学生バンド時代の成毛(前列中央)。Kb(右端)はChristopher Lynn。 (撮影 東京写真工房)

成毛 滋は1965年、慶応大学1年の時にビクターで最初のレコーディングをしている。この時のプロデューサーは後にストロベリーパス、フライドエッグのアルバムをプロデュースする本城和治氏で、成毛はオリジナルの“Charley Woolys Judy”等エレキインスト4曲をレコーディングした。
しかし当時はまだエレキインストなどというものはごく一部のマニアしか知らず、レコード会社の人間はこの聴き慣れない演奏に拒絶反応を示し、発売はされなかった。


マルチ・キーボードで"Alone In My Room"を演奏する成毛

 

又1975年、成毛はロンドンから帰国してマルチキーボードの組曲 “Alone In My Room”をレコーディングした。
ところがシンセサイザーというものを知らなかったレコード会社のチーフディレクターはテープを聴いて「なんだこのヘンテコな音は‥!こんなもの音楽じゃない !」‥と言って発売中止にし、しかも 「あームシャクシャする!変なもの聴かせやがって‥」とカンカンに怒って部屋を出て行った。

他にも成毛はキング、東芝、ポリドール、ビクター、CBSソニーでソロアルバムをレコーディングしたが、いずれも発売されないか、レコーディングの途中で打ち切られた。


ストロベリー・パスでドラムを叩きながら唄う角田ヒロ(左)と、左足でペダル・ベースを弾きながらギターとオルガンを弾く成毛(右)。 (撮影 田村 仁氏)

常に外国の音楽シーンを目指していた成毛と、歌謡曲のレコードを売るための日本のレコード会社が期待するものとが噛み合う事は無く、唯一の例外は'71年に日本フォノグラムで本城和治氏がプロデュースしたストロベリーパスとフライドエッグのアルバム計3枚であるが、これは当初「6バンドによるオムニバスアルバム」として企画されたものの他のバンドの曲が間に合わず、やむなく2曲レコーディングを済ませていた成毛達のアルバムに変更されたものであった。
つまり偶然の産物だったわけで、これ以外の成毛がソロアルバムとしてレコーディングしたものは一枚も世に出る事はなかった。その代わり、成毛が全く知らないのに「成毛 滋のソロアルバム」と謳ったインチキソロアルバムが7枚も出ている。

又、'90年代に入って新興のインディーズ会社等が成毛の未発表音源をCD化しようとしたが、音楽著作権法に阻まれ、いずれも発売はできなかった。
従って一般には成毛の名前は知られていても演奏は殆ど知られていないわけで、僅かに残っている成毛の音源をここでMP3でご紹介して行きたい。

資料と音源の発掘に御協力戴いたN.E.D.の佐々木雄三氏とF.B.I.の石河 誠氏に感謝致します。

2002.10 遠藤利吉(間借人)