◆創作仏教落語◆ 『和顔愛語』
「そこへ行くのは熊さんかい。ナベなんか持って、どこへ行くんだい?」
「よーく聞いて下さったご隠居。うちのかかあときたら、亭主のあっしに豆腐を買ってこいっていうんでやすよ。」
「豆腐を買いに行くのに、何か不服でもあるのかい?」
「おおありでっさ。こんなかっこうを八の野郎にでも見つかったら、何をいわれるか。」
「エプロンつけていったらいいんじゃないのかい、熊さん。」
「もう、ご隠居まで、あっしをからかっちゃいやですよ。」
「いゃあ悪かった。ところで、なんで、そういうことになったんだい?」
「それが、うちのかかあときたら、あっしが家へ帰るなり、あっしの顔をじっと見ながらいうんでやんすよ。
『お前さん…』
『なんでい』というとね、今度は科つくりながら、
『お前さん、何か気づかないかい?』というんで、
『あっ、おれがとっといたクリームパン食っちまったんだろ?』というとね、
『そうじゃないってば、あたしのこと…』っていうんでね、
『そうか、便秘が治ったんだろ?』っていってやったら、いきなりふくれっ面しゃがって、お前さんは稼ぎが悪いだの、思いやりがないだの、おまけに足が臭いだの、さんざん悪たれつかれやしてね、挙げ句の果てがこのざまでっさ。」
「なるほど。それで、どうしてかみさんが怒ったか分かったのかい?」
「いやあ、それがとんと見当がつかないんで。」
「じゃあ、教えてやろうかい。」
「えっ、うちのかかあのこと、ご隠居には分かるんで?」
「ああ。じつは、さっき、お前さんのかみさんが髪結いから出て来るところをちょいと見たんでね。」
「それがどうかしたんで?」
「まだ分からないのかい? かみさんが怒るのも無理ないか。お前さんに、髪をほめてもらいたかったんだよ。」
「たった、そんなことだったんですかい? てめえの女房をほめたところで、しょうがあるめいに。」
「釣った魚に餌やる馬鹿はいないというがな、夫婦でそれをやると、お前さんみたいになるわな。」
「釣った魚に、餌を買いに行かされるんで?」
「まあ、そういうことだ。」
「『無量寿経』というお経に和顔愛語ということばがあってな。お互いが笑顔でもって、優しい言葉を交わし合う、それが人間関係、夫婦関係をよくすると説かれてある。早い話が、髪結いから帰ってきたら、すかさず『きれいになった』といってやるということだな。」
「ワゲンアイゴですかい? 若い愛子チャンならまだしも、古女房に、それはつらい。」
「これも仏道修行と思ってすることだな。分かっているからと、何もいわないんでは、相手には何も伝わらない。それに、いっているうちに本物になってくるというもんだ。念仏にしても、声を出して唱えるからこそいいのであって、唱えているうちに、阿弥陀さまのありがたさが、よーく分かってくるというもんだよ。」
「ほーお、そういうもんですかねえ。」
「この和顔愛語のいいところは、タダということだ。いくら大盤振る舞いしても、一銭もいらんということだ。」
「そりゃあいい。ほかにタダのものはないんでやすかい?」
「それがある。『雑蔵法経』というお経には、無財の七施といって、七つのタダでできる布施が説かれてあってな。
・眼施(やさしいまなざしをもって他人と接する)
・和顔悦色施(柔和なほほえみをもって他人と接する)
・言辞施(思いやりのこもった言葉で他人と接する)
・身施(身をもって思いやりを示す)
・心施(形だけでなく、自らのまごころを示す)
・床座施(他人に、座る席を気持ちよくゆずる)
・房舎施(宿泊や休息の場を、気持ちよく提供する)というわけだ。見返りを期待せず、喜んでやることが大事だな。」
「ときに、ご隠居。」
「なんだい、急に改まって。」
「あっしに、身施というやつを、ひとつ施してやって下せい。」
「ちょいと、熊さん。あれっ、ナベおいて行っちまったよ…」
(99/09)