カントリーの斎藤任弘氏と成毛 滋  (1975年5月)

 

'86年に成毛が自分で創った年賀状

 

 
 

Paul Gilbertと手の大きさを比べる成毛
(これだけ違うんだから同じネックを弾けるわけがない)
(1999.10.16.)

 

15年ぶりに揃ったワンダー3。 '60年代に三人で 「ワンダー3」 のペンネームでテレビ番組のコントを書いていた。 (左から高橋俊夫、成毛 滋、影山民夫。'82年1月)

 

 
 



カメラマンをやっていた頃の成毛のお作品。
(F11-1/2 Pro-2 3灯 KR '84年3月)

 



成毛(2歳 左)と進駐軍の女性。 当時成毛は進駐軍のアメリカ人と一緒に暮らし、 毎日蓄音機でアメリカのレコードを聴いて育った。

 

 

成毛 滋(左)の初ステージ。小学生の時から手品、落語でステージに立っていた。('57年11月)

 

忍者映画を撮った時の成毛(白髪の仙人)
当時は映画製作志望だった。('64年8月)

 

 
 

エレキ漫才でギターをトンカチで弾く成毛(左)。 ワンダー3でテレビ番組のコントを書き、 自分でお笑いのステージもやっていた。('67年3月)

 

大学時代の成毛の首にはいつも黄色いマフラーがなびいていた。(左から四人目) これはトイレの便座カバーに針金を入れてなびいた形に固定したもので、教室の中でもなびいていた。('68年1月)

 

 

Vanilla Creamの成毛(G.Kb. 左)、松本幸三(Drs. 右上)、 シーユー・チェン(Vo.B. 右下)。ギターを禁じられたフィンガーズ時代、 事務所に内緒で三人でディスコ等で演奏していた。('69年2月)

 

Vanilla Creamで、右手でオルガン、左手でフェンダー ジャガーを弾く成毛 滋。お客には受けなかったが、ジャズ喫茶のウェイターには大受けだった。('69年6月)

 

 
 

ウッドストックから帰った直後の成毛 滋。('69年8月) 10円コンサートをやった時はこの格好で税務署,消防署、警察署をまわった。

 

第1回10円コンサートの田畑貞一(Dr)と、成毛 滋(G)
コーラスがメインだったエム以外は全て個人参加だった
('69.9.22. 撮影 飯田幸子氏)

 

 
 

第1回10円コンサートで、楽屋へ覗きに来ていた者もみんな参加したアンコール・セッション。ステージも1200人の観客も雨でずぶ濡れになったが、「気分はウッドストック」で、却って盛り上がった。(左端は山口冨士夫)

 

第2回10円コンサート。
左から田畑貞一(Dr)、柳田ヒロ(Kb)、橋本健(B)、成毛 滋(G)、陳信輝(G)、小林勝彦(Stg)
 ('69.10.30. 撮影 東京写真工房)

 

 

第2回10円コンサートの成毛 滋(左)と、
ベースの柳ジョージ (右)  (撮影 東京写真工房)

 

スタジオ・ミュージシャン時代の成毛 滋(左)とベースの江藤 勲(右)。 当時譜面が読めないでスタジオ・ワークをやっていたのは成毛一人だった。('70年6月 撮影 稲越功一氏)

 

 
 

FLIED EGG FAREWELL CONCERTのGYPSY EYES
左からつのだ☆ひろ(よく見えないが、ドラムを叩いている)、柳ジョージ(Vo. B)、成毛 滋(G 右端)  この後成毛は柳ジョージとロンドンへ行った ( '72.9.19. 撮影 東京写真工房)

 


羽田空港で、柳ジョージ(左)と成毛 滋(右)
('72.10.21.)

 



ロンドンの英語学校の入り口に立つ成毛。
柳ジョージと 一緒にこの学校に通った。
('72年10月 撮影 柳ジョー ジ)


 
 


ロンドンの楽器屋街 "Shaftesbury Ave."で。
ここでメロトロンを買った。 (撮影 ケン影岡氏)

 

ロンドンの中国料理店でウェイター兼ピアノ弾きのアルバイトをする成毛(右)と、お店のマネージャーの呉氏(左)。成毛はここで広東語を覚えた

 

 
 

マネージャーの呉氏(右)は自称中国豹拳の高手で、成毛(左)は「功夫(コンフー)」も教わった

 

カントリーの大御所、瀬谷福太郎氏と。
成毛は元々カントリーの出身
(1975年5月)

 

 
 

Night Rangerのブラッド・ギルズ(左)、ジェフ・ワトソン(右)と成毛(中央)。('83年12月)

 

香港のBeyondと成毛(中央)。まだ黄 家駒(右から二人目)がいて、「今度ジャムセッションしよう」と約束していた。(亜州音楽節で '92年11月)

 

 
 

香港のドニー・葉(イップ 左)とのデュオで演奏する成毛(右)。ヴァン・ヘイレン、イングヴェイの曲をやっていた ('95年6月)