01.09.19
卑怯な待駒
まちごま【待駒】
将棋で、詰めの際、相手の王の逃げ道を予測して前もって駒を打っておくこと。また、その駒。転じて、事に備えて前もってする手配り。
国語大辞典(新装版)小学館 1988
小さい頃、親父や兄貴と将棋を指した。たまに。
私は、待駒ばかり打つ癖があって、
「数手先を考えないで打つような待駒は卑怯なんだぞ。
そんな手ばかり打ってると、卑怯な人間になるぞ」
と怒られた。いつも。
で、将棋は嫌いになったわけだが、
同時に「待駒」的なことも嫌いになった。
まさに、教育の賜物。
例えば、喧嘩。
「時間が経てば、どちらともなく歩み寄るだろう」
みたいな考え方は、これは卑怯な待駒だ。
っていうか、こういう考え方をする奴ほど、
自分から歩み寄ることをしない。
「いずれ仲直り」という駒だけ打っておいて、あとはほっぽらかし。
ズルイ。
例えば、自分探し。
「自分探しのために大学に行く」「自分探しのために旅に出る」
って人が、自分を見つけているようには思えない。
「自分探し」という、角みたいにかっこよさげな駒を打つけど、
動かす気配なし。
しかも「角道ふさがってますよ、歩で」みたいな状況。
とは言え、ふと気がつけば、
待駒すらできない今の自分の状況。
持ち駒が、ナイ。
歩すら、ナイ。
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