The Desk Top Music

未来派野郎:坂本龍一

 

自分の中ではあまり評価してなかったアルバムですが、近年(2002年2月現在)の教授の活動を見ると、このころはホントにおもろいことやってるなと、改めて感心しました。そこがポイント。「いやー、よくやってるよね」という感想は、実はかなりポジティヴな評価なんです。

手法的には完全にDTMです。フェアライトのサンプリングがビシバシ鳴っていたり、マリネッティの演説が使われたりと、リリース当時は機材の使い方や未来派コンセプトの持っていき方が話題になってましたが、とにかくDTMでアルバム1枚作ってしまったぞと。このアルバムのすごい所は、そこにあります。

DTMってのは、要するにコンピュータ&電子楽器を使って1人ですべての楽器をコントロールして音楽を作り上げる、という意味です。教授はファーストアルバムからコンピュータを使っているし、それこそYMOなんてシーケンサーと人間プレイの融合がテーマになっていますから、もともとDTMとは非常に近い関係にあった人です。しかし【シーケンスフレーズ=打ち込み】【人間の弾いたやつ=そのまま録音】という形で、コンピュータと人間が分業化されていました。コンピュータも使うけれど、生身の人間がコントロールしている部分はそのまま手付かずで残っていたのです。ここはとても重要なポイントになります。

教授の作品では、このアルバムで初めてコンピュータと人間の境界が曖昧になってきます。1980年代半ばにPC-9801とCome on Musicのシーケンスソフトが登場して、人間がMIDIキーボードを弾いたデータをそのままコンピュータに取り込んでエディットできるようになったんですね。すなわち、人間のプレイをそのままコンピュータで制御することが可能になったのです。同じフレーズを何回もプレイして取り込んで一番良いテイクを選択したり、極端な話では「ノリのよさ」を解析して、コンピュータ上で独自のグルーヴ作り出すことすらできるようになったのです。機械大好きな教授がこのソフトを使わないわけはなく、さっそく自分の演奏をコンピュータに取り込んで好き勝手に改変して録音を始めます。キーボードの演奏はもちろん、サンプラーを使えばドラムやパーカッション、オーケストラの音まで制御が可能になったのです。すべての楽器を自分の思ったとおりに制御する、今では当たり前となったDTMの原点にこのアルバムは立っています。結果として、戦メリサントラやピアノソロを別にすると、他人の手が加わったところが最も少ないアルバムになりました。フェアライトの荒れた音色も、硬直的で一本調子なリズムも、全部教授のお手製です。まだ若かった教授の気負いが感じられるサウンドも今となっては懐かしく、DX-7の清々しい音色も存分に生かされた、凛とした空気感が気持ちよい傑作と言えるでしょう。

また、このアルバムのリリース後に行われたツアーでは、コンピュータを一切使わず人間の演奏だけですべてのサウンドを構築するという、DTMとは正反対のコンセプトを打ち出します。実際の演奏はかなり荒かったのですが、こういったアグレッシヴな姿勢は非常に高く評価できます。このアルバムの曲をコンピュータなしで演奏するなど、本人以外は誰も思いつかなかったことでしょう。あの「黄土高原」のシーケンスフレーズですら、少しだけ改変して人間が手で弾いてしまったのですから。

ところで、教授はこのアルバムで培った方法論が相当気に入ったようです。現在でもすべてのサウンドを統括してコントロールするのがお好きなご様子ですから、DTMという方法論はまさに願ったり適ったりだったはず。当然、生オーケストラですらサンプリングしてから再構築したり、必ずコンピュータを通さないと気に入らないのが本音でしょう。しかし実際には、その願いは「NEO GEO」でビル・ラズウェルの横槍によって早くも崩れ、サウンドトラック物ではベルトルッチに主導権を握られ、と散々踏みにじられてしまうのです。もちろん矢野顕子や大貫妙子作品では言うに及ばず(笑)。
こういうふうに書いてみると、教授って意外に苦労してますよね。というわけで、教授が本当にノビノビ創作できたのはこのアルバムを含めた数枚に限られるのではないでしょうか。

というわけで、いつもならこのあと楽曲やサウンドの分析が入るのですが、当時のサンレコ誌と大差ない内容になりそうなのでやめます。でもいくつか書きたいことが。
当時は過激なことやってるなーとか思ってましたが、いま聴いてみると曲の構成も意外に素直だし、音数も少なくて整理されてるし、教授やるなって感じ。「音楽図鑑」って音数が多いし(特にレコードのA面とか)、曲の展開も冗長だったりして、どこか整理しきれていない印象がありました。その反省もあると思うのですが、このアルバムでは不要な音は一切入れません、みたいな意識が働いたようです。ミックスも、どんどん音を削ぎ落とすマイナス指向がわかります。1つ1つの音は過激だけど、全体としてうるさくないサウンドになっているのはそのためです。
それとこのアルバム、エフェクターもデジタル機材がいろいろ使われてて、サウンドカラーを示す上でかなり特徴的だと思いました。ローランドSRV-2500のノンリニアモードが多用されてるんだけど、サウンドの荒いことといったら気持ちよいくらいザラザラだし(笑)。
あと懺悔なんだけど、"Milan, 1909"でMacinTalkってソフトが英語を喋ってますけど、このアイディアは私も某所で使わせてもらいました。わかってる人にはしっかりバレましたわ(笑)。それから、この文を書くために久々にこのアルバムを聴きつつキーボード弾いたりしてみたんですけど、やっぱり見事に覚えてます。アンタどうして「黄土高原」が弾けちゃうのよ、みたいな。んで、やっぱり"Parolibre"はすごいぞと。「音楽図鑑」の"SelfPortrait"と同じような位置づけの曲で、サウンドがどうこう言うよりこの1曲のためだけに存在してるアルバムかもしれないです。

余談になりますが、山下達郎もDTMでアルバム作ってます(Pocket Music)。当時、達郎氏はインタビューで「コンセプト=DTM(自分がコンピュータに打ち込んで演奏させる)」と語っております。散開直後だったYMOや教授の影響もあったと思いますが、アルバムコンセプトとしてDTMを打ち出した人は達郎氏が最初だと思います。いかにもサウンドを1人でこつこつ作り上げるのが好きそうな人ですが、さすがに先見の明がありますね。また、昔から達郎氏の機械大好き、ドンカマ大好きは有名で、コンピュータも使いたくて仕方なかったようです。しかし当時は満足できる処理能力を持ったマシンがなく、実用レベルになるのを待っていたようです(最初PC-8801で作っていてダメで、PC-9801に乗り換えている)。
なおカシオペアの向谷実がソロアルバム「ミノルランド」でやったこともDTMだと思います。コンピュータじゃなくてYAMAHA QX-1というシーケンサを使っていて、なおかつコンセプトが「一人多重録音&生演奏の再現」という、いかにもヤマハミュージックスクール流のアイディアですが。またシーケンサは単なる演奏データ録音機的な役割だったのがテクニカル面で萎え萎えです。惜しい。
さらにバブル時代にシンクラヴィアを使って、この俺様1人でできるぞコンセプトを超豪華に実践したのがDTMの帝王・小室哲哉の初ソロアルバム"Digitalian is eating Breakfast"です。

2002.03.10

 

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