パナマ共和国 ・ サンブラス諸島2泊3日の旅    海外事情に戻る

      2001年5月10日〜5月12日                      HPに戻る

panama1.jpg (39299 バイト)
Porvenir空港

pcame1.jpg (55855 バイト)

Nalunega I'dpanama2.jpg (58574 バイト)

Hotel San Blaspanama3.jpg (57599 バイト)

Hotel の主人と

 

pcame5.jpg (33321 バイト)
テーブル珊瑚

 

pcame8.jpg (45245 バイト)

 

pcame7.jpg (24294 バイト)
サンゴ礁潜水中

 

panama5.jpg (69268 バイト)
一般的住居

 

panama7.jpg (61373 バイト)

 

panama8.jpg (28209 バイト)
モラ製作中の少女
(12歳)

 

洗濯中の主婦

panama12.jpg (58005 バイト)

panama9.jpg (104250 バイト)
モラ展示販売中

panama11.jpg (37432 バイト)
Porvenir空港にて
(同宿人とHotel主人)

5月10日(木)
(1)04:30/Costa de Solホテルをチェックアウトし、Tocumen 国際空港(パナマシティ
     郊外にある)に向かうリムジンバスをロビーで待っていると、東京からのFAX
    「2〜3日休養して帰国したら?」との内容を手渡された。
    5日間のパナマ滞在疲れと早朝起きでボーっとしていた頭が、急回転を始めた。
    本日指定の帰国FLTは延長していないが一回は延長が効くという。パナマでの
    行きたい場所を下調べしていたのがクローズアップされてきて、リムジンバスが
    着くまでの15分間でSAN BLAS 諸島行きを決定した。島向けのFLTは0600時発。
    ホテルの受付に「帰国しないでSAN BLAS 行きに変更した」と言うとツーリストは
    7時でないと開かないよとビックリしていた。空港でチケットだけ買い乗り込むと
    告げてリムジンバスに乗車。バスの運転手もキョトンとしていた。
(2)05:20/国内線空港着(バルボアの近く)。運賃12ドルだが10ドル札と90セントの小銭
    全てを渡し残り100ドル札一枚。あと1ドルと言うので100ドル出したらアキラメた。
    日本円はまだまだあるのに、アトランタ経由・帰国のつもりで手持ちドルを極力
    少なくしていたツケがまわってきた。国内線なので両替銀行なし。
    クレジットカードが使えたので往復$60でチケット購入ー所持金$100。
   (宿は島に着けばどうにかなるだろうと強行/とんぼ返りになるかも、と少しは心配)
   06:00/パナマシティ発。少しパナマ運河に沿って北上、まもなく北東に針路を変えて
       熱帯雨林ジャングル越え(プロペラ機:客は2名のみ)。
(3)06:45/ポルベニール島着陸(途中2ヶ所に寄港)。空港の待合室(ヤシの葉葺き屋根
     で農作業小屋の壁三方がないような建物)の前に5〜6人の男がたむろしており、
     (宿への引き込みと際せられ)安心した。
     近づいてみると、「どこの宿だ、チケットを見せろ」と言うので一寸とアワテた。
     「チケットなし、予約なし」と言うと、引き込み合戦が始まった。
     すかさずHOTEL SAN BLAS 指名。ガイドブックで1泊3食27ドルとあったため。
      他は1泊55ドル。[予算MAX100$のため一番安いホテルに決めるしかない]
(4)07:00/大木をくり抜いた、船外機付きボートでナルネガ島着。部屋に通された後
   0730:朝食。宿泊者は私1人かと問うと、ぺロ島でキャンプ中のアメリカ青年2名を
     午後になって連れてくるので、今晩は私をいれて3名になると言う。
  0900〜1230:ペロ島にてサンゴ礁や、沈没船内の大魚群等に魅せられっぱなし。
     島を2周も回遊・シュノーケリング、テーブルサンゴの陰に番いの大イセエビ。
  1240:帰着(ペロ島にアメリカ人2人がキャンプ泊、同乗しての復航)、シャワー。
  1300:昼食。これで今夜の客は3人になった。
     島内散歩(数十世帯の家で小さな島は埋めつくされており、各世帯が海岸に向け
     仕切りをし、船着場を作っているので海岸沿いは歩けず、小屋群の間をウロウロ)
  1830:夕食。ランゴスタ(特大伊勢エビ)料理で、添え物も美味。
       思わず手づかみで(御飯も)食事をしてしまった。アメリカ人もビックリ。
  2100:就寝。明日はどこで潜らしてくれるか楽しみです。
5月11日(金)
(1)06:00頃/部屋前をアメリカ人2人ドタドタ歩くので目覚めた(暫くうつらうつら)。
         06:40までに空港に送り届けられるのであろう。
  07:10 食堂に行くと1人の白人が到着したばかりであった。少し話をしたところ、
      最初に見たときは現地人労働者かと思ったとビックリしていた。
  07:30 2人で朝食。彼は学校のピアノの先生でロスからの一人旅バカンスという。
(2)09:00/昨日潜った島(Pero 島)より更に15分ばかり遠い所にサンゴ礁のよい所がある
     とのボート船長の話で、そこに向けて出発。アメリカ人も行きたいと言って同乗。
        観光客を案内する場所は決めてあるらしく、連れて行くどの島にも管理人
        1家族が常駐・生活しているようである。
      昨日の場所より変化に富んでいたが、総じて朱色サンゴに乏しい。しかし多くの
      珊瑚に色彩豊富な多種大小の熱帯魚が集まっていて時間を忘れ、約3時間遊泳。
    (アメリカ人は岩で足に軽い擦過傷を受け10分くらいでリタイア、日光浴していた)
(3)12:50/帰着、シャワーを浴びてから昼食。アメリカ人は15:00頃から付近の島巡りを
       するという。私も同乗することにしたが、いつまでたっても起きてこない。
         (昨日の自分と一緒で暑さに体力を消耗してダウン?)
     一人だとツアー料が高く中止。島内を一人でじっくり観察することにした。
     暫くすると他の島に宿泊していたらしい客(白人や南米人らしい)が島巡りで
     次々とボートで上陸してきた。
       どうも彼等も私を見て現地島民と思っている様子である。
  16:00 船着場のコンクリート上で青年が大きな(約60cm)鯛らしい魚を捌いていた。
     暫く包丁捌きを見ていたら「夕食用だ、ランゴスタよりもズート美味だ」と言う。
     夕食まで海辺のハンモックで揺られたり島内の民家を巡ったりで気ままに過ごし、
  18:00までのんびりとした時間が流れる。  
(4)18:30/夕食。先程の魚がムニエル風で出された。
   アメリカ人は下痢になったらしくショボンとした顔でテーブルに就いたが、食ほそく
   先に休むと言いベッドにさっさと急ぐ。(疲れに加え、水あたりでもしたのだろうか)
   San Blas諸島はモラというパッチワークで有名。
   私の手持ち金はビールを飲んだり、煙草を買ったりで残り少し。
   昨日宿の主人に各種の菓子を土産に贈ると宿泊費2泊3日で$50にしてくれたが、
   (パナマでのタクシー代$10を残せば)モラを買うのには$40弱しかない。
   仕方なく着替え用の衣服で物々交換。少しランク下のモラだけど我慢。
        ===パナマシティでも買えると思うが割高になるだろう。===
(5)20:00/学校でBINGO をしていた。漁民の娯楽だと思っていたが子供も参加していた。
      子供用のクジもやっていた。(景品はゴム風船)学校の運営費に回すとのこと。
      「お前も学校のために参加しろ」と言う、「ルールを知らない」と弁解するが
      縷縷方法を説明してくれ閉口した。疲れたし明日朝早いからと言って退散。
       学校は月〜金(午前中のみ/午後は親が漁から帰るので水揚げの手伝い)。
       制服は日本の昔の小・中学校と同じ白のカッター・黒のズボン・スカート。
  22:00 明日早いのでもう休むことにする。(05:00に起しに来てくれるという)
     今年(1月〜今日までの宿泊名簿より)、全470人中で日本人が29名も宿泊していた。
   おかげで精神的・身体的(軽いヤケド気味だが)にも大いにリラックスできた。
5月12日(土)
 04:30、起床。荷物を片付け、顔を洗い砂浜のハンモックに寝そべり日出を待ちながら
    一服していると、ホテル従業員が2日分の潜水用具貸出し賃をまだもらっていない
    と言う。てっきりホテル代に含まれたサービスだと思っていたので主人に確かめた
    ところ、潜水用具の管理は別の人間が1日$12の有料でやっているという。
    もう支払う金はなし。(レーバンのサングラスで)物納をもちかけたが拒否された。
    相手も私が金を払えないのを昨日の物々交換で知っているので諦めかけている様子。
    気の毒になって、朝の食事時間にアメリカ人からドル入手の画策をすることにした。
  06:00、アメリカ人を起こし一緒に朝食をとりながら、USDが必要なのだが少し日本円と
     両替してもらえないかと尋ねたところ、快諾を得てホッとした。
     日本円は1万円札しかなかったので1枚だすと「交換レートは幾らだ」と言うので、
     「$50で用は達するので$50で良い」というと、簡単に交換してくれた。
     潜水具代として$20をお手伝いさんに渡し、釣はいらないというと嬉しそうに
     部屋に引き返し『モラ』を1枚もってきて手渡してくれた。
  06:30、空港のあるPorvenir島に向うためボートに乗り込んでいたら別の家族が3人
     乗り込んできた。アメリカ人も空港に行ってみると言って乗り込んできて出発。
     空港に着き飛行機の到着を待つ間、付近を散策。
     2日前に到着した時の様子が再現されるのを目撃することになり感無量であった。
  06:50、2機の飛行機が次々と到着。降り立つ20名ばかりの客の周りに客引きが集まる。
     その中の日本人と思しき、女性2名は宿を予約してあったようだ。
     もう1名は日本人青年で、客引きの中から良さそうなのを物色している様子。
     私の泊まったホテルの主人が勧誘してくれと私をその場に連れて行く。
     「2晩泊まったけど安くて気楽に過ごせたよ」とアドバイスすると、ガイドにも
     そう書いてあったとその青年は言い、HOTEL SAN BLAS に決めた。主人ニコニコ。
  07:00、離陸。 途中1箇所だけ寄港して托送品などを積み込んでいた。
  07:40、Panama-CityのMarcos Gelabert空港着。
     Inter−Continental Hotelにチェックイン(早朝なので割高勘定となった)。
     早速両替可能な所を探すも、土曜日なので国際空港の銀行のみが営業していると
     分かり、国際空港までタクシーをとばし日本円5万円の$替完了。帰国便も予約。
     ホテルでしばらく休憩し、昼前から約3時間プールサイドで過ごす。
        (塩気を落としながらビール、軽食、泳ぎ/浮かびを繰り返す)
     午睡の後、少し陽が翳ってから周辺の街や海岸を散策。
  20:00、ホテルで遅い夕食、就寝。
5月13日(日) 05:00 起床、Tocumen国際空港へ。 07:40、定刻離陸。
  12:10、予定より約20分早くアトランタ到着。空港近くのDays Innにチェックイン。
      市内観光の要領を聞き出し、全て地下鉄と徒歩でアチコチと散策。
      オリンピック広場、植物園(母の日とのことで、バラが次々と売れていた)
      身なりのスッキリした気取った黒人が多く目に付いた。
       リスが住宅の周囲にたむろする。
5月14日(月) 10:05、定刻アトランタ発。
5月15日(火) 13:05、定刻に成田着。 

 

 

Panama渡航・滞在中の写真集へ