七不退法

 仏教興起時における中インドに、アジャータシャトル(阿闍世)という、マガダ国の王(在位前四九一頃〜四五九頃)がいました。彼は、仏典に登場する幾多の人物の中でも、ひじょうにドラマチックな経歴の持ち主であります。

 父はビンビサーラ(頻婆娑羅)王、母はヴァイデーヒー(韋提希)であります。伝説によると,父王に子供がなかったので、占い師に問うと、一人の仙人が死後、王の太子として再生すると答えたので、王は待ちきれず、その仙人を捜して殺害してしまいます。かくして生れたのがアジャータシャトル(未生怨)であるというのです。

 長じてこの太子は、ブッダ(釈尊)にそむいたデーバダッタ(提婆達多)にそそのかされ、父王を獄中に幽閉してしまい、ついには餓死させて王位につきます。在位期間中、周辺の敵国を併合してマガダ国を一大強国としますが、父王に対する自分の行為を悔いて、大臣ジーヴァカ(耆婆)のすすめでブッダ(釈尊)に会い、仏教の熱心な帰依者となりました。

 ブッダ(釈尊)は、この王の在位第八年の時に入滅されますが、その遺骨の一部を得て、都のラージャグリハ(王舎城)に仏塔を建立し、またラージャグリハ郊外で開かれた第一回仏典の結集のときには、必要な資材の一切を供与し、援助したといわれています。そして、三十二年の統治ののち、王子のウダヤバドラに殺されたとも伝えられています。

 そのアジャータシャトル(阿闍世)とブッダ(釈尊)には、こんな逸話が残されています。

 ある時、マガダ国の大臣ヴァッサカーラ(雨行)が、アジャータシャトル(阿闍世)王の命によって、ブッダ(釈尊)を訪ねてきました。そして、言上しました。

 「王は、今、断じてヴァッジ族を討たんとの意図でございます。つきましては、そのことにつき、なんぞ世尊の仰せごとあらば、われにもたらし伝えよとのことでございました。」

 討伐の是非という、なんとも、物騒な諮問であります。ところが、ブッダ(釈尊)は、それには何も答えることはせず、うしろから扇で風を送っていた弟子のアーナンダ(阿難)を顧みて問いかけました。

 「アーナンダよ、このごろもヴァッジの人々は、よく集会を営んでいるだろうか。」

 「世尊よ、彼らは、今もよく集会を開き、集まりもよいと聞いています。」

 「そうか。集会がうまくいっている間は、ヴァッジには繁栄が期待せられる。衰え滅びる心配はあるまい。ところで、アーナンダよ、彼らは、今もよくなすべき義務を果たしているだろうか。」

 「世尊よ、彼らは今も、力をあわせて、なすべき義務を果たしていると聞きます。」

 「そうか。彼らがよく為すべきことを為している間は、ヴァッジは栄えるであろう。衰え滅びる心配はあるまい。では、アーナンダよ、彼らは、昔からの掟に、今でも、よく従って暮らしているだろうか。」

 「世尊よ、彼らは、定められたことを破らず、ふるい掟によく従っているように聞いております。」

 「そうか。それがうまくいっている間は、彼らは栄える。滅亡のおそれはない。」

 そのように続けて、ブッダ(釈尊)は、ヴァッジの人々が、古老の尊敬、婦女子の保護、祖廟の崇敬、聖者の尊重についても、それぞれいかに振舞っているかを、アーナンダに問いかけ、ヴァッジ族には、繁栄が期待され、衰亡のおそれがないと、裁断したのでした。

 大臣ヴァッサカーラ(雨行)は、その仔細をアジャータシャトル(阿闍世)王に報告をし、王はヴァッジを征服することを断念したといいます。

 さて、世界には、たくさんの民族があり、そして、それぞれの栄枯盛衰がありました。今も、討ち栄えようとしている民族もあれば、その存亡の危機に立たされている民族もあります。

 ブッダ(釈尊)がアーナンダ(阿難)に問いかけた七つの内容は、「七不退法」と名づけられています。民族の繁栄に関する七か条ともいうべきもので、イラクや北朝鮮ばかりではなく、わが日本においても、その一つ一つを照らし合わせて、考えてみる必要がありそうです。さらには、わが家庭に置き換えてみると、いかがでありましょうか。

(2003/1/18)