般若湯(はんにゃとう)

 明けまして、おめでとうございます。本年も、なにとぞ宜しくお願い申し上げます。

 さて、忘年会から新年会へと、お酒を飲む機会が多い時節柄であります。ところが、左党の方々にとっては、厳しい風が吹き荒れている昨今のようであります。発泡酒やワインの酒税が上がるようですし、飲酒運転をしたら、即三十万円の罰金ということですから、気持ちよく、酔ってはいられない状況のようです。

 仏教において、酒は、不飲酒戒(酒を飲むなかれ)というのがあり、不殺生戒(殺すなかれ)・不偸盗戒(盗むなかれ)・不邪婬戒(邪な男女関係を持つなかれ)・不妄語戒(嘘をつくなかれ)と共に、在家信者が保たねばならない五つの戒(習慣)の一つとして挙げられているくらいですから、罰金云々どころではなく、まったくダメということです。禅寺の山門に「不許葷酒入山門」(葷酒山門に入るを許さず)という石柱が立っているのを、見かけたことがありませんでしょうか?

 「葷酒」は、ねぎやにらのような臭い野菜と酒のことです。余談ですが、臭い野菜は、精力がつき、余分な精力がつくと、不邪婬戒を犯す危険性があるということで、禁じられたわけです。

 仏典によると、釈尊は、ナンダカという在家信者に、「飲酒には三十五失あり」と説かれ、飲酒を戒めています。列挙しますと、次のようになります。

(1)現世には財物がつきる。人が酒に酔うと、とかく節制ということにゆるみがくる。そのために無用の財を費やすからである。
(2)衆病の門である。飲酒による病気はほとんど無数である。
(3)闘争のもとである。飲酒の結果、他とけんか口論の醜態を演ずることが多い。
(4)裸体になって、しかも恥とも思わなくなる。
(5)醜名を馳せ評判を悪くする。
(6)正しい知恵を覆いかくす。
(7)当然得られるべき物を得ず、すでに得たものは散失する。
(8)秘密に属することを、ことごとく口に出す。
(9)その人の生業が立ち行かなくなる。
(10)酔うと失敗を重ね、さめて後はざんぎ憂愁の種となる。
(11)能率が低下する。
(12)健康が害される。
(13)父を敬うことを知らなくなる。
(14)母を敬うことを忘れる。
(15)僧をあなどるようになる。
(16)バラモンを尊敬しなくなる。
(17)長者や先輩に対して尊敬の念を欠く。
(18)仏を尊敬しなくなる。
(19)法を尊敬しなくなる。
(20)僧を尊敬しなくなる。
(21)悪人と結党するようになる。
(22)賛善の者を遠ざける。
(23)破戒の者となる。
(24)ざんぎの念なき人となる。
(25)欲情が制せられなくなる。
(26)異性に対して放逸になる。
(27)他人から憎まれ、きらわれる。
(28)親族や友人からきらわれる。
(29)よからぬ行為が多くなる。
(30)よい行為を捨てる。
(31)明智ある長者の信用を失う。
(32)涅槃から遠ざかる。
(33)狂暴痴態の因縁となる。
(34)この世では短命で未来は地獄に落ちる。
(35)万一再び人間に生まれても狂暴の者となることを免れぬ。

 また、釈尊は、次なる飲酒を戒める偈も説かれています。

 酒は知覚を奪い去る、
 健康ために害せられ、
 心は乱れ智は劣り、
 物の識別にぶるなり。

 ざんぎのこころ麻痺すれば、
 嗔心うたたいやまして、
 その身はおろか家門まで、
 われと我が身をやぶるなり。

 飲酒というもその実は、
 死毒を飲むに異ならず、
 あるいはいかりまた笑う、
 みなことごとく狂態なり。

 打つべからずを打ちのめし、
 機密まもらずうち洩らし、
 功徳の種を奪いさる、
 かぞうにあまる酒の害。

 以上、酒は、時として正気を失わせ、「気違水」とも呼ばれるくらいですから、仏教では、本来、飲んではいけないことになっています。しかし、僧の間で「般若湯」といえば、酒の隠語であるということは、よく知られているところです。「般若」は「智慧」という意味で、さしずめ「智慧水」ということになります。『大日経疏』の「智慧慈悲水」が、その基になっており、不飲酒戒をはばかっての造語のようです。今日、不飲酒戒は無理にしても、飲むときには、「気違水」にならぬよう、せめて「智慧水」になるような飲み方を心掛けたいものです。

(2002/12/18)