◆創作仏教説話◆ 『ナンダさん』A

 

 確か、以前に、私どもの町に、年齢も国籍もよく分からない、浅黒い肌に彫りの深い顔をしたナンダさんという人がいると、お話したことがありましたが、覚えていらっしゃいますでしょうか。

 人のうわさほど当てにならないものはありませんが、「地獄から帰ってきた男」だとか、「極楽からきた菩薩様」だとか、聞く人聞く人、その評価はまちまちで、ただ、「インドの人ではないか」という点では共通しているようです。それで、誰彼となく「あの人はなんだ?」「変わった人なんだ!」といっているうちに、いつの間にかついたあだ名が「ナンダさん」でありました。

 ところが、偶然というのは不思議なもので、ナンダという人物は、今から二千五百年前に、実際にいたんですね。

 お釈迦様のことは、もちろんご存じかと思いますが、なんでも、その異母弟にあたる方で、ずいぶん端麗な美男子であったそうです。つまり、お釈迦様が誕生されてのち、実母であるマーヤー夫人は亡くなり、父のスッドーダナはマーヤー夫人の妹であるマハー・パジャーパティーと再婚し、その間に生れたのがナンダというわけなのです。

 それがですね、私ども凡人からいたしますと、お釈迦様は、ずいぶんと可哀想なことをなさったと思うのですが、お悟りを開かれてから、故郷のカピラバストゥに帰ったとき、新婚ほやほやの弟のナンダに、「お前もお坊さんになりなさい」といって、出家を勧めたんだそうです。その妻であるスンダリーというのが、これまたたいへんな美人でして、ナンダは、そんな妻と別れさせられては堪りませんから、あっちこっち逃げたり隠れたりするんですが、神通力が使えるお釈迦様から逃れることはできず、むりやり頭をくりくりにされて、出家させられてしまうんですね。

 そりゃあそうでしょう。ナンダは、残してきた愛妻のことが、どうにも忘れられなかったそうです。毎日が、悶々として悩み苦しみ、修行どころではありません。これにはお釈迦様も困りまして、一計を案じられましてね。さて、どんな手を使われたと思います?

 ナンダを山の中に連れ出しまして、片目の年老いた不細工な雌猿を見せ、次には、A利天へ上り、たとえようもないほどのとびきりの美しい天女を見せましてね、おっしゃったそうです。「お前の頭から離れないでいる妻のスンダリーは、この天女に比べたら、さっきの猿と似たり寄ったり、変わらないではないか」と。

 それからというもの、ナンダは猛烈に修行しまして、ついに愛欲の煩悩を断ち切ることができ、阿羅漢果という位に達することができたんだそうです。

 そこでですね。わが町のナンダさんにそこらあたりのことを聞いてみましたところ、驚きましたねえ。「実は、お釈迦様には、地獄へも極楽へも連れていってもらったことがある」というじゃありませんか。ナンダさんは、言葉があまりはっきりしませんので、詳しくは聞けませんでしたが、だいたいはこういうことなのです。

 ある日、お釈迦様がナンダさんにえらく長い箸をお渡しになって、食事に誘って下さったそうです。連れて行かれたところは、荒くれ男たちがいっぱいの飯場のようなところで、向かい合って、横にずーっと並んで食事をしていたそうです。一つ空いた席に入れてもらい、いざ食べようとするんですが、箸が長いもので、どうしても隣の人に当たるんですね。もたもたしていると、いきなり右から怒声とともに、拳骨が飛んできて、すぐさま今度は左から、向かいからは蹴飛ばされるはで、とても食事どころではなかったそうです。そうこうしている間に、あっちでもこっちでも、取っ組み合いの大喧嘩が始まり、逃げるようにしてそこは後にしたんだそうです。

 そいで、次に連れて行かれたところはというと、さっきと全く同じようなところだったそうです。ただ、何ともいえない和やかな雰囲気が漂っているんで、不思議に思ってよく見ると、長い箸を上手に使って、自分自身が食べるのではなく、周りの人に食べさせていたんだそうです。ナンダさんも、優しく食べさせてもらい、先に見たのはまさに地獄、こここそ極楽と実感したんだそうです。

 さて、ナンダさんのこの話、皆さまどう思われますか? 一度会って、お聞きになりません?(99/10)