01.07.06
そうだとすれば


私の心の本、『路上のボールペン』。
山田太一著、エッセイ集である。
その中から、抜き書きをしたい。


「だから」という言葉に偏見がある。
「だから、こうこうなのです」というような人の言葉を聞くと、
「だから」という部分だけ突出して聞こえて、
「そうだとすれば」といえばいいのに、と思ってしまう。


山田太一は、「だから」と「そうだとすれば」の言葉が
心に残ったいきさつを、本の中で書いている。
中学生時代の恩師の影響らしい。
著者は、断定癖の強かった自分を、「そうだとすれば」という
言葉と出会った事で、おおいに見直させられたという。

私も、断定癖が強い。ひどく強い。ものすごく強い。
「いい」とか「わるい」とか、自分は直感的に決め付けるくせに、
人がいう「いい・わるい」が自分の意見と食い違う時、
かなり自信たっぷりに「わかってないなあ、だからさ……」みたいな口をきく。

が、やっと最近、人それぞれの価値観というものが見えてきた。
見えてきた理由は、貧乏してるからなのだと思う。
貧乏をしていると、人からの説教や侮蔑などをよく受ける。
「ほっとけ」と思う。
その「ほっとけ」こそが、
他人との価値観の違いを自分の中で肯定している証拠なのだと思う。
「あなたはあなた、私は私。私はあなたに干渉しないから、あなたも同様にヨロシク」
といった具合。

貧乏話はともかくとして、
人の価値観は、尊重すべきだと思うようにしている。
こちらと正反対の考え方でも、そうやってその人は生きている。
必ず、なにかしら学ぶ事はある。
かといって、自分の価値観すべてを他人にあわせることはなかなか出来ない。
あわせたくもない(ここらへんが、まだまだ傲慢な未熟者)。

自分が思うことを言う時も、人の意見を聞くときも、
「だから」という姿勢ではなく、
「そうだとすれば」といった心持ちを保つ事が出来れば、
いいなあ。

と、この本をはじめて手にした高校生の頃から思っているはずなんだけど。
気がつけば「だから」を連発している自分。
ん。
今日からまた「そうだとすれば」を心がけよう。





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