青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'09.12月〜'10.3月


「部屋を生き返らせる」'10.3/30

 今月はなんとか部屋を少しずつ片付けた。

 やっとなんとか、部屋らしくなって来て、

 物の取り出せそうな感じだ。

 本棚の本もなんとか手が届く感じになって来た。

 まだまだ途中ではあるけれど、部屋が生き返ってきたように思う。

 あとは、各場所を整理してゆけば良い。

 やっぱね、部屋が機能していないと、

 血の流れが悪くなったようなものかもしれない。

 とにかく物が多くてね。

 以前、四畳半に住んでいたなんて信じられない。

 日本の七不思議に入れたいほどだ。

 だいたいの方向性は見えてきた。

 部屋のパワーを感じつつある。


「ライブ一枚名産品」'10.3/28

 もう前のこと、自分で作ったというライブアルバムをもらった。

 そんなに親しくはない歌い手さんであるが、ながい事、歌い旅している人である。

 「よかったら聞いてください」そう言われて、もらうアルバムは多い。

 アルバムの整理をしていて、ふと気が付いてそのアルバムを久し振りに聞いてみた。

 ライブ盤ではあるけれど、ベスト曲集に近いように思えた。

 1曲目は、ほんと1曲目という感じだし、ブルージーな曲あり、

 フィンガーピッキングの歌あり、バンド演奏の歌あり、

 だんだんと盛り上がってきて、アンコールと思われるとラストの歌も良い感じであった。

 どこかのライブハウスで聞いたとしても、同じように感じることがきっと出来るだろう。

 その人のお得意ナンバーってきっとある。長いこと、歌ってきて。

 言ってみれば、その人にとっての名曲だよね。

 その人の中の名曲だって、それは僕にも伝わってくる。

 知らない町のお店で歌い始めて、はじめてのお客さんの心をつかんでゆくそれらの歌。

 ずっとさきのさきまで、そんな定番のひとつライブを残せないかなと思う。

 地元の名産品ってあるよね。

 そんな感じ。


「ボブ・ディランに会いに行った」'10.3/26

 2010年3月、ボブ・ディランが2000人クラスのライブハウスで、

 14回もライブをやってくれることになった。

 ということで先日、僕もそのスタンディングライブに行って来た。

 もうほぼ70歳のボブ・ディラン。ここ最近は電子オルガンを弾いてバンドで歌っている。

 それもステージの端で。

 ステージ中央に出て、ギターで一曲やったり、ハモニカを片手に5曲ほど歌ったり、、。

 そんな2時間ほどのステージであった。

 17曲のセットリストには馴染みの曲はもちろん入っているが、若い頃の歌の作品も数曲入っていた。

 20代前半、1960年代前半に作ったもので、まあ50年ほどたっている歌だ。

 ボブ・ディランは年をとった今の声で歌う。無理のない言葉のつながりで。。

 ディランも年をとったが、それと一緒に歌も年をとったように思えた。

 ディランのそばでね。

 これまでも、同じ歌をそのときどきによってアレンジを変えてきたけれど、

 今回は聞いていて、実に自然に伝わってきた。年を重ねた歌が。

 これはやっぱり50年近くも歌ってこないと出来ないことなのかな。

 若い頃の歌も年をとる。良い意味でそれを実感した。

 ・・・・・・・

 今回のボブ・ディランはツアーバンドという印象であった。

 あるものでなんとかする。手に持っていける範囲のもので。

 手で運ぶというか、ワゴン車でね。昔の旅の楽団のように。

 かちっと決められてショーアップされたコンサートではなくて、

 ツアーバンドであるがゆえの選曲の自由さというのかな。

 そのわくわくする感じ。それがあった。

 今まで大きなコンサート会場でのアンコールの拍手は、いつも適当に叩いていたが、

 今回は、本気でアンコールの拍手を叩いた。

 ボブ・ディランとそのアーバンドに。


「1ページ目の洗面器」'10.3/24

 僕は銭湯に通っているが、

 ふと気が付けば、そのときに持ってゆくプラスチックの洗面器は、

 僕がアパート借りてすぐに買いそろえたものだった。

 1980年の話だから、もうあっというまに30年たった。

 200円くらいだっただろうね。そのプラスチックの洗面器は。

 銭湯に行くたびに、何も考えずに腕に抱えていたプラスチックの洗面器。

 まだまだ現役で使っていた。まったく意識はしていなかったけれど。

 もし風呂付きのアパートを借りていれば、この洗面器も引退していたのかな。

 そんなちょっとしたものが、身近にあるなんて嬉しいな。

 この30年、僕はまあ、何も考えず銭湯に行ってきた。

 当たり前のように。当たり前のようなそんな時間。

 プラスチックの洗面器は、そんな時間に住んでいた。

 僕のアパート暮らしのノートの1ページ目に出てくる洗面器。


「2mmのもの、それは意外と見つかる」'10.3/22

 部屋で横になっていると、メガネのレンズがパラッと落ちた。

 メガネのフレームのネジが外れてしまったのだ。

 実はこれはとてもラッキーだった。

 外でネジが外れていたら、レンズが落ちて割れていたかもしれない。

 まあ、それはラッキーだったのだけれど、問題は2mmほどのネジがどこに行ったかだ。

 ちょうど部屋を片付け中だったので、横になっていたところには服もあり、布団もあり、

 靴下もあり、何でもあった。その中で2mmのネジを探すのだ。

 しかし、それは意外と簡単に見つかる。

 何をあせることはない。確実にネジがそこにあるのだとわかっているなら。

 長年、メガネをかけているからね。ネジを落としたことは何度もあるからわかる。

 そこにあったものをとにかく、ぱらぱらと振ってみるのです。

 布団、毛布、服、靴下、、他。

 そして、カーペットのところを手のひらで、なでてゆくと、小さなかたまりに触れる。

 それはお菓子のカスだったりもするわけだけれど、

 小さなネジだったりもするわけだ。

 無事、そして2mmのネジは見つかり、レンズをフレームにはめることができた。

 そんなの誰でもそうするかな、、はははん。


「うまくサロンパスを貼るようなもの」'10.3/20

 まあ、トクホンでもいいんですけど。。

 先日、動画サイトのYou Tubeにて、かなり良い日本の歌を聴いた。

 何回か聞き、自分でコードをコピーして、歌ってみて、

 自分なりに盛り上がって、また、盛り上がって、

 そしてそのままコタツで眠った。その歌を耳に残し、

 ギターを横に置いて。なんだか幸せな気分のまま。

 次の日は一日、その歌をくちずさんでいた。

 なんかね。うまい具合にサロンパスが肩に貼れたような感じなんだなー。

 小さい頃から、薄い湿布を自分の肩の裏によく貼ってきたが、

 失敗することが多かった。思うようなところに貼れなかったり、

 しわしわになったり、貼り直して接着力がなくなったり。。

 一曲がある。うまく自分の肩にサロンパスを貼るように、

 ペタッと貼る。そのまま眠る。


「先生は怒らなかった」'10.3/17

 来日中のボブ・ディランのライブをもうすぐ見ることができる。

 今回、四角い小さなチロルチョコに、

 ディランのアルバムが印刷されているものがセットで売られているという。

 それはぜひ買いたいと思っている。

 高校時代、僕は挟める下敷きの間にディランのアルバムカタログを入れていた。

 その頃で、20枚以上出ていたので、ちょうど下敷きの片面にずらりとアルバムが並んだ。

 毎日毎日、それを見てはイメージをふくらませていた。授業中。

 その頃、ボブ・ディランの有名な伝記本を書店で取り寄せて、夢中になって読んだ。

 すごく長い伝記本でね。なかなか読めず、ついつい学校の授業中も読むことにしてしまった。

 あれは数学の授業のときでした。

 机の下に隠すように、僕はボブ・ディランの伝記本を読んでいた。

 そして先生にとうとう見つかってしまった。

 「アオキ、怒らないから、その本を見せてみなさい」

 僕は机の下から、ボブ・ディランの伝記本を持ち上げた。

 「ふーん、ボブ・ディランか、、。ちゃんとしまっておきなさい」

 先生は怒らなかった。そして何事もなかったかのように数学の授業を続けた。

 とくに数学の授業がつまらなかったわけではない。

 読まずにいられなかったのだ。

 そこには人生のことが書かれていた。

 僕は人生と向かいあっていたのだ。


「セットリスト」'10.3/15

 ボブ・ディランが今来日している。

 全15公演。それもライブハウスクラスでの箱で。

 同じ所で、5回7回とやるわけだが、

 この三日間のセットリストを見て驚いた。

 一日ごとに前半の約10曲を入れ替えているのだ。

 まあ、長いツアー、そして馴染みのメンバーであれば、それは可能であろう。

 僕も10日後には、ボブ・ディランを見にゆくわけだが、

 楽しみが増えた。いままでのパターンあれば、

 来日の初日のライブのセットリストで、どんな曲をやるかわかってしまうものだが、

 今回のディランに関しては、どんな曲をやるのか誰も当日にならないとわからない。

 その曲の組み合わせによって、その日の夜のライブの流れも出来るだろう。

 さすがだな〜。

 いままでの僕らが持ってきた、来日ミュージシャンのイメージをこわしてくれた。

 日本のライブツアーをしている人たちもこんなセットリストを作るだろうか。

 僕はいまから、ライブにゆく日をドキドキして待っている。

 どんなセットリストだろう。どんなライブの流れになるのだろうかと。


「オリンピックやカレー」'10.3/13

 っい先日、冬季オリンピックがあったが、

 どこで開催されていたか、思い出せなくなってしまった。

 あれ、カナダのどこだっけな??

 笑うかもしれないが、本当の事である。

 それはバンクーバーだとわかったが、それでもまだ半信半疑だ。

 もっとちがう名前ではなかったかな。もっと長い名前の、、。

 やばいな。

 オリンピックのことが、なんだかすっかり記憶の向こうにしまわれてしまったようだ。

 昼、カレーが食べたいなと思ってタイカレーを食べた。

 夜、秋葉原にいて、ふとカレーが食べたくなった。

 自分が昼にカレーを食べたことは、カレーを食べてから思い出した。

 最近、こういうことが多い。

 先日も、何百回となく弾いてきた自分の楽曲のギターの弾き方をふと忘れてしまった。

 こんなこともあった。

 中学時代に相当な回数聞いたライブアルバムを、約35年振りに友達の家で聞いたら、

 一曲目からまるで記憶になかった。なんとなくはイメージで憶えていたが、

 こんなことってあるんだな。記憶の消去が早くなっているのか。

 もう目の前のことが第一になってしまった。

 またカレーが食べたい。


「昭和40年代の魚貝の図鑑に」'10.3/11

 探している本が一冊ある。

 さて、それはどこで見つかるのだろう。

 昭和40年代の小学館の「魚貝の図鑑」だ。

 たぶん定価は280円くらいだっただろう。

 その図鑑の最後のページに全国の水族館のマップのイラストが描かれていて、

 そこに僕の実家の近所の「柏崎水族館」も載っていたのだ。

 その水族館は46年頃にはもうなくなったので、その後はもう載っていないであろう。

 僕はどうしても、載っていた頃の魚貝の図鑑が欲しい。

 さて、それはどこで見つかるのだろう。

 ときどき資源ゴミの日に図鑑類がまとめて出されているときもあるが、

 そこで出てくる可能性は高いと思っている。

 僕の実家の近くにあった水族館は、まるで記録がないのだが、

 その確かな証拠をこの部屋に置いておきたいのだ。

 僕の中の記憶には大きな存在で残っているので。


「あと2時間」'10.3/9

 僕の外仕事では、日暮れまでがタイムリミットになる。

 日暮れまでの2時間となると、かなりあせってくる。

 あと2時間。。あせるあせる。そしてなんとか。

 昨夜は、早めに眠ってしまったので午前2時半に起きてしまった。

 なんだか中途半端な時間になってしまった。

 このまま起きても良いのだけれど、やっぱり眠ることにした。

 あと2時間。

 なかなか眠れない。さあ、一所懸命に眠らないと、、。

 まるで、いつもの外仕事のようだ。

 おかしいなぁ、なんでこうなんだろう?

 眠りを急ぐことなんてできないよ。 


「歌の家、歌の旅人」'10.3/7

 長いこと、同じ歌を歌ってると、

 まるでその曲がひとつの家のようになるような気がする。

 それとも、長旅を続ける人か。。

 そのどちらでもいいな。

 家がある、通りかかる。そのまた、何十年後、そこに家がある。

 誰か住んでいて、明かりがある。しっかりと生活している。

 そんな家。

 そして、また通りかかる旅人がいる。何十年後、また会う旅人。

 そのどちらも実に味がある。

 ときどきに歌っても、しっかりと存在感のある歌は、まるで家のよう。

 毎回歌っても、まだ歌える歌は長い旅人のよう。

 歌を作ったとき、その歌が家になったり旅人になったりするなんて思いもしなかった。

 歌詞ノートのひとページだと思っていた。

 何もない。でも家も旅人もある。


「ぜんぜん読んでいない」'10.3/5

 花粉症の薬を買いに行った。

 一連の薬が並んでいる下の方に「おすすめ」とされている薬があった。

 鼻のイラストが描かれていた。

 薬をさすタイプで、300円代と、とても安かった。

 これだな。

 そのまま手にとって、いざ箱を空けて使おうかなと思ったら、なんか変だ。

 なんだこれ、目薬じゃん。

 箱を見れば、目のかゆみって書いてある。どこにも鼻になんて書いていない。

 ただ、鼻の薬の下に置かれてあったというだけなのだが、、

 かんぜんに勘違いだ。

 最近、こういうことが多くなって来た。

 しかしだ。

 目の薬なのに、鼻のイラストはないだろう。

 目の薬なら、目のイラストであろう。

 そういうことにひっかかっちゃうんだよね。

 おじさんは。


「音が待っている」'10.3/3

 部屋のすみにギルドのギターが今見えている。

 まあ、それはギルド社製のギターではあるけれど、

 ひとつの音のサウンドであると言えるだろう。

 ここから部屋の隅まで行って、手を伸ばせば、そのサウンドは鳴るであろう。

 しかし、ここから眺めているだけでも、その音の存在は伝わってくる。

 その意識のまま、外に出かけても電車に乗っても、

 そのギターの音色とギターの場所を感じられる。

 今日一日、そのギターにふれず、部屋の隅にあったままであっても。

 明日もあさっても、1ミリもその場所から動いていないとしても。

 音はそこで待ち合わせている。

 日付はなくても、待ち合わせている。


「音で憶える」'10.3/1

 フィギュアスケートの浅田真央選手が絵オリンピックのフリーの演技で、

 後半の意外なところでミスをしてしまったが、、それはあるなと思えた。

 僕もライブで、ほんと意外なところでいくつかミスをしてしまった。

 いままでまちがったところではないところで。

 ギターの練習をするときは、たぶん僕は指で憶えているのだろう。

 その指づかいに迷いがふと出来てしまい、その次のところで、音抜けとかしてしまった。

 迷ったらだめなんだね。

 迷っている時間なんてないんだものね。

 僕は気付いた。指づかいばかり、憶えていたからだめだったんだな。

 その指が鳴らす音を、憶えていないとだめなんだな。

 その憶えた音を頭で鳴らしながら、ギター弾くといいじゃないかな。

 そしたら、迷わないだろう。

 指で憶えたから迷いが生まれるんだな。

 今度から、音で憶えてみることにしよう。


「ひょっこりひょうたん島」'10.2/27

 ひょっこりひょうたん島って、海の上を進んでいる船のような島だったよね。

 今想えば、なんともドラマチックな話だろうと思う。

 日々旅にして、旅を住処とす

 まさにその通りだ。

 僕の部屋もなかなか今、片付けられなくて、昨日の続きのような今日ではあるが、

 この部屋もまた、ひょっこりひょうたん島のようであると思ってみる。

 日々の海を進んで行くという意味では、同じだものね。

 カレンダーだって、そういう気持ちで、365日という海のマップにしてみるといいのに。

 日々の海のマップを、自分で作ってみるかな。

 東京都杉並区高円寺、ひょっこりひょうたん荘1号 


「ローリング・サンダー・レビュー」'10.2/25

 ボブ・ディランが、1975年に行ったアメリカツアーがある。

 その名も「ローリング・サンダー・レビュー」

 なじみのミュージシャンたちとともに各地を巡ってゆき、

 旅の一座のようなツアーであった。

 それはビデオ映像になって残っていて、観た人も多いだろう。

 先日も友達の部屋で、ローリング・サンダー・レビューの映像を観た。

 自由にのびのびと歌い演奏していて、なんとも楽曲が生き生きとしていること。

 その一年前、1974年にもディランはアメリカツアーをしているが、

 まるで別人のようである。

 そのときは、ザ・バンドというかっちりとしたバンドバンドだったせいもあるが。。 

 僕が驚くのは、'74年から'75年までの一年間で、こんなにもツアーが変わるものかなってこと。

 (その三年後はまた、またまったく違う感じで、日本ツアーにやってくるのだが。。)

 '74年の全米ツアーを観た人は、'75年のディランを観てほんとびっくりしたはずだ。

 その間に何があったのだろう。


「怪物」'10.2/23

 今四週連続で、高田渡のテレビをやっている。

 渡さんといえば、歌詞にいろんな詩人の作品を使ったことでも知られている。

 それをきっかけに、僕らもいろんな詩を読むようになったものだった。

 もし、渡さんが唄っていなければ、知るきっかけが、なかなかなかったであろう。

 そのなかでも「生活の柄」の山之口漠さんの詩には最初に出会ったと思う。

 山之口漠さんの人と詩を読んでゆくと、必ず出てくる男がいる。

 それは詩人の金子光晴だ。金子光晴は、よく怪物と称されている。

 この人はほんと「怪物」と呼ぶのにふさわしい。

 僕も渡さん、山之口漠さん、金子光晴と順に出会っていったひとりだ。

 そして光晴さんを何十年も追いかけることになった。

 ちょこちょことした追いかけ走りではあるが。。

 金子光晴は、おどけた少年のような笑い顔の写真が多い。

 (これが光晴か、、)

 そう最初は思うのだが、、この人がまた 、、。


「ふたつの言葉」'10.2/21

 もしもいつか僕が気を失ったら、

 かけて欲しい言葉がふたつある。

 ひとつは

 「次はこうえんじー、こうえんじー」

 ふたつめは

 「カレー、まだあるよー」だ。

 このふたつの言葉に僕の本能が反応するだろう。

 うそじゃないんだ。よろしくお願いするよ。


「財布を買う」'10.2/18

 財布のチャックがしまらなくなってからも、しばらく使っていた。

 しかしさすがに限界で、先日、財布を買いに行った。

 レジに財布を持ってゆく。

 新しい財布を買うために古い財布からお金を出すのは、さすがに自分にはためらわれた。

 それで、一万札一枚を片手に持っていた。

 レジで、、お金ではなくて、財布を渡すのも妙であった。

 最近はレジ袋節約のため、財布をそのまま渡してくれた。

 それから、お釣りの六千円をもらった。

 その六千円を、新しい財布にすぐしまうのはさすがにためらわれた。

 結局、古い財布をポケットから出して、また六千円をしまう。

 これが古い財布の最後の仕事。

 おつかれさまでした。


「それなりの場所」'10.2/16

 最近、映像を観ていて、ある楽しみが増えた。

 それはインタビューのときの背景だ。

 まあ、歌い手ならギターがあるし、

 物書きなら本棚。

 監督ならトロフィー。

 他にはあんまりばっと思い浮かばないが、

 それなりの場所がインタビューのバックにそえられてあるだろう。

 最近、それが面白いなと思っている。

 別にどこでインタビューをしても、話の内容が変わるわけではないのだけどね。

 内容が変わるわけではないのだけれど、それなりの場所をつい選んでしまう。

 つい選んでしまう、監督さん。

 「じゃあ、この辺で・・」

 誰が決めたわけじゃない。しかし、なぜかそうなってしまう。

 僕にインタビューするなら、実家の海のそば、

 夕暮れのテトラポットの上にして欲しい。

 そこは僕のすべての話に似合っているから。


「俺、これ観たことがない」'10.2/14

 友達は大変な映画マニアである。

 たいがいの映画は、ほとんど観たというが、、最新作はまだのようである。

 僕の部屋に遊びに来たとき、僕の持っている映画ライブラリーの中のひとつを再生したとき、

 友達は「あっ、俺、これ観たことがない。。止めて」と、言った。

 映画マニアの友達も持っていない映画を僕が持っているなんて、それもすごいが、

 友達の驚きようもすごかった。

 友達の頭の中には膨大な映像ストックがあり、友達なりに整理されているのだろう。

 僕なんか、想像できないくらいに映像をしっかり観ているんだな。

 撮り方とかね。ひとつの映像の中のいろんな情報を観ているんだな。

 美味しい料理のように。。

 ぼくなんかすうねんまえにみたえいがのなかみも

 わすれちゃうことおおいけどね。


「高音」'10.2/12

 先日、テレビ番組の企画で、

 カラオケで出ない高音を出すという企画があった。

 普通に唄ったのでは、なかなか出ない高音が、

 あることをすると、みんなそれなりに出るようになったのだ。

 あら、不思議。

 おや、不思議。

 要するに、重い物を持つと、高音が出るという実験だったのだ。

 お腹に力を入れると、高音の出る声帯になるというのだ。

 こりゃ、びっくり。

 ほんとかい。

 部屋でギターを弾きながら、唄ってみたら、自分もやっぱり高音が出せた。

 40年も唄ってきて、知らなかったよ。

 かなり収穫があったな。

 もしかして、みんな知ってた??


「ふぉーくのしっぽ」'10.2/10

 このひと月ほど、日本のフォークのテレビ番組を観る機会が多かった。

 俗に言う「四畳半フォーク」ね。

 僕がフォークを聞き始めたのは、中学2年の頃で、もう'73〜4年になっていた。

 それからどんどんと、レコードを注文をして、年をさかのぼっていった。

 '68年くらいまで。

 実家にいた頃は、レコードを聞き、本を読むという自己勉強の日々であった。

 それから時を待ち、18歳で東京へ。もう'79〜80年になっていた。

 フォークブームもひと段落していたが、それでもまだ僕の中では実感があった。

 以前、買えなかったレコードも多くかった。そしてしっかりと聞いた。

 ライブにも出かけ、いい時間だったなあ。。

 自分なりに、身になったと思っている。

 そんなふうに出来たのは、ふぉーくのしっぽのおかげのような気がしている。

 しっぽといえど立派なフォークだものね。


「唄う映像など見たこともなかった頃」'10.2/8

 先日、ボブ・ディランの'63〜'65年の唄う映像を見た。

 その頃って、ボーカルとギターに対して、1本のマイクしかないことが多い。

 常にマイクから少し離れて唄っている感じだ。

 驚くほどの声量を出して唄っているようにも見えた。

 のびのびと。

 高校時代、まだボブ・ディランの唄う映像など見たこともなかった頃、

 しゃがれ声で唄うディランの真似をして、よく部屋で唄っていた。

 わざと声をしぼり出すようにして。

 実際のボブ・ディランも声をしぼり出すように唄っているんだと思っていた。

 実際の映像を見るまでは。。

 これぞ、「聞くと見るではおおちがい」って言うやつだろうか。

 ディランはのびのびと唄っていた。


「なごり雪を唄ってみる」'10.2/6

 先日、東京でも雪がそれなりに降った。

 外仕事をしていて、雪の景色を見ていると、つい雪の出てくる唄を口ずさんでしまう。

 なごり雪って、あったなぁ。この唄なら歌詞も全部知っている。

 僕が高校の頃には、もうみんな知っていた唄。

 あれから約35年はたっていますが。。

 この唄は、歌詞の風景描写がいいなといつも思っていた。ストーリーもあるし。

 ひととおり唄ってみると、いままで気が付かなかった意味合いもあることがわかった。

 おややという感じだ。

 いまでも名曲のうたに入っていると思うが、実はもっと名曲な気がしてきた。

 江戸の俳諧の人たちが、フォークの唄で1曲選ぶとしたら、この唄を選ぶんじゃないかなと思えた。

 汽車とかホームとか、わからないと思うが。

 井原西鶴のエッセイにも「名残の雪」と、出て来そうな。。

 そんなことをつらつらと考えていた。

 僕が思って感じたように、なごり雪を唄うには、どうしたらいいのかなと考えた。

 何度も唄い、メロディーも自分なりにアレンジしてみる。まるで自分の唄のように、、。

 帰り、アパートに着く頃には、ほぼアレンジも完成した。

 まあ、それでギターで唄ってみたりしたわけですよ。

 照れのない、あたらしい感じの「なごり雪」を。いい感じで。

 インターネット映像で「なごり雪」を検索してみたら、いろんな人が唄っていた。

 でも、僕が思っているように聞こえた唄はなかった。

 なんだか、もったいないな。。

 ふと、自分が今日作ったアレンジの「なごり雪」を、インターネットの映像サイトにアップしようかなと思った。

 ちょっとだけ自分の中で盛り上がって、すぐにそれはやめておこうと思った。

 むやみやたらに、この唄をいじることはできない気がするのです。

 なごり雪を唄ってみる。


「リッチー・ヘブンス」'10.2/4

 リッチー・ヘブンスが'74年に行ったテレビライブを見た。

 リッチー・ヘブンスは僕の中ではかなり大きな存在だが、知らない人も多いだろう。

 '60年代より活躍している弾き語りのシンガーで、ウッドストックで歌った映像など有名である。

 独特なギターチューニングと特徴ある歌い方。そのリズミックなギターストロークと余裕あるボーカルは聞く人を圧倒する。

 こんなふうに説明しなくてはいけないなんてと思うけれど、それが今も現実なのかな。

 '74年のテレビライブでは、リッチーはバンドで演奏をしていて、コンガなど印象的に入っている。

 そのライブはテレビスタジオで、若者たちを聞き手にして行われているのだが、

 みんなリッチーのことを知っているのか知らないのか、それともたまたまスタジオに来ている人なのか、

 アルバイトで来ているのか、反応どうも、今ひとつな感じだ。

 まあ、一曲終われば、それなりに盛り上がっているのだけれど、

 唄の途中は、「なんだろう、このおじさんたち」みたいな雰囲気である。

 リッチーは、ギターをかき鳴らしているし、リードギターは、感性で弾いている感じだし、

 どの曲もパーカッションのコンガが入り続けているし、ベースとギターのノリも、ゆれるゆれる。

 ヒット曲にみられるようなカチッとしたサウンドでもない。

 それでも僕なんか見たら、すばらしい演奏と唄に思えているわけなんだけれど、、。

 どうして、このノリノリの演奏なのに、聞いている若者たちは揺れていないのだろう。

 どうしていいのかわからないのかな。

 見ていて、こちらがせつなくなって来てしまった。

 リッチー・ヘブンスはへんなおっさんではないよ。かなり独特ではあるけどね。


「シャープ芯小話」'10.2/2

 先日買ったシャープ芯は超お買い得なものであった。

 以前買ったお買い得なものよりもっとお買い得であった。

 しかし使ってみると、ポキッポキッと折れるではないか。

 僕の使い方が荒いのかもしれないが、いままでならこんなに折れたことはなかった。

 ペン先でも折れる、ペンの途中でも折れる。笑ってしまうくらい。

 確かにHBの芯はやわらかいけれど、通常使用では折れないはずだが。。

 でも、そういえば「なかなか折れない芯になりました」とか、昔宣伝していたよな。

 その芯が僕の中で普通になっていたのかもしれない。

 外仕事を終えて、事務所に戻って来て、机で整理をしていても、

 その芯はまだポキポキ折れる。

 隣にいた同僚にとうとう「いやぁ、今日買ったシャーペンの芯がさ、すぐ折れるんだよ・・」

 と、話をした。

 同僚は「あっ、そうですか、、実は僕の芯もよく折れるんですよ」

 と、最近買ったというお買い得芯を出してくれた。

 「うわっ、それだ〜」

 なんたる偶然よ。僕らはお買い得品に弱いんです。


「演奏曲のタイトル」'10.1/31

 歌なしの演奏にも、もちろんタイトルはあるわけだけれど、

 ライブでは、タイトルを言うわけでなく、直接演奏が始まることは多い。

 あとあと、「あの曲」と言ってみんなに伝えるとき、どう表現したらいいのかなと思う。

 歌入りであるならば、歌詞のフレーズを仮タイトルにすることもできるだろうに。

 まあだいたい、演奏が続くライブでは、トークもニ三曲終わってからという場合も多い。

 だからタイトルを言わないと、記憶には演奏しかないわけだな。

 そうなってくると、演奏曲にとって、タイトルとは曲の出だしなのかなとも思えてくる。

 クラシックの有名な曲はタイトルは知らなくても、印象的なフレーズを口ずさむので、

 それがタイトルようなものなのかもしれない。

 それとも演奏曲にはもともとタイトルという概念がないのかな。

 文字で言ったら、ストーリーそのものなのかもしれない。

 僕自身は演奏家というより、歌い手なので、曲の伝え方が得意ではないが、

 演奏家どうしでは、確実に曲を伝える言葉を持っているのだろうなあ。


「40分のあれこれギター弾き」'10.1/29

 大忙しで働く八百屋さんのように新曲作りができたらなって思う。

 しかしそうもいかない。

 アイデアがどんどん出てくれば、それも可能だろうが、、。

 アイデアが出てきたときは、ピピッと来て、一直線に創作できる。

 大忙しの八百屋さんのように。

 まあ、それは憧れですが・・。

 そんな時代もあったねと。

 ここ10年の僕ときたら、歌を作りたい気持ちだけが大盛りだ。

 歌のアイデアがないとしても、自分なりにがんばらないとね。

 一日40分ほど、あれこれギターを弾いてみる。

 あれこれあれこれ。

 創作をしているみたいなふりをしているが、いつも収穫はなし。

 それでも、このおじさんは歌を待っているんだ。

 そのうち歌が僕を見つけてくれるように。


「最近の缶コーヒーは」'10.1/27

 自販機の前に立つたびに驚く。

 最近の缶コーヒーのネーミングときたら。。

 よくここまでいろいろサブネームをつけたものだ。

 その昔はシンプルなネーミングだったのに。

 もうそれではだめらしい。

 かと言って、何を飲んでも、もう僕にはその違いがなんとなくしかわからない。

 缶コーヒーって奥が深いんだな。。

 本当かい??

 ここまでいろいろ出したものだ。

 もうなにがなんだか、、舌混乱。

 舌混乱しずぎて、意識なし。


「僕らより年上の」'10.1/25

 洋食屋に来ていた三人のおじさんたち。

 僕らよりも年上で、60歳代と思えるおじさんたちが会話をしていた。

 独特なんだなぁ、その響きが。

 少し声が大きくて、物知り事の話がちょくちょく出て、

 印刷話がちらちらっと出て、遠出の旅行話も出て、、。

 60代の人たちの話は以前からそんな感じだったろうか。

 それとも僕らより10歳位年上のみんなの会話なのだろうか。

 その辺ははっきりとしないのだが。。

 今はインターネットやメールの時代に入っていて、

 もしかしたら、会話も全体的にデジタルぽいのかもしれない。

 自分らでも気付かないうちに。

 僕らも60歳代になったらあんな会話をしているのだろうか。

 そんな気はしてこない。やがては消えるやもしれぬ。

 僕らには話せない、あの独特の会話。


「靴影」'10.1/23

 先日買った靴は、なかなかに調子よくはけている。

 ふと足先を見ると、遠いどこかの記憶がよみがえってくるようであった。

 その色具合と形、いつか昔、僕がはいていた靴と似ていた。

 さて、その靴をはいていたのはいつのことだったか、、。

 すっかり記憶から忘れられていた靴。

 たぶん18年くらい前ではなかったか、ずいぶんと気に入ってはいていた記憶がある。

 思えば、数知れない靴をはいてきた。

 どの靴もなんだか思い出がいっぱいであるはずなのだが、もう記憶の向こうである。

 面影という言葉があるが、靴影という言葉があっても良い。

 それは歩いていて、靴を見たときの色の印象。

 はっきり言って、今回の靴とそのときの靴とはまるでちがう。

 でも、色合いが似ているんだよね。

 人は日記をあまり捨てたりはしないけれど、靴はよく捨てる。

 靴の日記の方はかんたんに捨てられてしまう。

 こんなにも懐かしいものなのに。


「夜更かししていいですか」'10.1/21

 友達と一緒に夜の高円寺の路地を歩いた。

 僕の部屋から最近借りた友達の古いアパートへ向かって。

 古い扉を開けると、友達の四畳半は、やっと少しずつ部屋らしくなってきていた。

 小さなテーブルに珈琲カップがふたつ。買っておいたというビスケットを真ん中に。

 友達は言う。「見てください。いつ友達が来てもいいように部屋を片付けてあるんですよ」と。

 その友達が今夜は僕ってわけかな。'90年代に録画されたコンサートビデオを観る。

 まだ途中ではあるけれど、もう夜の1時を回っていたので、僕は帰ることにした。

 友達の方は明日、仕事がお休みだという。

 帰り際、友達は僕にきいた。

 「夜更かししていいですか?」

 「いいよー」

 なんて、不思議な別れの挨拶だろう。こんな挨拶きいたこともない。

 おやすみではない挨拶。でも自然であった。

 そのまま、僕は夜更けの高円寺の路地を歩いて行った。

 歩いても歩いても懐かしい道。四畳半と帰り道はよく似合っていた。


「こだわる靴」'10.1/19

 靴を買った。サイズ26.5を二足。

 はいてみたら、少し小さい。

 実際、お店でもはいてみたんだけどね。

 まあ、いけるかなと思って。

 僕の靴のサイズは、高校時代から26.5と決まっていた。

 もうずっとずっと26.5。ためしにはかなくても、26.5のサイズならそのままでOKであった。

 それが一昨年くらいから、26.5の靴では小さめになってしまった。

 靴によっては大丈夫なのだけれど。はけない26.5もあった。

 それで昨年、とうとう27.0の靴を買ったんだよね。それも仕事用で。

 仕事用ということは、一日約10時間ほどはいている靴となった。

 もう、足が27.0にのびのびしちゃってさぁ。

 ひとサイズの上になれてしまったのかな。

 だからと言って、僕の気持ちはまだ26.5のままである。

 30年間も26.5だったわけだからね。

 ・・おまえはもう27.0だよ。

 そう言われてもまだ納得できない。そのへんはがんこだ。

 学校で、ちがうクラスに行ったみたいな気分だ。


「くだもの」'10.1/17

 昨日はほんとよく眠った。

 今朝も一度起きたが、また眠った。

 こたつが原因だとは思うが。。こたつは魔物だ。

 あんまり眠っていたら夢も観たが、起きかけに、

 ぼわーっと、くだものが目に浮かんだ。

 そうだ、今日はくだものを食べねばらぬ。

 くだものが今必要なんだ。

 あんまり眠っていると、人は太古の昔に戻ってゆくのではないか。

 太古の昔の人は、ずっと横になりながら、くだものを想ったにちがいない。

 これは仮説だが、

 人はくだものを食べると、起きたくなるのではないかな。

 というか、人は起きて、くだものを取りにいったのではないかな。

 くだものには、起きるちからがある。


「サークルゲーム」'10.1/15

 1970年か71年、パフィ・セントメリーの「サークルゲーム」の唄のシングル盤を買った。

 僕は小学3年か4年。

 映画「いちご白書」の主題歌でもあったこの唄はそこそこ流行った。

 「いちご白書」は学生運動の映画だったことは、知っていたので、

 この主題歌の「サークルゲーム」は、学校のサークルのことだと信じていた。

 何度も何度も、うそ英語でこの「サークルゲーム」を唄ってきた。

 すっかり学生運動の唄だと信じて、

 それから40年たって、ジョニ・ミッチェルのアルバムで、この唄を聞いた。

 アルバムには訳が載っていて、サークルゲームとは、回転木馬のようなものだと知った。

 元には戻れない時間という回転木馬、、。だいだいそんな感じの意味合いであった。

 えーっ、学校の唄ではないじゃないか。

 僕ははるばる40年間も勘違いしてきたのだ。

 と言うか、唄の意味を知らずに唄ってきたのだ。

 40年たって、君の言っていたことがやっとわかったよ。


「うまくは言えないが魚のような」'10.1/13

 '70年代最初に大ヒットした洋楽の原曲を聴いた。

 ヒットした楽曲の方はバンドサウンドになっていて、

 テンポもかなり早くなっていた。

 小学生だった僕は、その歌に夢中になった。

 そんな洋楽のヒット曲。

 それから40年たって、やっとその原曲を聴いた。

 テンポも速くなく、ギター二本でのサウンドであったが、

 実に唄らしく、感じられた。

 唄らしくというのも変なのだが、僕が40年前に聞いていたのは、

 シングルのヒット曲だったのだろう。

 その原曲を聴いていると、まるで魚が泳いでいるように思えた。

 ゆっくりとした小さな魚ね。。

 ヒット曲の方は唄を、

 原曲の方は魚を唄っていたのではないか。

 うまくは言えないのだが、


「餅を焼く」'10.1/11

 今朝、正月に買っておいたお餅を食べた。

 年明けに、雑煮にして食べたので今日は焼こうと思った。

 焼くと言ってもなぁ。

 何年も何年も前に買った、安い網焼きがあった。

 まださびてはいなかったので、使ってみることにした。

 始めによく網を焼いて。。

 お餅は失敗しながらもよく焼けた。

 網焼きはやがてまた冷えた。

 何年も何年も自分の登場を台所で待っていたのであろう。

 そして突然、呼び出されて、ぽーっと熱くなって、お餅を焼いて。

 そして15分。

 お腹も頭も手も足も全部燃えるように熱くなって。

 また冷えて同じ棚に戻った。

 やっとやっと出番が来たのだ。

 かーっとお腹まで熱くなって。頭の芯まで熱くなって。

 ほんの15分。


「口うた」'10.1/9

 歩いているときなど、よく唄っている。

 よく言われる「鼻歌」と呼ばれるものだが、

 考えてみたら「鼻歌」ではないな。ちゃんと口で唄っているし。。

 フォークに出会って40年。自分で唄を作って36年。

 友達の唄と出会って30年。

 山ほど唄ううたがある。

 まあ、歌詞の一部ではあるが、その数は限りない。

 レコードになっていない唄がほとんどではあるが、、。

 素晴らしき、再生マシン。

 英語の唄をよく唄っていた頃は、メロディや雰囲気を楽しんでいた。

 最近はほとんど日本語の唄で、

 唄の構成や歌詞の流れを楽しんでいる。

 よく出来た唄って、ほんとに良いんだよ。

 鼻歌ではないよ、口うたなんだ。


「時間」'10.1/7

 一年の海外旅行から帰国して、日本のテレビを観た。

 ほんの一時間の番組であったが、その内容の濃かったこと。

 テレビって、こんなもバラエティな詰め合わせだったんだな。

 それからもずっとテレビを観ているが、あんなふうな時間のテレビになったことがない。

 高校三年のとき、アルバイトをして、YAMAHA FG-600というギターを買った。

 六万円。自分がお金で買ったギターであった。

 低音にボリュームのある弾きごたえのあるギターであった。

 フレット音痴で苦しんできたが、このギターはばっちり気持ちよく弦があった。

 このギターで弾いた、最初の三ヶ月の時間、

 どの曲を弾いてもしっかり実感があった。唄作りもとても楽しかった。

 あの時間が戻って来ないかなと思う。

 あの時間に戻りたいなと思う。


「人の唄をうたう」'10.1/5

 先日のライブで、他の人の唄に挑戦してみた。

 が、かなり失敗してしまった。

 こんなにも人の唄って難しいんだな。

 何ヶ月もかけて、自分なりに唄ってきたつもりだったのだけれど、

 いざ、ライブで唄ってみると、どうもうまく表現できなかった。

 それほどに他の人の唄は難しい。

 原曲を聞いたとおりに歌うならば、簡単なのだけれど、

 自分なりにアレンジして歌うと、良い面もあるし、失敗もする。

 それなりの唄になっていれば、オッケーだが、

 それなりになっていないと、、かなりせつない。

 たぶん感情が勝つてしまうんだな。

 まあ、最初はそんなふうにいつも失敗する。

 次からは、ぐんと良くなるだろう。


「産地」'10.1/3

 近くの銭湯では、休憩室でいろいろ売り物をしている。

 先日は、佐渡の干し柿を出していた。

 僕の生まれは新潟でもあるので、佐渡の物と聞いたら食べたくなった。

 銭湯からの帰り道、干し柿をひとつ食べてみると、佐渡の日差しや土地が見えてくるようであった。

 産地っていいなぁ。

 知っていると味わいが変わってくるな。

 実際、果物を買うときなんて、産地がわかるわけなんだけどね。

 ついつい忘れがちになってしまう。

 土地に馴染みがあるといいな。

 今年はもうちょっと味わって食べようと思う。

 産地と旅を想いながら、、。

 旅はそんなところにもあるんだな。


「新年」'10.1/1

 先日、バスに乗った。

 いつもは街の人たちでにぎわっている路線ではあるが、

 年の瀬のせいか人は少なめで、ひとり降りふたり降り、

 いよいよ僕ひとりになってしまった。あとは運転手さん。

 こんなこともあるんだな。

 どこかに向こうとするとき、ひとりをさびしいとするか。。

 否、それはさびしいことではない。

 だって、ひとりだとしても、その場所に向かう人がいるのだから。

 帰りにまたバスに乗った。またしばらくしてひとりになった。

 そして、僕も降りてしまえば、バスは乗客はゼロになってしまう。

 それもさびしいことではないだろう。まだひとり向かう人がいるのだから。


「炬燵」'09.12/30

 こたつを出すとつい眠ってしまうので、

 もう10年ほど前に、こたつはしまってしまっていた。

 それがふとしたことでまた出すことになった。

 実家は雪国なので、こたつにはかなりお世話になった。

 こうしてこたつに入っていると、遠い日を思い出す。

 冬の日々にびったりと、こたつは寄り添っている。

 小さい頃からこたつでよく寝ていたので、かなりの時間、こたつといたことになる。

 僕が好きなのは、赤外線タイプのこたつであるが、これはちがう。

 そのへんが残念ではあるが。。

 今は元気ではある。それでもいつかは元気でなくなるときもあるだろう。

 そのときにこたつは役に立つのではないかな。

 ついつい眠ってしまうということもあるけれど、

 僕にとっては大事な何かであることは確かだとわかる。

 長い年月をかけて、それは生まれた。


「昭和の街」'09.12/28

 最近の演歌の歌で、昭和が残っている街「高円寺」のように言われていた。

 そうか、高円寺には昭和の匂いが残っているのか、、。

 高円寺通って30年、住んで20年になるけれど、昭和の街と思ったことはないなぁ。

 昭和というより、'70年代、'80年代の街と言った印象だ。

 えっ、'70年代、'80年代と言えば、昭和だって、、???

 それは言えてる。

 認識の違いか、、。

 今年後半くらいから、土日の高円寺が人が多くなったように思う。

 あれは、もしかして昭和の街を楽しみに来ているみんななのかな。

 高円寺の商店街は古い店はどんどんなくなり、特に昭和が残っているというふうではない。

 でも、街から感じられるものは、'70年代、'80年代の雰囲気だ。

 それは実は言えている。高円寺の商店街に、妙に新めの若者的な店がオープンしても、

 どうもしっくり来なくて、いつしかなくなってしまうことが多い。

 そのへんが高円寺らしいところだと、僕にもわかる。

 ここ数年、高円寺に住み始めた知り合いが、こんなことを言っていた。

 「なんというかな、高円寺には'70年代の吉祥寺や新宿の感じが残っていて、いいんだよね」と。。

 その頃を知っている人が言うのだから、そうなのかもしれない。

 ここまで来ると、街自身が持っている個性とか人格とか性格とかいう話になるのかな。

 がんばれ、高円寺。このがんこ者、がんばれ。


「引越の残し物」'09.12/26

 友達は三ヶ月たって、自分のアパートを見つけ、

 先日、この部屋から引越して行った。

 もともと手で持てるほどの荷物でやって来たのに、 

 さて、三ヶ月たってみると、何度も往復しないといけないほどの荷物になっていった。

 何度も往復して、すっかり友達の荷物もなくなったと思っていた。

 そして、ふとテーブルの上を見ると、お皿ふたつぶんに、山盛りの砂糖とミルクが乗せられていた。

 例の激安珈琲のファーストフード店で、もらえる砂糖とミルクね。

 友達は「太る」とか言って、砂糖もミルクも入れないが、ファーストフード店に行くたびにもらって来ては、 

「アオキさん、使ってくださいよ」と、言ってテーブルのお皿の上にいつも置いた。

 友達はこの三ヶ月、とてもよくファーストフード店に行き、珈琲を飲んでは時間をつぶしていた。

 それは僕が休みで部屋にいるときや、早く帰ってきたときなどだ。

 砂糖とミルクをもらってきて、お皿にためているのは知っていたが、そのお皿がふたつあるとは知らなかった。

 その数ときたら、、。何しろ三ヶ月ぶんだからね。

 いろんなことでバランスはとれると思っているが、

 この砂糖とミルクの数は、友達にとって、ひとつのバランスをとっていたのだろうな。

 まあ、僕は珈琲に砂糖とミルクは入れないのだけれど。。

 このお皿ふたつぶんの砂糖とミルクの数だけ、友達は時間をつぶした。

 引越の残し物、、ありがたくいただきます。


「三ヶ月」'09.12/24

 三ヶ月って、どのくらい長いのだろう。

 学生の頃で言えば、ひと学期という感じか。

 僕が海外旅行に出たとき、三ヶ月で帰る予定が一年になってしまった。

 中国・チベット・ネパールの旅、、その三ヶ月はほんとに長かった。

 ・・・・・・

 友達が部屋に来てから、ちょうどもうすぐ三ヶ月になる。

 そして明日、新しいアパートを見つけて引越してゆく。

 今は12月も終わりになりコートの季節ではあるけれど、

 三ヶ月前はまだTシャツでもおかしくなかった。

 季節がひとつ半変わったのだが、、

 なんだか、つい昨日のように感じる。

 それとも遠い時間のような。

 まるで文庫本の最初のページが、手の平の中にあるような感じか。

 思い出すというより、これからのストーリーの方が本番のような気がするので、

 心は、未来にすっかり向かっているのだ。

 なにもかも、これからでしょう。

 ・・・・・・

 この三ヶ月、振り返ると、ただひとつの景色が見える。

 同じ部屋に友達といる。そういう時間が見える。


「間に合ったかもしれない」'09.12/22

 ここ最近、友達が安い部屋を探していたが、

 もうなかなか安い部屋などないこともわかった。

 四畳半、ガス水道付き。トイレは共同。

 見つけられたことは見つけられたが、もう古い建物であった。

 ・・・・・

 駅前で待ち人をしているとき、ふと'70年代の写真のことを思った。

 東京に出てきた若者たちの'70年代。あせたカラー写真に写るのは、

 仲間と一緒いる写真。ピースをしてり、セーターを着ていたり、ラッパズボンだったり、、。

 '70年代の東京のアパート生活は充実していたのだろうなと思う。

 僕が東京に来たのは'79年で、アパートを借りたのは'80年であった。

 四畳半、ガス水道付き、トイレ共同。15000円。

 同世代の友達と知り合うとみんなも、同じ四畳半であった。

 誰も彼もそうであった。まあ、自宅という友達もいたけれど。

 今、東京に出てきたみんなは、どんなアパートを借りているのだろう。

 やっぱり、ワンルーム6畳、バストイレ付きなのかな。

 下町の古いアパートも次々となくなっているのは実感として知っている。

 まだ残っているはいるだろうけれど。

 ・・・・・・

 駅前で待ち人をしているとき、'80年代のアパートのことを思った。

 僕らは間に合ったのかもしれない。おじさんの昔話であっても、

 ちゃんとしたおじさんになれそうな気がする。


「歌の行方」'09.12/20

 いままで送る歌なんてほとんど作らなかった。

 やってきた歌ばかり作ってきた。

 何度も作ろうとはしたけれど、それは作った歌のようになってしまうからだ。

 それがどうちがうかは微妙なところだけれど。。

 しかし、最近やっぱり歌を作っておかねばならぬと思うようになった。

 出来上がってみれば、それはなんだか自然な作品ではないだろう。

 でも、そんな作品はそれなりの良さがあるだろう。

 このまま歌がやって来るのを待っていたら、たぶん作らないかもしれない。

 みんな遠足に旅立って行ったのに、その歌はまだここにある。

 つらい旅になるかもしれないが、歌にして送り出さねばならぬ。

 おまえの不器用さが、うまく辿り着くにちがいないと信じて。


「ダウンジャケット」'09.12/18

 ガスストーブの暖房費がかなり毎年かかっていた。

 部屋が狭くなってから、ガスストーブは無理と判断し、

 今は日々、電気毛布だけで過ごしている。

 すると、上半身が寒い。

 上半身が寒いので安いダウンジャケットを着ている。

 (ダウンジャケットというけれど、羽毛ではないけどね・・)

 値段も2980円だったかな。

 これが意外とあたたかい。まるで肌の一部であるかのようだ。

 とても助かっている。

 これから、まだまだ寒くなる。2月が一番寒い。

 がんばれ、ダウンジャケット。

 でも、外なんだか部屋なんだかわからないネ。


「コタツで寝る」'09.12/16

 朝起きてみると、友達はコタツで眠っていた。

 ここしばらく同居していて、寒くなってコタツを出したのだ。

 かたわらには、帰りに買ってきたと思われる本やビデオがあった。

 夜更かしして、そのまま眠ってしまったのだろう。

 明かりもついていた。

 そんな暮らしは懐かしい。

 なんとも言えない安らぎがある。

 ときどきはそうしてみたい。

 「コタツにすると眠ってしまうんですよ」と言う。

 その強力な吸引力には、つい負けてしまう。

 眠りの国に行ってしまう。

 そこにある超熟睡。

 それもまたよしか。


「自分の歌を聞く」'09.12/14

 先日、友達が僕の歌をしみじみと歌ってくれた。

 自分でもよく歌っている歌なので、構成もよく知っているのだけれど、

 それでもなお、新鮮に聞くことが出来た。

 その歌を作るとき、一行一行に、言葉を見つけていったり、

 楽しめるように、いろんなしかけを作ったり、

 そんな創作時のことがいろいろよみがえってきた。

 しみじみ自分の歌の歌詞を聞いていると、その言葉は、

 僕の日常の中で見つけ出した、ひとつのリズムがあるなとわかった。

 紙芝居のセリフのように、十分にその言葉のリズムも楽しむことができた。

 自分でも、よく歌っている歌なのにね。

 小さい頃、自分の絵が入賞して、見に行ったような気持ちだった。


「もらった室内アンテナ」'09.12/12

 世の中の不思議。

 友達が高円寺でアパートを借りることになった。

 一緒に銭湯に行き、テレビアンテナが付いているといいねという話になった。

 15年前まで友達は以前に高円寺に住んでいた。

 そして実家に帰る前、僕にひとつのものをプレゼントしてくれたのを思い出した。

 SONY製の高級室内アンテナだ。

 それは僕の部屋のどこかにあるはずなのだけれど、探すとなると大変だ。

 今はアンテナケーブルが入っていて、必要がなくなっているので。

 できれば、その室内アンテナを友達にプレゼントしたいと思った。

 必然の流れで。

 しかし、そんなふうにもらった室内アンテナを、またあげるなんて想像出来ただろうか。

 これが世の中の不思議なところ。

 ひとがんばりして、探してみるか。

 (P.S. 結局、アパートにはアンテナがひかれていることがわかりました、、)


「友達はがんばっている」'09.12/10

 今から約30年前、友達は急に訪ねてきて、

 そのまましばらく一緒に暮らした。

 そのあと、高円寺で四畳半のアパートを借りたのだ。

 あれから約30年たって、友達はやっぱりまた急に訪ねてきて、

 今日、高円寺に四畳半のアパートを借りようとしている。

 状況はまるで同じだ。始まりはまた四畳半。

 友達が来て、二ヶ月になるが、いろんな幸運があったり、

 そうでなかったり。。人生はすっとはうまくはいかない。

 トントン拍子に思えたことも、スローブルースにも変わる。

 友達も僕もそれを実感した。

 ある目標に向かっているのだが、

 それを見ている人は、四畳半から始めなさいと言う。

 初心忘るるべからず。

 四畳半忘るるべからず。

 友達はがんばっている。


「商店街の路地」'09.12/8

 どんどん活性化されている商店街がある。

 毎年のように古着屋が増え、若者の好きな通りになっている。

 オシャレなカフェが次々に出来ている。

 そんな商店街を先日歩いた。

 訪ねるたびに新しい店が出来ていた。

 そして、少し路地を見ると、なんだが昭和の匂いがたっぷりな家々が見えた。

 ここらへんは古い家がまだ多いんだな。

 店の横の路地には、昭和だらけ。

 この商店街の道一本だけが、ここでは明るいのではないか。

 その明るい道だけをいつも歩いているのではないか。

 この辺は古いよ。。


「200字」'09.12/6

 30年の出来事について、200字で書くことになった。

 書きたいことはいくつかもうあって、しめきり近くになっていざ書いてみると、

 まるで文字数足りない。

 何度挑戦しても文字数が足りない。

 30分ほどで仕上げようと思っていたのに、まるで書くことが出来なかった。

 銭湯に行ってみたり、食事に行ってみたり、気分転換をしながら考え続けた。

 書きたいと思っていたことは、文字数的に無理だと判断して、他のアイデアを出すことにした。

 そんなことをしているうちに、一日かがりになった。

 200字で書くって大変なんだな。それを実感した。

 世の本の中には、プロフィールや、映画紹介など、短い文で多く書かれてるけれど、

 あれもなかなか大変なんだな。

 本を推薦する一行の文なんて、もっと大変そうだ。

 短い文はみんな大変だ。


「愛情バンド」'09.12/4

 レナード・コーエン「1970年、ワイト島で歌う。」の映像を観た。

 レナードの出演は夜中の2時であり、とても寒い様子であった。

 それでも60万人の前で、レナード・コーエンは1時間以上のバンドでの演奏をした。

 レナード・コーエン自身は弾き語りの人なので、そのバンドと言っても、

 そのイベントに合わせて、集まってくれたメンバーのようすだ。

 メインはレナードの歌とギターであり、それに音を足してゆくサウンドになっていた。

 コーラスの女子ふたりをのぞいては、実にみんな無口で静かであった。

 寒かったというせいもあるのだろう。

 しかし、その演奏プレイは最大限に丁寧で、愛情がたっぷり感じられるものであった。

 現代のロックと比べると、なんじゃこりゃというほど、スカスカなサウンドではあるが、

 映像を観ていると、そういう次元ではないような気がしてきた。

 歌とバンドとの一体感とかよく言われるけれど、レナードの場合、声の響きのしめる割合がとても大きい。

 何か伝えようとしているものは、サウンドというより、声の響きの中にあるように思える。

 聞く人たちもまた、そこに耳の意識がゆく気がする。

 ワイト島での演奏陣は、それがわかっていたように思う。

 愛情たっぷりに、ひかえめに。


「ほんの2ミリの明日」'09.12/2

 夜、眠るとき、いつも最大に気をつけていることは、

 目覚まし時計の上のスイッチを2ミリほど上げてオンにすることだ。

 そのスイッチをオンにしないと、朝早く起きられないからだ。

 うとうとっとして、そのスイッチを上にあげると、中途半端になり、

 目覚ましが鳴らないことがあるので、確実に上がっているか何度か確かめる。

 そのほんの2ミリから、僕の明日がやってくるようだ。

 明日がやってくるように、僕はそのスイッチを上げる。

 平日はほぼ毎日。

 トイレに行くのを忘れても、それは忘れてはならない。

 前の日に2時3時まで夜更かししたとしても、その2ミリを忘れてはならない。

 酔っぱらって帰って来て、布団に倒れ込んでも、

 その2ミリを忘れてはならない。

 カチッと音がするまで。

 明日はその2ミリからやって来るのはまちがいない。

 小さな電子音とともに。

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