千島の日本軍
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『先』は第91師団で、1944年4月、千島第1守備隊を基幹に編成され、第27軍に編入され、北千島の占守島から捨子古丹島の守備を担った。師団長は堤不夾貴。千島唯一の戦闘である占守島の戦いはこの師団。
先 第一二六七五部隊は、第九十一師団 歩兵第74旅団通信隊
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北方派遣 憲 第一二六二五部隊 |
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北方派遣 摧 第一二六四七部隊 |
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宗谷公園に立つ中千島方面守備軍の慰霊碑 | |
北方派遣 勲 第一一九〇四部隊 |
『勲』は第42師団で、編成当初は仙台にあったが、1944年3月、第27軍に編入され、中千島守備を担った。1945年2月に第27軍が廃止となると、第5方面軍の直轄兵団に編入され、稚内で本土決戦に備えたが、戦闘することなく終戦となった。
勲 第一一九〇四部隊は、第42師団 歩兵第130連隊
暁 第6193部隊
『暁』は宇品におかれた陸軍船舶司令部の指揮下にあった全部隊の総称。このうち海上輸送第6大隊 暁第6193部隊は、昭和18年5月、宇品で編成され、昭和19年4月より、主力は根室に駐屯、千島列島に対する海上輸送業務に従事した。占守島でソ連捕虜となりシベリア抑留された者が存在する。
軍事郵便では、この葉書のように『小樽郵便局私書箱第二〇二号 暁第6193部隊』になっているもののほか、『北方派遣 暁第6193部隊』となっているものがある。
高嶺:
ウルップ島守備の独立混成第129旅団の通称は『高嶺』。
昭和20年7月16日、ウルップ島で編成、独立歩兵第807〜809大隊が所属。旅団長、仁保進。8月31日、ソ連軍により武装解除。
攘:
海上機動第四旅団の通称は『攘』。
昭和19年3月5日、エトロフ島で編成完結。昭和20年6月末、戦車第一師団に編合。
轟:
海上機動第三旅団の通称は『轟』。
昭和19年3月幌筵島で編成。昭和20年5月、鹿児島指宿で、改編。