが、死とは生であり、私たちの実存の一つの側面にすぎないのです。

 クラウディオ・アッバード(2008年6月8日付La Repubblica

 

(2014年1月24日 辻野志穂 識)

 


Top > 編集後記

 

Claudio Abbado資料館
Copyright(C) 2000-2014 Shiho Tsujino