私の前世はきっとイギリス人だったのだろう、とよく考えます。

心惹かれるもの全てがイギリスと関係してるのです。

私が引き寄せるのか、それともイギリスが私を引き寄せてるのか...

そんな私とイギリスのお話、はたまた回想記を綴ってみたいと思います。

 

 
 私がEngland, Londonに興味をもったのは、Culture Clubとの出会い  がきっかけでした。  中学1年の頃、彼等のカ-マカメレオンが洋楽chartを賑わしていた頃、  私は深夜のradioで初めて彼等を知ったのです。  すっごい衝撃を受け最初は「なんて無気味な曲なんだろう」と感じた  のが、次ぎの日も又その次ぎの日も頭からあの曲が離れず、自然と   radioのswithをonにして又彼等の曲が流れるのを待つようになったのです。  それからというもの、その当時の洋楽雑誌、Rock showやMusic lifeを  読みあさるようになり、そしてBritish musicに傾倒していったのです。

 

もっともっとLondonのことが知りたいと思いはじめた頃‘Rio’という London情報誌が創刊されLondonに行きたい!!と強く思うようになっていったのです。 ‘Rio’を知ってる方いますか? バックナンバ-全てとっておいたのに、私がLondon行っている間に 全て処分されてしまいました 。 凄くいいmagazineだったんです。 もし知ってる方がいたら是非お話したいです。  Londonに行きたい気持ちが引き寄せるのか、その当時       London ブ-ムだったからか、Londonに関わる本が結構   ありました。その頃の憧れの人で、水上はるこさんという  女性がいます。彼女はシンコ-ミュウジック社の編集長を     経て、その後フリ-になりLondonで生活を始め‘Londonに     行きたい!’‘Londonに行きたい!2’を出版しました。 言う迄もなく私にとってのbibleになったのです。                  英語も一生懸命勉強しました!        英語だけは誰にも負けたくない気持ちが強かったかも... 中学を卒業してLondonに行きたいと両親に言ったけど相手にされず、     しかし、ますます高校を卒業したら絶対Londonに行くんだという気持ちが たかまりました。
     この頃は夜中にあった‘Best hit U.S.A’やピ-タ-バラカンの音楽番組を見ては洋楽
     にも触れ刺激を受けました。
     凝り固まっていく私はかなり生意気に見えていたと思います。
     「日本人なんてくそくらえ!」の勢いで日本に対しても非観的でもありました。
     かわいくなかっただおうなあ、と今振り返るとちょっと恥ずかしいけど、
     自分が愛おしくもあります。

      高校2年生の頃からは、Discoで踊ることが楽しくて仕方がなくなり、よく通い
      ました。
      いろんな大人に刺激をうけました。
      Discoに通う大人は、なかなかどうして、個性的な人たちが多く、カッコよく16、
      17才の私には写ってましたね。
      早く大人になりたい、子供扱いされたくない、という思春期特有の感情。
      
  
                    
高校卒業後の進路を決める時期に、やはり私はLondon行きを担任の先生と
家族に話しました。
先生も母も大学進学を進めましたが、父と祖父母は私の気持ちをよく理解
してくれてたので、「お前の決めたことだから」とO.Kしてくれました。
実際大学で英語を学んでも話せるようになるなんて無理だともわかってた。
多分遊んで、4年間を過ごしてしまうんだろうと...
後にLondonで出会った大学生は全然英語話せなかったし、英語能力も
        「えっ?」と驚かされる人たちが多かったのです。
         Anyway, なんでもひとりでやってみたかった私は、ここだと思うLondon
        のEnglish schoolに問い合わせ、Stay先、Air ticketも手配し、とうとう憧れの地
        Londonに向けて出発することが決まったのでした。
                      

 

        7月にLondonに出発することにしました。特に深い意味はないのですが...
        それまではバイトをして過ごしました。そこのバイト先のマスターのお母様
        というのが又英語好きで、50才をとうに過ぎてるのに英会話に通い外人と
        見れば話し掛けるエネルギッシュな閑散マダムといった感じ。
        そこでは、マスター、おばさん初め常連さん達にも可愛がっていただいて
        たった4ヶ月だったけど、別れが辛い程にまでに。
        でも、その日が近付いてきます。
        出発が近付くと、友達がお別れ会など開いてくれることが多くなり、友達と
        別れるのがやはり、寂しく、「やめようか...]などど思ったり。
        もう一週間前ともなると、手にかゆみが出始め体に変調をきたし、通院し
        たり、無意識下ではかなり神経質になっていたのでしょう。
        
        家を出る時はとても切なかった。
        東京の友達の家に2日ほど、宿泊することにしたので、両親よりも人足先に
        家をでました。
        祖母は車が見えなくなるまで、私を見送ってくれ、おばあちゃんこだった私
        は駅まで見送ってくれる、両親の車の中で気付かれない様泣いてた。
        泣いてる所をみられることは、やっぱり余計な心配を掛けてしまうようで
        又プライドが許さなかったっし。
        駅での走り去る汽車から見た両親の姿は一生忘れられません。
        二人とも呆然として、肩をがっくり落としたままベンチから立とうとしてま
        せんでした。
        そこで初めて、私は一目を気にせず泣いた。
        なんだかんだいっても、まだ18才になったばかり。
        内心不安でたまらなかったんです。


    
        とうとうLondonへ旅立つ日がやってきました。
        不安と期待で胸がはりさけそうでした。
        なんとも言えない界隈の念。
        期待で嬉しくてどうしようもない振りをしてました。 
        両親にはそのように見えて欲しかった。
        いざさらば、という時には、母は一目もはばからず泣きながら手を振って...
        父は...父の姿は見られませんでした。
        きっとトイレかどっかで泣いていたのでしょう。
        そう思うと、私も涙が溢れてきて切なかった。
        ここまで育ててくれた両親と祖父母の気持ちを胸に搭乗したのです。

        Londonまでの旅路はとっても長い予定。
        というのも、ソウル、アンカレッジ、フランスでの乗り継ぎ、燃料補給があった為。
        今にして思うと、どうして直行便にしなかったのか!!!
        
        隣に座った25才の男性。
        この彼はミュージシャンになる夢破れ、パリで活躍する写真家の兄の元で新たな
        人生を歩むことになった、ちょっぴりセンチな男性。
        隣に座るなり自分のこれまでの人生を語り、時に涙を見せるのでした。
        どうして男って弱いんだろう?
        見ず知らずの女性の前で泣くことができるんだろう?
        ああ− 情けないなあ。
        その彼は、ソウルとアンカレッジでの待ち時間もず〜っと私にくっついてきて。
        寂しいんだろうけど、私だってひとりで考えて、そしてセンチな気分にひたりたい!
        フランスで別れる時も彼は目をうるうるさせて、去っていきました。
        その彼は今どこでどうしてるんだろうか...?
         
        フランスでの待ち時間も3時間と、長くて時間をつぶすのに大変だったけど、
        Londonに行くという日本人女性と一緒になり、不安な気持ちも誤魔化せました。
        そうして、2日近くも費やしたであろう、空の旅が終わろうとしています。