町の南のはずれ
今回の旅行は、プーリア州へ行くことに決めた。そう伝えると、友人が雑誌の切抜きを貸してくれました。長靴の形をしたイタリア半島のちょうどかかとに位置するプーリア州の特集号。どのページをめくっても、記事も写真も魅力いっぱい。しかし、この全部を周るには何日滞在しなくちゃいけないんだろ?。ということで、自分たちの予定表と地図とをにらめっこした結果、Ostuniオストゥーニには、絶対!!に行くぞ!!ということになりました。この町は、プーリア州の州都であるバーリから日帰りが出来る距離にあります。私たちは既にバーリに滞在することは決めているので、うまく時間が取れるといいな・・。

ちょっとした事情があり、バーリに2泊する予定が3泊することになったので、3日目にオストゥーニへと足を伸ばすことができました。バーリの中央駅で、『Bari−Ostuni ES9351 12:27−13:17』と書いたメモを見せ、「この切符を2枚ください」と言ったところ、「ユーロスターだと、1人16.52ユーロだけど、普通電車なら2人で8.20ユーロだから、そっちにしなさい。ちょうど11:57の電車があるから」と。
その電車は何時にオストゥーニに着くのかを尋ねたところ、到着は13:06とのこと。ということは、20分ほど余計にかかるだけなのか?。それでこの金額の差なら、もちろん普通電車に乗ります!。冷房が効いてないことくらい、どってことないやぁ!。親切な駅員さんでラッキー。

教えてもらった電車に乗りこみ、いよいよオストゥーニに到着です。さて、で、これから?。オストゥーニといえば、丘の上に白亜の町並み。ということは、鉄道の駅からバスか徒歩か・・・。幸運にも駅舎の前にバス停がありました。時刻表を確認すると、駅発13:35−”Sporto通り”着14:00という便があります。Sporto通りが終点になっている1便しかないので、きっとここがオストゥーニの町なんでしょうね。30分ほど駅に立ち尽くし、定刻通りにやってきたバスに乗り込みます。念のため、運転手さんに、オストゥーニに行きますよね?と、確認しておきます。しばらくバスは進み、見えた?あれか!。白亜の城塞がちらりと目に入ったような・・・。

オストゥーニは、標高218mのところにある丘上都市です。丘のてっぺんに城塞を築いたというより、丘全体を城塞にしたといった感じ。そのままバスは町の中に入り、大きな広場でいったん駐車。ここで運転手さんが私たちに向かって、「着いたよ!」と。所要約10分。Sporto通りっていうのはどこ?

私たちが降ろしてもらったのは、大きな教会に面したPiazza Liberta’リベルタ広場というところです。帰りもここで待っていればバスがやってくるのね。場所をしっかりと覚えておかなくっちゃ。さて、真っ白な町並みに向かっていざ出発です。

Piazza Liberta’リベルタ広場

チェントロ・ストーリコ(旧市街)
こっちがチェントロだろう、と検討をつけた方向へ向かって歩き始めます。リベルタ広場を背にして、坂を登っていきます。旧市街というほど古くなさそうに思えるんだけれど、どこまでも続く細い路地。石の階段を登り、ふと後ろを振り返ると真っ青な空に、あぁ、海が見えてる。アドリア海だ。7kmほどあると聞いていましたが、遮るものが何もないので、見晴らしの良い場所に行くと、水平線を見ることが出来ます。

私たちが着いたのは昼間なので、お店はどこもお昼休み中。町全体がお昼寝をしているかのような静けさの中のお散歩です。ほのかにバロックの匂いのする町並み。先に訪れた、マルティーナ・フランカと比べると雲泥の差ですが、この町にも確かにバロックの香りが。しかし、私はここにバロックを見に来たんじゃなかったよな・・・。

しばらく歩いていると、確かに白い家が現れました。想像していたのと少し違うけれども、それでも確かに白い。よし、写真を撮っておこうっと。この時私は大聖堂を目指して歩いていました。寄り道をしながらふらふらと大聖堂につけばいいかな・・・と。このあたりが大聖堂では?というところに教会を発見・・・・いやいや、普通の教会でした。そろそろ、目的地を目指そうかと、公園を歩いていたシニョーラに、ドゥオモの場所を尋ねます。あぁ、カテドラーレね。と、シニョーラは親切に説明をしてくれました。この道をまっすぐ坂を降りると広場があり、その先にある、とのこと。ん?この道順は・・・もしかして。到着してみると、やはり、私たちがバスを降りたあのリベルタ広場。そして、その先にカテドラーレがありました。実は、私、バスを降りたときに、『カテドラーレ』と矢印が書かれた看板を見つけていたのです。でも、別にドゥオモ(大聖堂)があるのかと、探索に出たわけなのでした。
私が持ってきたのは、友人が貸してくれた雑誌を縮小コピーしたもの。そこに載っている3センチほどの大きさ(笑)の町の地図を片手にお散歩をしていたのです。その地図には、漢字で『大聖堂』と書いてあるので、私は、ドゥオモがその辺にあるのかと思い込んでしまったのですね。

そしてその上、私は、この地図の上下を逆に見ていたのです。っていうことは、私たちは、今までかなり熱心に町外れをさまよってたということになるわけだ。まぁ、私に地図を任せた方が悪い、ってことで。私は、ものすごい方向音痴で、しかも思い込みが激しくヒドイため、海外ひとり旅であろうが、地元での買い物であろうがしょっちゅう、こういうことをしているのですが、周りに言わせると、あまりに自信たっぷりと確信を持って歩き始めるので、止めようなどとは露とも思わないのだとか。それはともかくとして、オストゥーニの町外れのお散歩は楽しかったですよ。

迷路の町並み
というわけで、気を取り直し、リベルタ広場から細い路地を下ります。この道は、ヴィア・カテドラーレ。おぉ、チェントロ・ストーリコ(旧市街)の標識もありました。ここ、ここ!。私はここに来たかったの!。

エーゲ海の島を思わせるような、真っ白の家並み。5月の陽射しに反射して目映いほどです。この町は中世の頃から、ヴィザンティン帝国、ノルマン帝国、そしてアラゴン王国と侵略を繰り返されてきたため、防衛の必要から、この目も眩むような白亜の町並み、迷路の町並みになったのだとか。
先ほどより、路地の切れ目からちらちらと見えるているのが、カテドラーレのようです。モザイク張りの小さな円蓋が特徴です。細く白く曲がりくねった路地をあっちへ行ったりこっちへ戻ったり。ふと横道を覗いてみると、あ!すごくいい眺めの路地を見つけた!。目の下に広がるのは、あれ、全部オリーブ。バーリからの車窓も、見渡す限りのオリーブ畑でした。オリーブ畑の先にはアドリア海。

迷路を彷徨っていると感じの良さそうなレストランを見つけました。バーリではなく、ここに宿泊できれば良かったのにな。でも、どうしてもバーリにいなければいけない理由があったので・・・。残念。

少し歩き疲れたので、休憩することにします。カテドラーレのすぐ前にあるバール。でも残念なことに、カテドラーレが見える向きの椅子には全て先客がいました。カテドラーレに背を向けて座るのなら、ここのバールに入る意味はないと、リベルタ広場に戻ることにしました。リベルタ広場の教会が見えるバールで休憩することにしましょう。カテドラーレとリベルタ広場を結ぶ道、ヴィア・カテドラーレ沿いには、かわいらしいお土産物やさんが並んでいます。
カフェを注文し、しばらく休憩、足を休めます。時計を見ると15時半。ヴィア・カテドラーレへ再び向かいます。おっと、その前に、バールのお兄さんに、駅へ帰るバスはこの広場に止まるのか、確認しておこうっと。

ヴィア・カテドラーレでは、お店がちょうど開き始める時間でした。私の母がシンブルを集めているので、初めての町に行くとシンブルを探すのが習慣になっています。ここでも、お土産物やを何軒か物色。手描きのオリーブと、葡萄が描かれたものをひとつずつ購入しました。いかにも、プーリアらしいモチーフに大満足です。

さて、そろそろ、リベルタ広場に戻らなくてはいけない時間です。オストゥーニの駅に着いた時に、帰りのバスの時刻をメモしていました。それによると、Sporto通り16:00−駅16:35。えっと、やって来た時は、確か10分くらいでバスから降りたから・・・。ここに来るのは、16:25ってとこかな?。しかし、この広場には、バス停の標識が見当たりません。いったい、この大きな広場のどこで待てというのか。とにかく、16時には広場に戻り観察を始めます。私たちが乗ってきたバスが去っていった方向を考えると、駅へ向かうバスはあちら側からやってくるはず。んじゃ、この辺で待っとくか。退屈なので、バスが来るであろうと思う方向へ少し歩いてみました。ちょうど町のふちに当たるところです。眺めは抜群、目の前に広がる緑がすべて、オリーブだなんて、本当にスゴイ!。帰りには絶対、オリーブオイルをお土産にしなくっちゃ。広場の隅っこで待っていると、来た!バスだ!。慌てて手を上げて停め、乗り込みます。バスは来た時と逆に丘を下り、窓越しの白亜の町がだんだんと小さくなっていきます。