お盆に

 さる七月一日、中国の蘇州市で開催されたユネスコの世界遺産委員会において、熊野古道が、世界遺産として登録をされることになりました。

 熊野古道というのは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に詣でるための道であります。大自然の中にある、神々の住むといわれる聖地熊野へ、厳しい道を乗り越えて詣でることで、来世の幸せを神々に託すという信仰により生まれた道ということであります。

 明治政府による神仏分離政策以前においては、熊野本宮は阿弥陀如来、那智社は千手観音、速玉社は薬師如来が、それぞれの本地とされていました。つまり、仏・菩薩が衆生済度のために、仮の姿をとってあらわれた(権現)とする、本地垂迹説が主流でありました。ですから、熊野古道は、極楽浄土にいる亡き先祖に会いに、あるいは、諸々の祈願のために、あるいは、病気平癒の願いの中から生まれた道でもあるといえます。

 地元の経済効果の期待度が、ややヒートアップ気味なところは、少々気になるところではありますが、こういった、文化遺産を見直し、保護していこうという動きの高まりは、とかく指針を見失いがちである昨今、歓迎すべきことであります。

 話はかわりますが、菅直人前民主党代表が、四国霊場へ遍路の旅に出ているとのニュースを聞き、公式サイトをのぞいてみましたら、七月十五日付の日誌に「今日からしばらく旅にでる。この3ヶ月間、(中略)個人的にも政治的にも大きな出来事が続いた。今後何をするにしても、その前に一度立ち止まって、自分自身を見つめなおす時間が必要。」とありました。

 この四国霊場というのは、今からおよそ千二百年前に、弘法大師空海が開かれた霊跡で、人間には、八十八の煩悩があり、八十八ヶ所の全霊場を巡ることによって煩悩が消え、願いが叶うとの信仰によるものです。

 全行程約千四百五十キロ、四国を一周する巡拝は同行二人、つまり弘法大師と共に心身を磨き、大自然の中で生かされている自分自身を見つめ直す修行の旅とされます。

 こちらの遍路の道は、熊野古道のような文化遺産としてではなく、菅直人氏しかり、いろいろな人が、いろいろな思い、願いで、現在も絶えることなく歩き続けられている道であるといえます。

 ともあれ、熊野古道にしても四国遍路の道にしても、神的なもの、霊的なもの、見えないものとの出会いを求め続ける中から生まれた道であります。道には、経済の道、工業の道、生活の道等々、実にさまざまな道がありましょうが、人間には、見えないものとの出会いを求めるための道も、必要なのであります。

 物事を合理的に考える人、たとえば科学者などは、こういった事象を冷たい目で見がちであると思っていました。ところが、先頃見たテレビ番組で、驚いたことがあります。あの発明王エジソンが、霊と交信する機械を作ろうとしていたというのです。エジソンが、どんな思いでそのようなものを作ろうとしていたのか分かりませんが、興味深いエピソードではありませんか。

 ところで、この夏も、全国津々浦々で、盆踊りが開催されます。有名なものでは、岐阜の郡上踊り、徳島の阿波踊り、沖縄のエイサー、身近なものでは、地元町内会のものやら、地元議員主催のものやら、商店街主催のものやら、さまざまあります。これら盆踊りは、親睦のため、票田の開拓、客集めのため、あるいは、観光化され、現在では、娯楽行事のようになっています。しかし、本来は、お互いの顔が分からないような薄暗い中で、霊たちと接触を持つための踊りなのであります。その目的は、それぞれの家庭の盆棚で祖霊を迎え歓待し、無縁の精霊にもすそ分けの施しをし、最後に、子孫やこの世の人とともに楽しく踊って、あの世に帰ってもらうためのものです。

 このお盆、どうか、霊との出会いを大切にしていただきたいのです。指針を見失っているとき、目に見えるものだけしか見ていないものです。見えないものを見ようとしたとき、力が生まれます。先祖の霊は、なにがしかの力を与えてくださるはずです。

(2004/7/18)