日出乾坤輝

 師走に入って間もなく、京都の本山から、広報誌編集委員の招集がかかり行ってまいりました。いつもでしたら新幹線で行くところを、かさばる荷物がありましたので、車で行くことにしました。ただ、少々体力的に不安がありましたので、家内に運転を任せ、それならばついでに、金閣寺(鹿苑寺)に参拝しようということになりました。

 なぜ金閣寺かというと、実は、この年になるまで、一度も行ったことがなかったからです。我々の地域ですと、小学校の修学旅行で必ずといっていいほど行っているはずですが、ご存じのように、昭和二十五年に放火によって全焼しており、五年後には再建はされましたが、まだ間もないということで、多分、外されたのだと思います。また、学生時代を京都で過ごしながら、どういう訳かこれまで縁がなく、今回、念願叶っての参拝と相成りました。

 行かれた方は当然ご存じとは思いますが、方丈の北側に建てられている書院の庭に、京都三松の一つに数えられている「陸舟の松」があり、これには、当の金閣よりも感動を覚えました。因みに、後の二つは、大原の宝泉院の五葉松と、西山の善峰寺の「遊龍の松」だそうです。

 なんでも、この五葉松は、舎利殿(金閣)を建てた足利義満の盆栽から移植されたもので、樹齢六百年といいますからたいしたものであります。帆掛け船の形に仕立てられ、舳先は、西方浄土の方角である西を向いているとのことです。

 ガイドの方の解説に耳を傾けながら、しっかりと根を張り、完璧なまでに刈り込まれたその松の立ち姿を見ていましたら、「松樹千年翠」という言葉を思い起こしました。床の間の軸に飾られることの多い言葉ですので、目にされる機会も多いかと思いますが、「春・夏・秋それぞれに、花・新緑・紅葉と美しさを見せる樹木に、とかく目は移ろいやすいが、松は千年も変わらぬ緑をたたえている。松は、そのように不断・不易の法を説いているが、世人は、一向に気づこうとしていない」という意味になりましょうか。

 松は、寒風吹きすさぶ季節、冬に似合う樹ということがいえます。岩肌を見せる荒れ地にあっても、雪が積もっていても、ときにはその重みに耐えかね枝折れしても、そのそぶりさえ見せぬ松は頼もしく立派です。百年に一度の大不況といわれている昨今、松樹から学ぶことは多くありそうです。

 また、長寿・繁栄を願うということから、松は正月飾りになくてはならないものですが、「松樹千年翠」の墨跡も正月に相応しいものです。ただ、その出典は不明で、おそらく、『続伝灯録』巻三十五の「松柏千年青、不入時人意、牡丹一日紅、滿城公子醉」(松柏の千年常に変わらぬ青は、世の人々には気に入らない。牡丹の一時の艶やかな花に、満都の貴公子達は酔いしれる)から来ているものと思われます。

 もう一つ、正月に相応しい言葉として、表題に掲げました「日出乾坤輝」を紹介させていただきます。典拠『古尊宿語録』には「日出乾坤耀、雲收山岳青」とあり、「日出でて乾坤輝き、雲収まりて山岳青し」と読むことができます。

 乾坤というのは易の卦で、「乾」は天・陽などを表し、「坤」は地・陰などを表し、「天地」「陰陽」「上下」「前後」といった意味に使われます。のるかそるかの大勝負に出る意味で使う「乾坤一擲」も、ここでの意味も「天と地」であります。ですから、「太陽が出て、天地は光り輝き、雲も消え失せ山々が青々と見える」ということで、必ずしも元朝の日の出というシチュエーションでなくてもよいわけですが、晴れやかで、胸のすく景色が目に見えるようであります。色紙とか賀状に書く場合は、単に「乾坤輝」と短くすることもあるようです。

 ただ、本来この言葉は、仏が智慧の光でもって、無明の闇を照らし、真理をあらわにすることを、比喩的に表現されたものであります。これまで、靄とも雲ともつかぬ煩悩が覆い被さっていたのが、真理会得によって一気に晴れ渡り、澄み切った心持ちになったことを表しています。これは禅の言葉であり、真理会得というと大仰でありますから、普段の生活の中での、疑問や悩みの解消ととらえても良いかと思います。

 さすれば、新しい年を迎えるに当たって、思い煩うことは綺麗さっぱりリセットして、昇りゆく希望に光り輝く元朝の日を拝したいものであります。そして、大事なことは、世界が輝いて見えるのは、実は、自分が輝いているのだと気づくことにあります。

(2009/12/18)