01.09.11
夢の住人
将来、どんな風な生活をしていたいか、と思い描く事はできるだろうか。
大金持ちになって豪遊している自分を想像する人もいるだろうし、
愛のあるマイホームを思い描く人もいるだろう。
そういう、将来の夢こそが、
「その人の柱」なのだと思った。
言動、性格、服装などなど、
すべてはその柱から派生しているものなのだ、と、ここで極論してみた。
例えば、私。
私は、将来作家になりたいの。
マンションの一室に仕事場を構えて、
一日キーボードの前に座ってたい。
イメージは、星新一とか、山田太一みたいな感じがイイ。
私が、「私」なんて自称するのは、作家みたいでカッコイイから。
私が、恥ずかしげもなく金なしアパート生活なのは、作家ならそういう経歴もアリかな、と思うから。
私が、偏屈な自分を治そうとも思わないのは、作家ってそういうものじゃないの? という認識から。
といった感じで、私は「作家になりたい」という「柱」を中心にして、
枝葉を微調整しつつ、年月を重ねている。
私だけではなく、皆さん、それで説明がつくのでは、と考える。
で、何が言いたいのかというと、
「柱をすげかえるのは不可能」ということ。
柱は、太くする事もできれば、細くなる事もある。
物陰に隠れて見えなくもなるし、ガシガシ磨けば黒光る。
でも根本的には無くならないし、挿げ替えもできないんじゃないかな、と。
私的な希望も多分に含まれているけれど、そう思いたくなったって話。
自分に対しても、他人に対しても。
もっとぶっちゃけて言えば、
「分別ある大人」の柱を昔から持ってたわけないだろ、ってこと。
急に、過去の全否定&世の中なあなあトークされても、困るよ。
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