笹山てるおの旅日記・抜粋 地下オンHP 
2002年10/13更新

はじめに
2000年9/6日、笹山てるおはギターを持って、約一年の海外旅行に旅立った。
その途中途中の出来事を、アートギャラリー雑貨店「ニヒル牛」の島田君の所に送ると約束をして。
そんな10月中旬・島田君宛に笹山君の手書きの日記が送られて来た。それは
「ニヒル 牛」 にて、今、見ることができるようになっている。(終了しました)
毎日ちゃんと書かれた日記であるために、文字数も多く、その全文は載せられませんが、わが地下オンHPでも、せめてその日記の一部でも、ホームページで載せていこうと 思った次第です。
地下オン・青木

お知らせ・
約一年に渡り、西荻窪の「アートギャラリー雑貨店ニヒル牛」で公開されてされていた、笹山てるおの旅の日記は、帰国した笹山くんに無事返され、終了しました。一年間、見守っていてくれた、島田篤志くん、お疲れさま。旅の話は直接笹山君から聞けると思います。ライブも始めています。尚、このホームページの日記は、まだ続きます。
笹山てるおは2001年 9/16日・無事帰国しました。

2000年 9/6(成田→タイ<飛行機>)  9/9(タイの島コ、チャンヘ<船>)  9/16(コ、チャン→バンコク<船>)  9/22(タイ→パリ<飛行機>) 9/23(パリ→ベルギー・ルーバン<バス>) 9/26(ブリュッセル→パリ<バス>) 10/1(パリ→ベルギー・ルーバン<バス>) 10/9(ベルギー・ルーバン→オランダ・アムステルダム) 10/16ドイツ・ベルリン 10/26チェコ・プラハ10/31 ポーランド(クラコウ)11/5 ドイツ(ベルリン) 11/8 チェコ(リトメリーチェ)11/12オーストリア(ウィーン) 11/13ハンガリー(ブタペスト)11/16ハンガリー(スゼンテンドレ) 11/23ルーマニア(シナイア)11/24 ルーマニア(ブカレスト)11/30トルコ(イスタンブール) 12/14トルコ(カッパドキア)
12/21イラン(タブリーズ) 12/26イラン(テヘラン) 2001年 1/3イラン(ペルセポリス) 1/9 パキスタン(クエッタ) 1/13・パキスタン(ムルタン)・1/27インド(アムリトサル) 1/31インド(ニューデリー)2/7(バラナシ) 3/14 (リシュケシュ)4/1( ダラムシャラー)4/6インド(ニューデリー)4/11(ゴア)4/26(ムンバイ) 5/7(ハンピ)5/14(ジョードプル)5/17(ジャイサルメール) 5/23(ブッタガヤー)5/27(カルカッタ) 5/31(ダッカ)(バンコク) 6/1タイ(バンコク) 6/5タイ(チェンマイ)6/10コ、コン(カンボジア) 6/14プノンペン(カンボジア)6/16 ホーチミン(ベトナム)6/30フエ(ベトナム) 7/5サバナケート(ラオス)7/10 バンビエン(ラオス) 7/12 ルアンパバーン(ラオス) 7/19 パクモン(ラオス) 7/20 ウドムサイ(ラオス) 7/21 ルアンナムター(ラオス) 7/22ムアンシン(ラオス)7/30ポンサリー(ラオス)8/5ノンカイ(タイ)8/7バンコク(タイ)8/12シェムリアップ(カンボジア)8/18コ・チャン(タイ)8/22バンコク(タイ)8/25コタバル(マレーシア)8/27プルフンティアン島(マレーシア)9/8バンコク(タイ)9/15東京


2000年 9/6→9/21 タイ編
かなり疲れた感じで、笹山君は タイに着いた様子です。ギターを持っての旅が、体力的に、不安になったよう。そして一週間のコ、チャン
島での休養。そこで、夜、ギターでさっそく歌ったりして、歌の旅がさっそく始まり、調子がよかったのですが、タイからパリヘ向かう、そのちょっと前に、小切手ともいえる、トラベラーズ・チェックをすられてしまう。落ち込んでしまうが、なんとか再発行してもらい、笹山君は飛行機で無事にヨーロッパヘ向かいました。

2000年 9/22→10/1 フランス・パリ、ベルギー編
パリに着いた、笹山君はその足で、ベルギー・ルーバンに住む友達、松江さんに会いに行きました。いろいろと途中のバスのトラブルで疲れ果てた様子です。三日ほど滞在したあと、またパリへ。ようやくの、落ち着いた宿での日々。ルクセンブルグ公園で歌っていると、パリで歌うには許可が必要だと言われてしまう。でも現代美術館の「ポンピドーセンター」の回りなら、OK だ-よと教えられる。そし/8て、ポンピドーセンター前にて、はじめての演奏。次々と、ギター弾きと知りあい、笹山君は、後ろ髪を引かれながらも、また10/1、ベルギーの松江さんの所へ。

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笹山てるおの旅日記・抜粋

過去ログ(2000年 9/6〜11/27まで) (旅の始まり・タイ・ヨーロッパ編)
過去ログ(2000年 11/30〜1/13)(中近東編)
過去ログ(2001年 1/27〜5/29)(インド編)
過去ログ(2001年 5/31〜8/3) (ベトナム・ラオス編)


2001年 8/7〜9/15(旅の終わり)  

・ノンカイ→バンコク( タイ)・

2001年 8/7(火) さあ、大都会バンコクヘ雨の中を出発。肌寒いのでエアコン付バス(高い)などいらない。エアコンなしバスチケットくれと言ったが、ないと言われる。(本当か?) ラオスに較べれば超豪華エアコン、リクライニング付バスに乗り込むが、やはりそは東南アジア、エンジントラブル、そして長距離バスなのにそこら中で客を拾ったり下ろしたり、いつまでたっても先に進まぬ。いつからかタイの事を日本のように感じていたがやはり大きな間違い。着いた時間が到着時間!! これを忘れぬように。朝8時半に出発、到着の8時半(夜)、市バスに乗る元気なくタクシー拾ってカオサンへ。
宿にて懐かしい顔々ベトナムのホーチミンで一緒だった" イチロー" ラオスを旅した"ジェーン" に再会。ビールで乾杯。その後ジェーンと近くのタイ人が弾き語りをする店に行き、興に乗って2曲唄わしてもらう。マイクで唄うなんて久し振り、タイ人の兄ちゃんがリードギター弾いてくれてとても楽しかった。ジェーンはこれからバリ島へ飛ぶとの事。うらやましい。でも俺もアンコールワット→マレーシア、旅の最後を楽しもう。やっぱり、カオサンに来ると金使っちまうわ、本当に。

8/8(水) ラオスでは早寝早きだったので、バンコクのナイト・ライトは何とも今の俺にはぎこちない。やはり6時には起きてしまい、屋台のおかゆを食べる。早めに帰国のチケットを買おうとするが、やはり安いのはビーマン・バングラディシュ航空そして週一便、金曜のみなので、9/14日の深夜出発という事になる。あと残り一ヶ月となり、少々たるんでいるらしい。シャワー室に大切なマネーベルトを忘れる。知り合った日本人が気付いてくれて届けてくれたから良いものの、気が緩みすぎ。夕食をおごる。失くなったことを思えばこれ位は当然の事。
宿では女の娘(もちろん夜の)の話でもちきり。正直、俺はあまり興味わかないので(本当だよ!!) バンコクは便利で良いけれど、やはりまた静かな場所に行きたくなる。明日はマレーシア行きの列車を買いにゆくつもり。

「着いた時間が到着時刻」その通りだよなぁ。(地下オン・青木2/9)


・バンコク( タイ)・

8/9(木) " ニヒル牛"に日記を送り、日本に帰国が決まったことを連絡。
タイ国鉄のフォアランポーン駅へ行き、帰国前2週間マレーシアの島でのんびりすごす為にタイの南の町スンガイユロクまで往復切符を買う。列も少なくコンピューター化されていて発見もスムーズ。やはりタイはすごい。
と、思ったが・・カオサンから駅までは簡単に行けたのに帰りがどうにもままならず2台のバスに乗り、モノレールを使い、3台目のバスでやっとカオサンにたどりつく。行きは30分とかからなかったのに帰りは5時間。タイ人本当に英語話せず、(きっと、日本もこんな感じなのかな?) ここがどこなのか? どこへ行けばいいのか? 途方にくれた。すごく便利そうに見えてやはりどこか日本と違う何かがあるのだな。当り前の事だけど。それを思いしらされた。

・シェムリアップ(カンボジア)・

8/14(火) 朝4時半に起きてアンコールワットに朝陽を見に行く。ワットには続々と日本人がつめかけていた。雲にかくれてはっきり朝陽は見えなかったが、やっとここにたどりついたのだ。ワットの中を歩き裏側に人影もまばら、どうも殆どの人は人達はツアーで朝陽のみを見に来たようだ。うまく時間をはずせば人並みにもまれずすむだろう。
午後からはアンコールトムとタ・ブロームは"天空ラピュタ" のモデルとなったらしい(見てないけど) 朽ち果てた寺院にガジュマルの大木がからみついている。根っこは今でもこの寺院を壊し続けているらしい。いつかこの寺院は木に飲み込まれてしまうだろう。
他にも小さな寺院が無数にあり、あれもこれも見て回るよりも、どこかに腰をおちつけて一日ゆっくりすごしたい。(ダ・ブロームなんか特に良い!!) そんな気分にさせる場所だった。
どうも風邪を引いたらしい。
カオサンで出会った日本人がシエムリアップで"デング熱"(蚊から伝染る)をひろったと言っていたのでちょっと心配。今夜はとても眠い、早く床に入ろう。

アンコール・トムってほんと人名みたいだなぁ・・。(地下オン・青木 2/16)


・シェムリアップ(カンボジア)・

8/16(木) バイタクの兄ちゃんと24$でベンティアイスレイ、ワークスピン遺跡という中心部から離れた遺跡を回る。バンティアイスレイは修理中のためか"東洋のモナリザ"とか言われる美しいレリーフが遠くからしか眺められず拍子抜け、ベンメリアと言う一番遠くにある遺跡へ行く交渉をかるが道が悪いらしいのと追加料金で折り合わず結局ワークスピンへ。ここは 中心部から2時間程離れた川の中にヒンドゥー神のレリーフが彫ってある珍しい場所。滝もあり、回りの雰囲気もよく、しばしくつろぐ。
ここに入る時もポリス? が警備料1$出せと言うが、それは兄ちゃんがあらかじめ自分が25$の中から払うと言ったので、それならお前には24$しか払わんからな!! ともめているとポリスはなぜか金要らんOK行け!!という事になる。最初から小づかい稼ぎだったんじゃねえのか? 今だにこの種の小銭稼ぎがカンボジアには横行しているが、シェリムアップに限ればもう殆ど払う必要も、その車で危険な目に会う事もないと思う。
その後、タ・プロームで昼寝して、プリア・カーンを見てアンコール・ワットに別れをつげて宿に戻る。3日間で回るには(たとえ一週間あったとしても)見尽くせない程の規模であった。アンコール・ワットは素晴らしかった!! 言い切れぬ程、つまり俺は氷山の一角しか見ていないのではないかと、まだ語る事は出来ないと、それ程巨大で、数え切れぬ程の遺跡があり、もう参りましたと言う気分です。
やはり素晴らしいものは旅行者であふれようと、クメール人があの手この手で金をせしめるためにだましにかかろうと変るものではない。それを痛感した、本当に来てよかった。
※PS・・・一ノ瀬泰造の私設の? 墓参りにも行って来ました。

ますますアンコール・ワットに行きたくなってしまった・・(地下オン・青木 2/24)


・コ・チャン(タイ)・

8/19(日) 一日のんびりと島ですごす。午後から陽が出てきたので、ビーチで日光浴。久し振りに海に沈む夕日を見た。雨期なので晴れないだろうと思っていたが、天気が良くなってきてラッキーだ。

8/20(月) チャン島は一年前と較べて大分道が良くなっていたので奥のほうまで行ってみる。トゥクトゥで15分程の所にあるビーチ(カイサホビーチ?) は遠浅で波も静か景色も良く、時間がもっとあればここにも泊まりたかったな
今日は終始くもりがち、太陽の女神は仲々顔を出そうとはしない。夜"とも子"が早寝してしまったので、宿のあるじと酒を飲む。いかにすれば" 日本人ツーリスト"をゲット出来るかについてうんちくをたれたりして、(要するに日本語の看板とメニューを作れば!! と・・ )あるじはとても気が良くて一年たってもやはり楽しい時間をすごせて良かった。

・バンコク(タイ)・

8/22(水) バンコクCityライフを目一杯楽しむ日。バスでサイアム・スクェア、ワールドトレードセンターといった。バンコクの中心地のデバートでショッピング。母親にタイ・シルクのショールをみやげに買う。この周辺は伊勢丹・そごう、東急等ありまるで東京にいる様なさっかくにおちいる。
午後はムエタイを見に行く。ムエタイがギャンブルの対象になっているのは知っていたが、あまりにあからさまに、ギャンブルに合わせて試合をしている様で鼻白む。
1.2ラウンドは賭けさせるために様子見で終わり、3.4ラウンドで熱狂、賭けている人間は大騒ぎだが、5Rの最終ラウンドは何故か終了と言う空気が流れ選手も最後の方はやる気がなさげだし、どういうシステムになっているのやら今ひとつ謎だった。カオサンに戻り屋台で食事していると、ラオスの"ボンサリ→ムアンクア"で一緒だったゆう子ちゃんと再会を祝しとも子ちゃんと3人でビールを飲む。

ムエタイってたしか最初にお祈りするんだよね。見てみたいなぁ。(地下オン・青木 3/2)


・バンコクからマレーシアへ・

8/24(金) 午前中、ちょっとした買物をしてファンポーン駅へ。パキスタンで買ったサンダルの底がへって来たので修理すべきだと思うがもう時間がない。バスで駅へ向う。夜行列車の車内は混乱も喧噪もなく、至っておだやか。たまに、物売りはくるが、物乞いなどやって来ない。インドのスリーパーと同じ様にファン付の寝台をとったのだが、驚いたのは夜中にベッド・メイキングのおっちゃんが来たことだった。そこまで面倒見てくれるとは思わなかった。ちゃんとシーツを付けて枕に新しいブランケットまであるぞ!! 通路とさえぎるためのカーテンもあり、読書用のライトも付いている。
至れりつくせり。インドは本当に何もなかったもんね。
もう旅の終わりで緊張感が切れたせいか、あまり体調良くないので、これは助かった。まるでホテルみたいだ。良く眠れそう。おやすみなさい。

・コタバル(マレーシア)・

8/25(土) 列車での移動は数々あれど、食堂車で朝食は初めて。特に大した事のないアメリカンブレックファーストだったが、荷物を離れても大丈夫そうな、そんな空気が流れている。
国境の街スィンガイコロクからイスラム色が強くなりチャドルを被った女性が増えてくる。国境越えもスムーズに行き、銀行捜すのに少し苦労したが、あっという間にコタバルに到着。国境につきもののトラブルは何も起きなかった。
が、宿に到着し、シャワーを浴びたところで疲れ果ててもう限界。何だか糸が切れたように眠り込んでしまった。

インドのスリーパーは独特だ。あのなんとも言えない孤独感と、連帯感・・。(地下オン・青木 3/9)


・プルフンティアン島(マレーシア)・

9/1(土) ついに8月も終り、あと2週間を残すのみとなった。あっという間にすぎちまうんだろうなぁ・・
それにしてもこの宿はダニ? 南京虫? とにかくひどすぎる。ここで3つ目の部屋だが、どの部屋でも刺されまくっている。ベットか枕か大量発生しているんではないかい?
昨日、手と足の傷を作り、顔が焼きすぎて赤く腫れあがり、体中虫さされのあとだらけ。海は最高だが、宿は高いし、虫はいるはで問題ありあり。
ほぼ一日中ハンモックに寝転んでギターを弾いてた。太陽の下、澄み渡る海を眺めながら、至福の時をすごした。もういいかな、もうちょっといようかな、それは今夜も虫に刺されるか否かで決する事にしよう。

9/2(日) 今日は足ヒレを借りて泳いだ。最初は何だ素足と変わらないじゃん!! 思ったが慣れてくるとぐんぐんとどこまでも行ける。調子に乗って今まで行った事のない沖の岩場まで行き、見つけた一匹50cm以上はあろうかというナポレオンフィッシュの大群!!! 歯で岩についたコケ? を食べる音までカリカリと聞こえる。本当にいいもん見せてもらいました、と思わず手を合わせてしまった。
午後タートルビーチにハンモックを吊り寝ていると、すぐ横を大とかげがのそりのそりと通り過ぎて行った。何事もないように・・・丁度波の音を録音している時だった。
海亀は見られなかったが、いいもん充分見たしここが潮時だと思い明日出ようと・・・
そのつもりだったが、今日は足ヒレつけて午前、午後と泳ぎまくったせいか夜になって体がふわふわ海に浮かんでいるみたいで立ってられなくなった。こりゃたまらん、というわけで今さら先を急ぐ理由もないのでもう一日ここで、のんび〜〜りとすごしてから陸地に戻ろうと決めたわけです、ハイ。

ナポレオンフィッシュの大群かぁ・・いいなぁ・・(地下オン青木 3/17)


9/8(土) エアコン付車両のおかげかぐっすりねむれた。列車でこんなに良くねむれたのは初めてかも。朝食を食堂車で食ってから席に戻ったら隣りのおばちゃんが、何か唄ってくれというので、バンコクで買った唄本見ながら、カーペンターズ、ビートルズetc列車の中でず〜っと一緒に唄いつづけ、気がついたらもうバンコクに着いてた。嬉しい。
そしてなじみのチャイディー、ゲストハウスへ。またまたイチローと再会。そして、伝言板にジューンからのメッセージがあり、再会を果たす事が出来た。
マレーシアで酒あまり飲めなかったので、屋台にてビールがんがん飲む。酔っ払い、前に行った弾き語りパブで、お姐ちゃんの演奏に合わせて勝手にハープ吹く。心の広い姐ちゃんは一緒に遊んでくれたけれど、ちょっと調子にのりすぎた。
やはり、最後は異国の空の下で記憶をなくしちまったよ・・・。もうすべてが終了したという安堵感のせいか気がぐぃ〜〜んと、緩んじまってる。いかんね。

笹山君の酔ってる姿が目に浮かぶなぁ・・。(地下オン・青木3/23)


9/10(月) ジューンが昨夜早寝している間に訪ねてくれたらしい。朝、彼女のいるゲストハウスへ・・。1Fのテーブルで本読んでた。明日帰国するのかと思ったら今日の便で韓国へ戻るという。記念に俺のゲストハウスの前の椅子に座り、セッション、何曲か録音した。あ〜あこれで何度、旅の中で出会いと別れをくり返した事だろう。彼女とは日本人以外で唯一気心の知れた友人になれただけで淋しい。
と、思っていると、インターネットのメールで何やら帰国後飲み会が旅仲間と出来るような気配・・(って俺が率先しているだけどね) インドで会ったゆう子ちゃん、鈴木君、ベトナムのリナ、エナミ組等、高円寺で会う事になりそうな感じ。帰国後の仕事の心配の前にとりあえず飲み会とは、俺らしいと言うか変わらんこっちゃなぁ〜。今日はほぼ一日宿でギター弾いてすごす。もう帰国も秒読みに入った。3・2・1・0で日本へ。ふんわりと着地出来たらいいなぁ。

いよいよ旅も終わりという感じですね。ふんわりと到着かぁ・・(地下オン・青木 4/1)


9/11(火) あ〜あ何という事だ!! 帰りのチケットがない!!! カオサンのIBSという旅行代理店で1ヶ月前、バングラディシュ航空の成田行き(9/14) チケットを買い、発券は9/11以降だという話だったので、今日行ってみるとウエイティング・リストに載っていてまず切符を手に入れるのはムリだと〜!! んな事ってあんのか? レシートにはそんな事書いてねえじゃねえか!!! 代理店のおばさんとひともん着。金つきかえして、どうしようもないなんて言いやがる。
宿の主人に尋ねたら、そのレシートに"RQ" と書いてあるのは(リクエスト)の事で未だ発券の状態にないという意味だと聞き、それは旅行者の方で知っていなければならないと、言われたのだが・・だって向こうは今日チケット渡すって言ったんだぜ!!!
しかたなくNSツアーという他の代理店で、エア・インディアのチケット(今日の深夜の便) なら手に入るという、その先はしばらくムリとの話なので100%間違いないという確認をして払い込み、慌てて宿に戻り、パッキングし、お別れのメールを打ち、夕方6時にチケットを取りに行くと、ダメだった〜ゴメンネ〜!!! だと〜。タイ人の姐ちゃんはあっさりと言いやがった。すでに今日の朝の時点でフルだったと.・・何でこいつら適当な事ばかり言いやがるんだ!!! もう怒り爆発☆☆
結局、帰国日なくなっちまったよ。もう俺の頭は完全に旅行終了状態になっているのに。屋台でイチローとビールをのみ、ああ、やっぱりこの国は"※マイペンライ"なのだと語り合う。
※インドの「ノープロブレム」と殆ど同じ意味

どうしてか帰りのチケットってトラブルのかね。不思議だ(地下オン・青木 4/6)


9/12(水) 昨日の悪夢から立ち直ろうと、旅行代理店を回り、15日(土)の深夜3時発エジプトとほぼ変わらないので急ぎGETする。今度こそ本当に取れて胸をなで下ろす。
何だかアメリカで大規模なテロがあったらしい。旅客機がワールド・トレード・センターに突込んで死者が相当出たとか・・イスラム原理主義者の犯行らしいとか。
帰国に先がけてとんでもないニュースが飛び込んで来た。オレ個人としては、きっとセキュリティ・チェックで相当大変だろうなぁ〜と、皆にも、1年の長旅、ドレッド・ヘア、この年令、別室間違いないとか言われて、(もちろん日本に、やばいもの持って帰えりゃしないが・・) その上飛行機テロと来た日にぁ果して無事日本の地が踏めるのか・・心配になって来る。
心情的にはイスラムの国を旅してその敬けんさに心を打たれ、西洋と違う独自の文化を持っている事、またヨーロッパのニュースでアメリカに支援されたイスラエルがパレスチナ人にどんな仕打ちをしているかを知ると、彼らの側に立ちたくなるが、やはりテロというのは、どこから出て来るものなのか理解できない。
"イチロー"がバリ島へと旅立っていった。俺も今のゲストハウス、学生の旅シーズンのせいか余りに低年令化しているのでちょっと疲れて来た、帰国日までジプシーに移り静かに過ごそうと思う。

いよいよラストの日々ですね。ここからは一日一日、書いてゆこうと思います。(地下オン・青木4/13)


9/13(木) 自分でも信じられない。最後の夜(まぁ明日の深夜出発だけど) がBIG NIGHTになった。今までの宿からジプシーゲストハウスに移り、旅で出会った友達にメールを送ってすごした。ドレッド・ヘアがあまりにうざくなって来たので前髪だけほどいて、あら、まぁ、正面から見たら長髪の兄ちゃん、横から見たら怪しい男に変身。
新聞、TVで報道されてるアメリカのテロ、本当にしゃれにならない程だ俺の帰国日にぶつかり、チェックが厳しそう云々より、空港ちゃんと機能するのか、飛行機ちゃんと飛ぶのか? そっちの方が心配な程だ。
 そして夜は屋台で食事、バンコクで一人で夕飯食うのって何だか久し振りな気がするのが変、夕食後、この処毎晩行ってる弾き語りパブに行き、何曲か頼んで歌わせてもらう事が出来た。WHAT'S GOIN'ON-乾杯(リクエスト)-レデプションソング(ボブ・マリー)-ラベンダー(自分の曲)、別に誰が聴いてるとかじゃなくて旅の終わりにステージで心を込めて歌を唄えてすごくハッピー。
これで終わりでも良かったんだけれど、いつも俺が聴いてる弾き語りの姐ちゃんが次のパブでも唄うというのでついてゆく。そして、そこでギタリスト、姐ちゃん、俺の大セッション大会がくりひろげられた。俺はハープ吹いたり、ギター弾いて歌ったり、久し振りに力一杯唄って目の前くらっと来た。
あのベルリンの夜をほうふつとさせる様な盛り上り大会、タイ人てこんなにノリがいいの? 音楽の神様ありがとう。最後にこんな時をオレにくれるなんて本当に感謝!!!
明日帰れなくたっていいや!! と言いたい程、すべてを忘れさせてくれる夜だった。

ベルリンかぁ。もうずっと前のことのようだ。(地下オン・青木 4/20)


・バンコク(タイ)・

9/14(金) 今、空港へ行くエアポート・バスの時間までの間、ゲストハウスの部屋でこれを書いています。
昨日の興奮さめやらず、でも疲れ果ててぶらぶらサイアム・スクエアという百貨店街のマーブクロン・センターをぶらついていると、何と向こうから、石川夫妻、久須美さんがやってくるではないか!!! って、最初は久須美の事をどこかの国で会った人だと思って"誰だっけなぁ?" 考えていたのです。石川夫妻はどう見てもバックパッカーには見えんかった。こんな処で出会うとは・・健さんは深夜便で来るらしい。それって俺がお出迎えするって事かの?
ひとしきり、話して3人と別れカオサンに戻り荷物を詰めて、ネットを少しやってからいつもの屋台へ。最後のチャン・ビールを胃に流し込む。
そう言えば、俺が最初にバンコクに来た日、パリに飛ぶ前に2日続けて一人旅の日本人に声を掛けられた。明日帰る帰るんだと言っていたっけ・・今夜はやはり、あのときと同じく9月で、学生の多い中ひとりでビーを飲み、飯を食う。そして、日本の学生らしき集団が俺のテーブルから去ってゆき、一人に西洋人の(ドレッド の奴)が俺の前に座った。彼が一人だった事もあり話しかけてみると、彼はオーストリアから来てインド・ネパール・インドネシアなどを旅してもうすぐ帰るらしい。彼もひとりだったせいか、せきを切った様に話始め、彼の英語が分かり易かった事もあり、しばし旅話に花が咲く。
何か嬉しかったな、最後にこんなに風に話せて、、でも勢いで昨日の店にこのあと行ってしまうかもしれないけれど、もうバーツも殆ど持っていないし、す〜と今旅の神様がぬけて行った様な気がする。この一年とちょっとのすべてに本当にありがとう!!!

いい夜だなぁ。さて、いよいよ次で、この日記も終わりとなります。(地下オン・青木4/27)


・バンコク(タイ)〜日本・

9/15(土) 今日はもう9/20、5日も経ってしまった。アメリカのテロのせいで飛行機が飛ぶかどうか心配だったが、エジプト航空のせいもあるだろう(エア・インディアはパキスタンとのからみで大幅に遅れて待ちきれない客がこちらに回されてきた)。大したチェックもなく、そして遅れもなくフィリピンのマニラ経由で1時間遅れの午後2時には成田に到着した。
友達に、俺はイミグレーションで別室送りだとおどかされたがデイパックを少し調べただけでバックパックを開く事もなく、何なく通過、あまりのあっけなさにこちらの方が拍子抜けしてした。
バンコクの時から少々飲みすぎで、ぐうたらしていたが、日本の電車のスピードの速い事!! (山の手線が新幹線位の早さに感じる!!)、その中で話す日本人の言葉が早回しのテープを聴いている様で日本語なのに聞きとれない、等々スピードに驚き俺はこの街でこれから生きてゆくのか!? と疲れ倍増した。
しばらく実家に戻り、今日、また阿佐ヶ谷のアパートでこれを書いています。
体は日本にいるけれど、心はまだ20%しか帰国していない、そんな感じです。

約一年、続けてきた、この日記もとうとうおしまいです。一年どうもありがとうございました。笹山君の新曲が楽しみです。(地下オン・青木 5/3)



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過去ログ(2001年 5/31〜8/3) (ベトナム・ラオス編)

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