〜渋沢栄一『論語と算盤』より”仁義と富貴A”〜
W.仁義と富貴
4.お金に罪はない
人間はその弱さから、欲がまさって、利益を先にして道義を後にしてしまうものです。それが行きすぎると、お金を万能と考えて、大切な精神を忘れて、物質の奴隷になってしまいます。
まっとうな富は、正しい活動により手に入れるべきという考えに基づいて、お金の弊害に陥ることなく、道義とともにお金の本当の価値を利用していけるよう努力すべきです。
5.義利合一の信念
仁義道徳は仙人のような人がやればよく、実業界の者は無関係でよろしい、という誤った考え方が広がった結果、実業家の精神を利己主義にし、極端になると法の網の目をくぐれるだけくぐってでも金儲けがしたいというようにさせてしまったのです。そのような者に対して、もし社会的法律的制裁がなにもないとしたら、強奪さえしかねないほどの情けない状態に陥っています。このまま行けば貧富の差は益々広がり、社会は一層浅ましくなるでしょう。
世の中が進むに連れて、実業界の生存競争が激しくなるのは自然の結果といえるでしょう。しかし、実業家が私利私欲ばかり図れば、社会は益々不健全になり、嫌悪すべき悪しき考え方が徐々に蔓延するに相違ありません。
一般社会のためにこれを改めようとすれば、仁義道徳によって利益を図る、義利合一の信念を確立するよう勉めるべきです。
6.富める者の義務
富める者は、自分の財産が築けたのは、社会のおかげだと自覚して、弱者救済や公共事業などに対して率先して貢献するようにすれば、社会はますます健全になります。それと同時に、自分の財産もますます堅実になります。
もし、富める者が、社会を無視して、社会から離れて財産を維持できると考えて、公共事業や社会事業を顧みることがなければ、一般市民との衝突が起こるでしょう。人々は金持ちへの恨みを募らせ、結局不利益を招くことになるでしょう。
だから、富める者は、常に社会に対する恩を思い、道義上の義務として、社会に尽くすことを忘れてはなりません。
7.よく集めよく使う
お金は社会の力を表す道具でもあるから、大切にするのは正しいことです。しかし、必要な時に使うことも同様に正しいことです。よく集めて、よく使い、社会を活発にして経済成長を促す、心ある人には心がけてほしいものです。
お金は大切なものにも卑しむべきものにもなりえますが、それは使う人の人格次第です。大切にすることを誤解して、むやみにケチになる人がいます。浪費がいけないのと同様に、ケチもよくありません。でないと、ただの守銭奴に成り下がってしまいます。
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