手の甲ペロリ

 わたしどものところに、この五月で五才になる、オスの小型犬(シーズー)がいます。五年もいっしょに生活していますと、われわれの毎日の生活のパターンを、おおかた理解しているようです。そして、こちらの行動を四六時中観察していて、われわれの様子やちょっとした仕草から、次に起こるであろうことを察知し、先回りして行動に出たり、催促したりします。

 彼が、日常の中で楽しみにしていることといえば、先ずは、食事、散歩、そして、遊びがあります。

 先日のことです。夕食後、いつも遊んでやっているものですから、「ごちそうさま」をし、二階へ行こうと腰を上げるや、もう、彼は階段をのぼり始めていました。ところが、勢いよく駆け上がったものですから、最上段手前のところで、ズルッと足を滑らせ、後ろ足が伸びきって、一瞬、前足でぶら下がるような状態になってしまいました。わたしが、ちょうどすぐ後ろにいましたので、間髪を入れずに抱きかかえてやり、なんとかことなきを得ました。

 その後のことです。

 そっと下に降ろしてやり、頭を撫でてやりながら、「危なかったなあ」と声をかけると、それに返事をするかのように、わたしの手の甲をペロッと嘗めました。

 人間のような言葉を持たない犬ではありますが、注意深く見ていますと、喜びの表現である「尻尾を振る」という動作のほかに、いくつかのボディーランゲージを持っているようです。うちの犬に限ってなのかもしれませんが、この「手の甲をペロッ」というのは、翻訳すると、感謝の気持ちを表す「ありがとう」という意味になるようです。小さいときに、この階段から落ちて痛い目にあっていますので、手を添えてもらったことが嬉しかったんだと思います。

 どうしてそれが分かるかというと、こんなこともあるからです。

 彼は、車や自転車で外出するのが大好きです。法服を着ているときは連れて行ってもらえないことが分かっていますので、何も言いませんが、外出用の服に着替えるや、もう落ち着きません。連れて行くよう、体全体を使って催促をします。それで、よほど行きたいときなど、車の助手席に乗せてやりますと、満足そうに、それでいてさりげなく「ありがとう」というような感じで、手の甲をペロッと嘗めるのです。

 ボディーランゲージを含め、言葉というのは、相手に伝わって、はじめて意味をなします。お互いが理解し合おうという意思がなければ、会話は成り立ちません。今回のことで、犬とも意思の疎通ができると知ったとき、わたしは、嬉しく思いました。しかも、犬でも、感謝する心を持っているということに、感激もし、これまで以上に、彼のことを、愛おしく思えるようになりました。

 犬は、真剣に、飼い主であるわれわれの一挙手一投足に気遣い、心を読みとろうとしています。われわれも、彼らほど真剣にその心を読みとろうとしたなら、彼らが発している言葉を、もっと多く理解できるかもしれません。実際、あの「ムツゴロウさん」の愛称で知られる畑正憲氏などは、多くの動物の言葉を理解し、会話することができるのだと思います。

 ときに、わたしたち人間は、すばらしいコミュニケーションの手段である言葉というものを持っていることから、お互いの意思の疎通を図ることは容易だと勘違いしている節があります。自分の言いたいことだけしゃべって、理解し合えたと早合点し、それがもとでトラブルを起こしていることがなんと多いことでありましょう。とくに、緊密な関係であるべきはずの、夫婦・嫁姑・親子・兄弟姉妹・親しい友人同士など、その傾向が強いようです。

 おもしろい話を聞いたことがあります。携帯電話は、電波の弱いところでは、電池の消耗が激しいのだそうです。それは、通話しないときでも、常に電波のやりとりをしていて、受け取るべき電波が弱かったり、なかったりすると、その電波を探し続けるため、電池が消耗するのだそうです。

 人間もこれと同じで、コミュニケーションがうまくいっていないと、愛情電波を求め、探し続けるために、精神を消耗し、疲れ切ってしまいます。先ずは、「手の甲をペロリ」よろしく、お互いに、感謝の気持ちの発信と受信が、適度にできる関係を、保っていきたいものです。

(2001/5)