あづかれる宝

 さる七月一日、長崎市郊外の家電量販店で、家族と離れてゲームソフト売り場いた四才の男の子を言葉巧みに誘拐し、約四キロ離れた市中心部の立体駐車場に連れて行き、あらかじめ用意していたはさみで脅すなどして全裸にし、体を傷つけたうえ、屋上から投げ落として殺害するという、何とも痛ましい事件が起きました。

 商店街の防犯カメラが決め手となり、犯人は、中学一年生、十二才の少年であったということがわかりで、日本中が震撼をし、いろいろな方面で波紋を呼んでいます。

 すぐさま、政府は、沖縄でも中学生による暴行殺人があったばかりであり、このように頻発する青少年犯罪に対し、「青少年育成推進本部」副本部長の鴻池防災担当大臣を中心に、対応策をということで、会議を開きました。その後の記者会見で、鴻池氏による問題の発言が飛び出しました。

 「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ。親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と、この問題を中心的に対応すべき組織の責任者が、遠山の金さんや水戸黄門ではあるまいし、このような時代劇まがいの発言をしたとして、「法治国家の大臣であるということが信じられない」とか「魔女狩りのようなもの。見せしめによる制裁からは何も生まれない」などと批判が集中しました。

 そこで、鴻池氏のホームページを見ましたら、この件に関し、七月十五日現在、五一〇〇件の意見が寄せられ、内訳は、支持八五%、不支持一五%であったとあります。これは、支持・不支持の割合が逆ではないかと思うのですが、いかがでありましょう。これだから、政治家のいうことは信用されないのでしょう。

 ともあれ、大人たちが、ああだこうだといっている最中にも、子どもたちは、我々の想像をはるか超えたところに、既にいるようです。十七日に、またとんでもないニュースが飛び込んできました。

 十三日に自宅を出たまま行方不明になっていた東京都稲城市の市立小学校六年の女子児童四人が、十七日昼過ぎ、港区赤坂のマンシ
ョンで、手錠姿で見つかったというのです。しかも、室内には男性の死体があったという謎めいた事件です。女子児童は「いいバイトがある」などと話していたといい、どうも、売春がらみの事件のようで、小学生が、こんな事件に巻き込まれるこの現実、どう理解したらよいのでしょうか。

 先の、男児誘拐殺人を犯した少年の両親は、漏れ聞くところによると、一度離婚をし、その後復縁したといいます。少年は、小学校高学年のころから、放課後まっすぐ家には帰らず、毎日のように、ゲームソフト店の無料コーナーでゲームに熱中し、友人が帰宅しようとするとその腕を取り、「もう少し一緒に」と引き留めることも多かったとか。犯行に及んだその日も、午後九時を回っていたということですから、家庭は安住の空間ではなかったのでしょう。

 「最近の母親は、子どもに何も教えていないのだろうか?」

 これは、公安事件で刑務所に送られてくる学生たちを直接担当している刑務官の共通した声だそうです。布団のたたみ方を知らない、どんどん水を流すだけで、顔の洗い方も知らない。食事作法もなっていない。親は、ただ寝かせ、ただ食べさすだけであったのかと。

 しかし、三か月もみっちり指導すると、もともとはよい子なのでしょう、たいていは模範囚になるそうです。

 話はかわりますが、当方の寺の周辺の道路に、このところ、食べ残しの弁当やスナック菓子といっしょに使用済み紙オムツの入ったコンビニのビニール袋が、しばしば捨ててあります。深夜に捨てていくようで、その都度、朝の掃除の折に片づけているのですが、クマのプーさん柄の可愛い紙オムツは、まだ乳飲み子くらいのサイズしかなく、いったいどんな親が、どんな状態でこの子は育てられているのかと思うと、腹が立つというより、悲しくなってきます。

 美智子皇后が、

  あづかれる宝にも似て
  あるときは吾子ながら
  かひな畏れつつ抱く

と、皇太子をお育てになるときに、詠まれています。

 そう、子どもは、仏さまからのあずかりもの、親が、大人たちが大事に、大事に守り育てていかねばならないでしょう。

(2003/7/18)