<注意>

 この条約は、オランダ語・中国語・ロシア語・日本語で作成された。本来どの言語も同一内容でなくてはならないが、日本語文のみ誤訳が有ることが知られている(条約文 下線部分)。誤訳であっても条約内容に違いは無いので問題になることは無かった。
 1956年、日本政府は突如として国後・択捉両島がサンフランシスコ条約で放棄した千島列島に含まれないと発言、その根拠に、本条約第二条の『「ウルップ」全島夫より北の方「クリル」諸島』の表現を引用し、クリル・アイランズとはウルップ以北との主張をした。しかし、この条文は、誤訳であり、オランダ語・中国語・ロシア語の条約文とは異なっており、オランダ語・中国語・ロシア語の条約文では、ウルップ以北がクリル・アイランズとの主張は成り立たない。
 誤訳であっても正文なので条約の効力に変わりないとの理由で、日本政府は現在でも、北方領土領有権の根拠に、誤訳条文を使っている。このような主張は日本国内で通用しても、諸外国を説得することは不可能だろう。
 なお、1992年4月、日本政府・駐モスクワ大使館は、誤訳の日本語文をロシア語に翻訳し、あたかもロシア語条文であるかのように条約を捏造し、日本の北方領土要求の正当性を主張するパンフレットを作成、配布した。このような謀略宣伝はロシア国内で激しい批難を浴びた。


        安政元年甲寅一二月廿一日(西暦千八百五十五年第二月七日魯暦第一月廿六日)於下田調印
        安政三年十一月十日(西暦千八百五十六年十二月七日魯暦十一月廿七日)於同所本書交換

日本国と魯西亜国と今より後懇切にして無事ならん事を欲して条約を定めんか為め
 魯西亜ケイヅルは全権アヂュタント、ゼ子ラール、フィース、アドミラール、エフィミユス、プーチャチンを差越し日本大君は重臣筒井肥前守川路左衛門尉に任して左の条々を定む
第一条 今より後両国末永く真実懇にして各其所領に於て互に保護し人命は勿論什物に於ても損害なかるへし
第二条 今より後日本国と魯西亜国との境「ヱトロプ」島と「ウルップ」島との間に在るへし「ヱトロプ」全島は日本に属し「ウルップ」全島夫より北の方「クリル」諸島は魯西亜に属す「カラフト」島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす是まて仕来の通たるへし
第三条 日本政府魯西亜船の為に箱館下田長崎の三港を開く今より後魯西亜船難破の修理を加へ薪水食料欠乏の品を給し石炭ある地に於ては又是を渡し金額銭を以て報ひ若し金額乏き時は品物にて償ふへし魯西亜の船難破にあらされは此港の外決して日本他港に至る事なし尤難破船に付諸費あらは右三港の内にて是を償ふへし
第四条 難破漂民は両国互に扶助を加へ標民は許したる港に送るへし尤滞在中是を待つ事緩優なりと雖国の正法を守るへし
第五条 魯西亜船下田箱館へ渡来の時金銀品物を以て入用の品物を弁する事を許す
第六条 若し止む事を得さる事ある時は魯西亜政府より箱館下田の内一港に官吏を差置へし
第七条 若し評定を待へき事あらは日本政府是を熟考し取計ふへし
第八条 魯西亜人の日本国に在る日本人の魯西亜国に在る是を待つ事緩優にして禁錮する事なし然れ共若し法を犯す者あらは是を取押へ処置するに各其本国の法度を以てすへし
第九条 両国近隣の故を以て日本国にて向後他国へ許す処の諸件は同時に魯西亜人にも差免すへし
右条約
 魯西亜ケイヅルと日本大君と又は別紙に記す如く取極め今より九箇月の後に至りて都合次第下田に於て取換すへし是に因りて両国の全権互に名判致し条約中の事件是を守り双方聊違変ある事なし
 安政元年十二月二十一日(魯暦千八百五十五年第一月廿六日)
       筒井肥前守   花押      
       川路左衛門尉   花押
       ヱフイミユス、プーチャチン   手記


第二条の 『夫より北の方「クリル」諸島』 は誤訳。正しくは『夫より北の他の「クリル」諸島』である。


出典

タイトル:法令全書. 慶応3年
出版社:内閣官報局
出版年月日:明20-45
公開URL:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787948/275


北方領土問題の先頭ページへ   北方領土問題関連資料のページへ