Sapio 小林よしのりのマンガ
小学館の雑誌Sapio2006年9月27日号に、小林よしのりが東京裁判に関してマンガをおかしなマンガの解説を書いていました。以下は、このマンガの一部を読んで、デタラメな点を指摘したものです。2006年9月12日から9月21日にかけてBlogに書いた記事を、一部改変しています。
以前、サンフランシスコ条約11条の訳語について、このブログで書いたことがあります。今は、まとめて別ページに置いています。
2006年9月頃、このページのクリック数が少し多いように思ったら、小学館のSapioに、小林よしのりが、おかしなマンガの解説を書いていました。話題になっているならと思って、Sapio買ってみたのですが。小林よしのりのマンガは相変わらず絵が汚らしくて見るのが苦痛です。漫画なので、内容がデタラメなのは仕方ないとしても、もう少し上手に絵を書いてくれないかなー。
と言うわけで、まだ、ほとんど見ていません。1コマだけ見たら、早速デタラメなことが書いてありました。
裁判では最終的に「判決」が言い渡され、「判決理由」が付けられる。
平成○年○月○日宣告 裁判所書記官 ○○○○
平成○年第○○号 ○○事件
判 決
本籍 [被告人本籍地]
住居 [被告人住居地]
[被告人職業]
[被告人氏名]
昭和○年○月○日生
主 文
被告人を○○に処する。
[もう少し何か書かれることが多い。執行猶予とか。]
理 由
[数ページに渡って、いろいろ、こまごまと書かれている。]
(検察官○○出席)
(求刑懲役○年)
平成○年○月○日
東京地方裁判所刑事第○部
裁判長裁判官 ○○○○
裁判官 ○○○○
裁判官 ○○○○
小学館のSapioに、小林よしのりが、おかしなマンガの解説を書いていました。内容もでたらめ、絵も汚らしいで、見る気が全然起きません。
サンフランシスコ講和条約11条の目的に関して、小林よしのりのマンガではデタラメな説明がなされています。最初に、小林のデタラメ説明と、条約締結国会での政府の正しい説明を掲載します。
小林よしのりのデタラメな説明
サンフランシスコ講和条約第11条とは、日本政府が、占領中の連合国の軍事行動で戦犯とされた者たちの、「刑の執行」を肩代わりせよという条約であり、ただしその「刑の執行」も条件次第では停止して釈放してもよいという条約なのである。
第十一條は戰犯に関する規定でございます。この條約の規定は、日本は極東国際軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所がなした裁判を受諾するということが一つであります。いま一つは、これらの判決によつて日本国民にこれらの法廷が課した刑の執行に当るということでございます。そうしてこの日本において刑に服しておる人たちに対する恩赦、特赦、仮釈放その他の恩典は、将来は日本国政府の勧告に基いて、判決を下した連合軍のほうでこれをとり行うという趣旨が明かにされております。極東軍事裁判所の下した判定については、この極東軍事裁判所に参加した十一カ国の多数決を以て決定するということになつております。一体平和條約に戰犯に関する條項が入りません場合には、当然各交戰国の軍事裁判所の下した判決は将来に対して効力を失うし、又判決を待たないで裁判所が係属中のものは爾後これを釈放する、又新たに戰犯の裁判をするということは許されないというのが国際法の原則でございます。併しこの国際法の原則は、平和條約に特別の規定がある場合にはこの限りにあらずということでございます。従つてこの第十一條によつて、すでに連合国によつてなされた裁判を日本は承認するということが特に言われておる理田はそこにあるわけでございます。戰犯に関する限り、米国政府の態度は極めて友好的であつたと私は一言ここに附加えておきたいと、こう思います。(昭和26年10月26日 参議院−平和条約及び日米安保委員会 政府委員 西村熊雄)
2006年09月15日
「今のメディアにはもう何も期待できない。わしは今までインターネットで保守を名のる者を批判してきたが、あえてそのネットの者たちに共闘を求めたい。彼らに期待する。」
「わしはインターネットの使い方は不得手だ。どんなやり方があるのか知らんが、東京裁判の呪縛から日本を解き放つために、ネットを最大限利用してくれ!」
英語では「accepts the judgments」法律用語で「裁判」は「trial」であり、「judgments」はあくまで「判決」。
フランス語は「accepte les jugements」この後に、「言い渡された」を意味する「prononces」が付いている。
〔法〕裁判所・裁判官が具体的事件につき公権に基づいて下す判断。訴訟法上は、判決・決定・命令の3種に細分。(広辞苑)
裁判所が法的紛争を解決する目的で行う公権的な判断。その形式には判決・決定・命令の3種がある。(大辞泉)
司法機関が訴訟について、法律に基づいた判断を行うこと。判決・決定・命令の三種の形式がある。(大辞林)
これまで、数回にわたって、小林よしのりの漫画はでたらめであると指摘しました。間違いか、正しいのか、分からない点があります。
それにしても今年の8月15日にはなんと史上空前の25万8000人の参拝客が訪れて拝殿にも遊就館にも一日中、列が途切れることがなかった。我が「よしりん企画」のスタッフも2名が参拝して詳しく報告をしてくれた。そこは明らかに日頃のマスコミ報道にフラストレーションを募らせた一般市民の解放区になっていて、TBSのテレビマンには特に多くの野次が浴びせられていたという。
私は、この日、靖国を参拝したのではないので、小林の記述が正しいのかそうでないのか、よく分かりません。
小林よしのりが執筆に関与している、扶桑社「新しい歴史教科書」(市販本P306)には、昭和天皇の記述の関して「崩御の日」の中に次の記述があります。
皇居前では、さらに全国各地では、若者、老人、主婦、サラリーマンなどさまざまな人々が、昭和天皇の時代のもつ意味に静かに思いをめぐらせた。
崩御の日、私も、皇居前広場に行って、記帳をしてきました。皇居前広場には、たくさんの人がいて、中には、「静かに思いをめぐらせた」人もいたと思いますが、多くの人は単に物見遊山のようで、カメラを持っている人が多いのに驚きました。(物見遊山と言ったら失礼かもしれません。多くの方は、歴史の転換点に立ち会いたかったとも思えます。実際、東京中央郵便局には昭和最後の記念として、消印を押印する人たちで、ごった返していました。)
8月15日の靖国に、『日頃のマスコミ報道にフラストレーションを募らせた一般市民』が一部存在していたと言うことは、まあ、そうなのかもしれません。しかし、多くの人は、崩御の日に皇居前広場にいた人と、同じような気持ちだったのではないだろうか、そう思えてなりません。
小林は、一部の状況を持って、さもそれが、全体であるかのように記述しているように思います。しかし、それは、小林の責任ではなくて、マンガの限界を示しているのでしょう。
マンガしか読んだことのない子供達が、政治や社会に関心を持ったとき、最初に読むのが、政治マンガであることは仕方ないとしても、早めにマンガは卒業して欲しいものです。
2006年09月18日
小林よしのりのマンガは議論の前提となる事実認識がめちゃくちゃなので、評価するに値しないものです。
小林よしのりは、東条は死刑などと言うことだけを日本が受諾したのだと思っているようですが、それはありえないことです。刑事裁判は、国家が個人を死刑にすることに対する正当性の根拠を与えるものです。オウムの麻原(松本)の死刑判決が確定しました。国家は死刑を求刑し、それに対して、裁判所が死刑を認めたわけです。実際に、死刑にするのか、そのまま刑務所に拘置するのか、それは、法務大臣が決めることです。
サンフランシスコ条約は「極東国際軍事裁判所の裁判の受諾」と「刑の執行」の2つが書かれています。「裁判の受諾」は刑の執行の正当性を与えるものです。
小林よしのりは『当事者を拘束するのは主文だけである、判決理由には既判力はない』と書いています。
小林のいう『当事者』が、刑事被告人のことなのか、裁判所のことなのか、小林の書き方では、よく分らないのですが、もし、刑事被告人のことだとすると、刑事被告人を拘束するのは判決ではなくて、刑務所なり刑務官なりの国家権力です。
裁判所を拘束するのは、裁判所法第4条を見れば明らかなように、主文だけではなく、理由を含む判断の全体です。
『裁判所法第4条 上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する』
次に、小林よしのりは『判決理由には既判力はない』とも書いています。主文に既判力があるのは、民事訴訟の話で、刑事裁判には関係のないことです。まとめると次のようになります。
裁判の拘束力:上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する
裁判の既判力:民事訴訟に限って、確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する
簡単に書くと、次のようになります。(簡単すぎですが、誤解をしないように。)
裁判の拘束力:理由を含む判断すべてに拘束力あり(その事件についてのみ)
裁判の既判力:主文のみ既判力を有する(民事訴訟についてのみ)
さて、小林よしのりは、東京裁判を受諾したからと言って、A級戦犯を合祀しても、小泉が参拝しても、一切問題ないと主張したいのでしょう。
日本は大陸系の裁判制度なので、判決は一般に法源とはならず、個々の裁判の独立性が高いので、裁判をした事件以外に対する判決の影響力は元々小さいのです。判決を受諾したからと言って、司法制度上、従わなくてはならないのは、その事件のみです。
では、判決を全く無視してよいのかと言うと、そうでもありません。結局、政治は司法制度で決定されるものではないですから。
もう少し、詳しく説明します。
日本国は、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しました。だから、日本国として、この裁判が違法だとか、無効だとか、そういうことを言える筋合いではありません。東条が死刑になった根拠として、極東国際軍事裁判所の判決理由に従う必要があります。東条を靖国に合祀して良いか否かの問題や、小泉が靖国参拝をしても良いかどうかの問題では、極東国際軍事裁判所の判決理由に従う必要はありません。関係のないことです。もちろん、判決主文も関係ありません。これは、司法のことです。
司法の問題で従わなくてはならないことには、行政は従う必要があります。司法の問題で従わなくてもよいことは、行政は従う必要がないかというと、そうでもありません。一例として、憲法違反の行政執行は不可です。では、法律に違反しなければ、どのような行政を執行しても良いかと言えば、そんなことは無いでしょう。
特別な理由も無く、極東国際軍事裁判所の判決に示された理由に反した行政を行うことは、不可でしょう。しかし、十分な理由があれば、極東国際軍事裁判所の判決に示された理由は、それに反した行政を行うことを、禁止するものではないでしょう。
2006年09月19日
Sapio P74の上段コマについて、小林よしのりのデタラメぶりを指摘しておきます。
まず、小林よしのりのデタラメマンガ
裁判では最終的に「判決」が言い渡され、「判決理由」が付けられる。
ある裁判で言い渡された「判決」を受容したら、「判決理由」まで自動的に認めたことになるのか?冤罪を主張する権利まで奪われるのか?
我が国の民事訴訟法では「確定判決は主文に包含するものに限り既判力を有す」と規定している。
当事者を拘束するのは「主文」だけである。
「判決理由」には既判力はない。
これは文明諸国の法の一般原則である。
●裁判では最終的に「判決」が言い渡され、「判決理由」が付けられる。
判決が言い渡されて判決理由がつけられるのではありません。判決には判決理由が付けられているのです。判決の言い渡しとは理由を含んでいます。
●ある裁判で言い渡された「判決」を受容したら、「判決理由」まで自動的に認めたことになるのか?冤罪を主張する権利まで奪われるのか?
判決を受容できないから、冤罪を主張するものなので、小林は何を書いているのか不明です。
冤罪とは主文が冤罪の場合を言います。理由に不満があっても、主文に不満がないときは、一般に訴えの利益無しということになり、提訴は認められない場合が多いでしょう。
●当事者を拘束するのは「主文」だけである。
裁判所法第4条では裁判を拘束するのは、上級審の裁判所の裁判における判断であることが明示されています。
●これは文明諸国の法の一般原則である
日本の民事訴訟上、判決主文にのみ既判力が認められているのは、民事訴訟法第114条によって定められている為であって、文明諸国の法の一般原則なわけでは有りません。
司法制度には、大陸系と英米系があって、大陸系においては、判例は法源ではないと考えられています。このため、大陸系の司法制度では、他の判決は別の裁判に影響しません。英米系では裁判官による判例が第一次的な法源であると考えられているので、判決理由に相当する部分に、制度的に拘束力が認められています。このように、大陸系と英米系で、建前上、大きな違いが有ります。実際の運用ではそれほど違いは無いそうです。
2006年09月21日
(補足)
これまで、数回に渡って、小林よしのりのSapioのマンガに付いて書きました。小林よしのりのマンガは、絵も汚らしいので、見るのが苦痛で、ほとんど見ていません。一部を見ただけで、その範囲でこれまで書きました。小林よしのりのマンガを見る気は全くしません。
このため、一連のBlogは、これでおしまいにします。買ったSapioはほとんど見ること無しに捨てます。見るべき内容の無い雑誌だと思いました。二度と買う気持ちはありません。
2006年09月21日