Secrets of the Beehive:David Sylvian
アレンジの特徴
前述のようにこのアルバムはレコーディングに入る前からほとんど構成が決まっていたので、どの曲も非常にしっかりと構成されている。Fade Outで終わるのは1曲しかなく("Let the Happiness In")、あとはイントロから最後まできっちりと作られている。このあたりに「何がなんでも終わらせる」というSylvianと教授の剛直さが端的にあらわれているわけだ。
演奏は全曲にわたって人間による生演奏を基調としており、同期は一切使われていないようである。また、全体に生楽器が大きくフューチュアされているので、アコースティックな雰囲気が前面に押し出されている。一方では、凝りに凝ったシンセサイザーの音色やテープ切り貼り編集など、Sylvianらしいアヴァンギャルドな手法もしっかりと残っている。また、曲によって楽器構成がいろいろ変わるのが面白い。ドラムとベースがあって、ギター、ボーカルがあって、というような普通のバンド的な考え方からアレンジされらものではないためであろう。1曲に登場する楽器の数や音数はともに少なく、しっかり的をしぼってアレンジされたことがよくわかる。要するに、歌詞とSylvian本人のボーカルがまず最優先であり、この魅力を最大限に引き出すために必要最小限の編成を用いたのである。
コード進行についても言及したいのだが、この人のコードは一言でいうと「混沌」である。メジャー7thとかマイナー7thといったように単純に名付けられないコードが非常に多いし、コード進行には理論もなにも存在しない。実際JAPANの後期などはかなりコード感の希薄な音楽をやっていたのだが、あれでも本人の中では和音つきで鳴っていたらしい(←大いなる謎である)。"Brilliant Trees"のときも、ほとんどコードネームの付けようのない"Red Guitar"という曲があったりした。要するに、理論的なことよりもまず自分が演奏して気持ちよいように和音を並べる、というのが基本になっているのだろう。しかし今回はアレンジに坂本龍一が大きく関与していることもあって、コード進行的には比較的整理されているように思う。相変わらず前後の脈略なくコードが飛びまくる箇所もけっこうあるのだが、Sylvianのボーカルが強力でメロディの息も長いため、しっかりとした横の流れを作り出すことができている。そのため、いくらコードが飛んでもそれほど違和感は感じられないのだった。
各曲解説
−September−
静謐な始まり方である。短くて、あっと言う間に終わってしまうこの曲は、とても美しい。それまでのSylvianの曲は、サウンドの複雑さの中に美しさを見いだすようなものが多かったのだが、この曲を聴くとシンプルさの中にも様々な美しさを表現できることを示しているようにも思える。歌詞も非常に美しくまるで散文詩のようである。
ペンタトニックぽいメロディにC#m7なんてコードが付いていて、いかにも教授っぽい雰囲気で始まるのだが実はSylvian本人がピアノを弾いている。ピアノを弾きながら歌も録音して、最後に教授が弦をかぶせただけであろう。しかし、それだけでここまで充実したサウンドになるのは、やはりSylvianのボーカルに説得力があるからに他ならない。それにしても、とにかく静謐で美しく、この少ない音数で充分Sylvianらしさを満喫できる佳曲である。−The Boy with the Gun−
不穏なタイトルからも推測できると思うが、ここからいきなり歌詞が怖さ・深さを持ち始める。バラの花には必ずトゲがあるように、美しい歌詞の中に一片の魔が入ることで、単なる美からより妖しい魅力を持った魔的な美へと変貌する。それは聴く者を曲の持つ世界に引きずり込んでしまうような、危険な魅力である。以前からSylvianの歌詞は深い意味を持つものが多く感心していたのだが、このアルバムの歌詞を読んでいるとのんきに感心などしていられないほど、美しくも危険な魔があちこちに存在しているのがわかる。実はこのような歌詞の魅力が、このアルバムの大きな特徴になっている。
サウンドはアコースティックギターとベースとボーカルを基調にしており、David Tornのエレクトリックギターや弦などの上モノが様々なオブリガードで切り込むという形を中心にしている。教授のシンセとオルガンは白玉中心だが、コード感は希薄で、サウンドのサポートというよりむしろアンビエント感を演出するのを主目的としているようである。なお弦は1、2コーラス目はほとんど同じアレンジで目立たない存在なのだが、3コーラス目以降は非常に強力なラインを奏でる。
上モノの数が比較的多いため、全体として聴くとなかなか複雑で混沌としたサウンドになっている。歌詞の内容をよく反映していると言えよう。混沌としてはいるが、間奏部分を少なくしてボーカルが牽引車になるように構成したことで、歌詞の内容もストレートに表現されているわけである。
なおこの曲は8分の6拍子である。このアルバムは6拍子系の曲が多いのも特徴の一つなのだが、サウンド的な統一感を持ちつつも全く別の曲になっているのがさすがである。−Maria−
再び散文詩の世界である。しかも始まりがC#m7と1曲目と同じなのだが、受ける印象は全く異なっている。サウンドは非常に魔的なアンビエント感に満ちている。というか、Sylvian流にアンビエントを消化するとこうなるらしい。Prophet-5のPadと機械的にミュートされたピアノで始まるが、他にも意味不明な音がいっぱい入っている。これらはサンプリングではなく、テープコラージュである。弦も不協和音がいっぱいで、さすが坂本龍一という感じである。
−Orpheus−
ディープな曲が続いたので少し明るい曲が来る。この曲も6拍子系で、8分の12拍子としてカウントするのが一般的だろう。まず、イントロの絶品に美しい、Mark Ishamのホーンのハーモニーが聴きモノである。そしてイントロの進行がそのままAメロになるのだが、そこに乗るメロディはかなり異様である。というか、明るいように聞こえるだけで、内容はかなりひねくれているのである。
Aメロを分析すると、事実上A-majorをトニックとして進行するにもかかわらず、フレーズのなかに短三度/長三度(C/C#)が交互に登場している。これによってメロディから感じられる調性が曖昧なものになり、メジャーとマイナーの間を行ったり来たりするような不思議な浮遊感覚が生まれるのである。ここで出る短3度はブルーノートとも違った感覚であるが、やはりこのようなメロディを作る人はかなり珍しいと思う。僕などはこれがたまらなく快感に思えるのだが、人によってはやたらとぐにゃぐにゃした旋律に聞こえるようである。ちなみに僕の母親などはSylvianのこういうメロディを「お経のような音楽」と評して気味悪がっている。なおコード進行的にもFm7などというコードを含んでいるあたりかなり強引ではある。
サビとなるBメロもなんだか調性がわからないが、とりあえずAマイナーがトニックと考えると合点がいく。これはSylvian得意の進行で、それまでのメジャーを突然マイナーとすることで新たな展開のキッカケとするのだ。しかしこのサビも最後はAsus4で終わるので、ここでまたメジャーだかマイナーだかよくわからない状態になってしまう。sus4には3度が入っていない=メジャーorマイナーを決定づける要素が抜けているのだ。このためカタルシスも宙ぶらりん状態で放り出されてしまう。しかし、実はこの宙ぶらりん状態が非常に重要であり、ここで終止感を出さないことが次の曲への橋渡しへとなっているのである。なお、曲の最後を終止形にしないのは教授の得意技でもあるが、この曲では教授かSylvianか、どちらの発案なのか全くわからないほど、しっくりとはまっている。このような点でも二人の相性は良いと思うのだ。
さらに、"The Boy with the Gun"がそうであるように、この曲もメロディの息がとても長い。Aメロの始まりからサビに入るまでほとんど息をつく暇もないほどぎっしりと音符が詰まっている。この充実度はいったい何事だろうか。そして、時折マイナー系になったりするが、とりあえずメジャー系のコードを連発して突っ走ることに驚かされる。ご存じとは思うが、メジャー系コードを使った曲はSylvianでは非常に珍しいのだ。加えて、それに応ずるように歌詞の内容も前向きで清々しさと力強さを感じさせるのだった。
サウンド的には"Maria"と同じようなPadが隠し味的に使われており、これが非常に効果をあげている。しかしなんといっても、サビで入るProphet-5のオブリガードがクセモノである。4度あるいは5度音程でレゾナンスの上がったいかにもシルビアン&サカモトなオブリガードで、実はこのフレーズも次の曲への重要な橋渡しをしているのである。
なお、このアルバムにはRichard Barbieriが参加していないのだが、Sylvianいわく「シンセサイザーは必要なかったので」。あれほどシンセサイザーを駆使していたSylvianがほとんどシンセを使わなかったということがこのアルバムの特徴にもなっているわけで、それゆえシンセが上モノを取るこの曲のサビはひときわ印象的である。−The Devil's Own−
暖かい世界の次はふたたびこうなるのだった。Sylvianと教授ふたりだけの演奏による曲であるが、30歳にもならないような人間がここまで寒々とした世界を作りだしてよいものだろうか。非常に音数が少なく、ミニマル的な教授のピアノに導かれて進行するのであるが、このピアノのフレーズが要注意である。ちょうど"Orpheus"のサビに入っていたProphetのオブリガードと呼応するようなフレーズになっているのだ。これにより全く雰囲気の異なる二曲の間に、アレンジ上の関連性を持たせることができている。このフレーズがない状態で二曲が並んだとしても、ブツ切れ的なイメージしかないと思うのだが、ちょっとした呼応があるだけでこうしたドラマティックなシークエンスが演出できるのである。
あと、サビで切ない木管が入ってくる展開に驚かされる。この木管ももちろん教授アレンジなのだが、80年代の教授はとにかく弦ばかり使っていたので、木管だけでハーモニーを作り出したこの曲には非常に驚いたものである。それにしても、この妖しい歌詞と寂寥感ただようサウンドはすごい。−When Poets Dreamed of Angels−
ドラマティックな歌詞と曲想が素晴らしい。単なるバンドの楽器構成にとらわれないアンサンブルの提示という点において非常にバラエティに富んでいるこのアルバムであるが、この曲はアコースティックギター+ボーカルが基本になっている。そこへ教授アレンジによるアヴァンギャルドな弦がからむのが前半の構成。後半はギターとパーカッションの掛け合いによる長いインストだが、左・中央・右に定位された3本のギターが入り乱れて複雑なラインを構築することからもわかるように、インプロビゼーションではなく、かなり作り込まれたものである。こういったインストは普通にやるとかなりつまらなくなってしまうものだが、さすがSylvianでパーカッションのフレーズやハンドクラップのタイミングなどに強烈なこだわりと侘び寂が感じられ、素晴しい緊張感と大きな盛り上がりを生み出している。
今回、このレヴュウを書くために何度もこのアルバムを聴いているうちにわかったのだが、どうやらこの曲のギターは4本重ねてあるようである。内訳はSylvianが1つ、Phil Palmerが3つである。Sylvianのギターはウタのバックに控えめにコード弾きされているのだが、このコードがなかなか複雑で、例によってまともなトニックなど一度たりとも弾かないのである。なお後半部のギター3重奏はすべてPalmerによるもの。
しかしこの曲で印象的なのはやはり歌詞である。ここまで創作的で激しい歌詞はかつてのSylvianにはなかったものである。ここまで激しい感情を放出したあとには余韻が必要である。余韻を味わうのも快感なのだ。そのためにも後半のインスト部分は効果的な役割を果たしていると思う。−Mother and Child−
ベース+ボーカルだけで始まるため一瞬ドキリとさせられる。"When Poets Dreamed of Angels"の後半において複雑なアンサンブルで緊張感を演出したのは対照的に、今度は最小限の音で緊張感と時空感覚を演出しているわけである。この辺りの曲順の構成のうまさには舌を巻く。
最小限の音で始まっておいて、途中からギターと教授のピアノが加わってスウィンギーなJazzとなる。そして中間部にこのアルバムで一番長いピアノソロが入るのだが、これがもう、完全にフリーなインプロビゼーションで圧巻である。曲としての構成はA-B-Aの展開(Solo)-B-Aという非常に単純なもので、楽器の少なさといい、メロディ要素の少なさといい、よくぞ1曲にまとめあげたものだと感心する。歌詞はまるでキリスト教の宗教画の解説のようなのだが「井戸から汲み上げられる血/秘密の合図は犯罪をあなたの過程へと呼び込む/ひどく罪深い無実の人」などとかなり魔的な一節があり、驚かされる。サウンドとの相性もぴったりである。
−Let the Happiness In−
ビート感の希薄なバラードで、ほとんど教会音楽か賛美歌のようである。素晴らしいのが歌詞で、まるで希望が絶望を乗り越えていくようなイメージである。絶望から逃避することしか考えていなかった人間の歌詞とは思えないほど前向きで、暖かみのある明るさを感じさせる内容になっている。また楽器編成がすごい。ホルン、ミュートトランペット、パーカッション、弦、ボーカルに加えて教授のシンセとオルガンが加わる。
それまでの曲と違うのが和声で、最初はコード感が希薄でF#一発という感じでずっと進行する。展開部は例によってそれまでのメジャーを突然マイナーにして(F#m)始まるのだが、以降Dm→C#m→G6→Fsus4と、理屈のつけようのないほど飛びまくる。ピアノで作曲したために、このようなトライアドで平行移動するような感じになったのだと推測しているが、この部分の飛びまくりようには坂本龍一も驚いたことだろう。しかしこのままだとリスナーがついていけなくなってしまうので、さっさと元の展開に戻っていく。−Waterfront−
最後は教授とSylvian二人だけで作ったバラードである。Aメロは動きが少なく弦アレンジも完全にミニマルである。そのため、サビの切なさが一層強調される。またボーカルが特に素晴らしく、圧倒的な説得力である。この素晴らしいボーカルを知っているからこそ、ボーカルの入っていないSylvianのアルバムが物足りなく思えてしまうのである。
−Promise (the cult of Eurydice)−
日本盤のみのボーナストラック。初期のCDは"Forbidden Colours"が入っていたが、現在はこの曲が入っている。また、この曲だけが教授との共作となっている。
はじめの1コーラスはポロン、ポロンという感じのギターのコード弾きだけをバックに唄いきってしまう。この部分は歌詞とメロディの充実度がすさまじいため、溢れんばかりの情念が感じられる。そのため、音数の少なさとは対照的にサウンドの持つ密度は恐ろしいほど高くなっている。こういったところがSylvianのサウンドの質感に日本的な要素を感じる所以である。そして坂本龍一によるオルガンと弦が加わって、さらに盛り上がると思いきや、あっさり終わってしまう。この潔さもよく、心地よい余韻を残してくれる。
このアルバムと自分の関係
このアルバムはとにかく大好きなのだが、やはり単に好きというだけでは済まされないほど大きな存在である。自分の音楽的な好みや考え方の基本となるような、非常に大きな影響をこのアルバムから受けている。正直言ってJAPANの頃はミーハー的に好きで、サウンドがかっこいいとか当時は思っていた。もちろん今でもJAPANは好きだが、Sylvianの作品で繰り返し聴いているものというとやはりこのアルバムになる。おそらくこれから先もずっと聴き続けると思う。それだけの魅力がこの作品にはあるのだ。
このアルバムに納められた曲は、どれも理屈抜きに美しい。しかし、単に美しいだけでなく、聴く者を虜にしてしまうような危険な魅力もある。歌詞、サウンド、ボーカル、どれもが素晴らしく充実しており、Sylvianの最高傑作であることは言うまでもないのだが、それだけでは10年間という長きにわたって聴き続けることは到底できないのである。よくできたアルバムというのはけっこう多いのだが、そういった魅力まで備えた作品となると非常に限られてくる。僕はいままで1000枚以上のレコードを聴いてきているが、何があっても手元においておきたい作品となるとおそらく両手で足りる数であろう。そしてこの"Secrets of the Beehive"は、そういった絶対に手放せないアルバムの筆頭にあげられるのである。
90年代に入ってからのSylvianはとても寡作で、ソロアルバムに至っては"Secrets of the Beehive"以降全く出していない状態である。なんとも寂しい限りだが、またこのアルバムのような素晴らしい作品を生み出してくれることを期待して本稿を終わりたい。
1998.10.5
"Secrets of the Beehive"以後のSylvianの音楽活動として、1991年に実質的JAPAN再結成アルバム"Rain Tree Crow"、93年にRobert Flipとの共作で"The First Day"を発表したが、それ以後はほとんど沈黙してしまっている。96年頃、坂本龍一と共同プロデュースでNYでソロアルバムのレコーディングをしており、「"Secrets of the Beehive"の再来か!?」と多くの人を期待させたものの、サウンド面での折り合いが付かずにペンディングになってしまった。この件についてはライヴのMCで教授自身が語っていたが、教授もSylvianもお互いの頑固さには呆れたようである(笑)。しかしこのときのトラックを元にしたアルバム制作はなお続行中であり、CDとして99年にリリースされる予定であるという。(←ご存じのように「XX年リリース予定」であっても遅れることは日常茶飯事なので、あまり期待しないように)←追記:このアルバム"Dead bees on a cake"は99年3月にめでたくリリースされました。よかったよかった(^_^)。
現在、David Sylvianはニューヨークに在住しており、結婚もして(!)、二人の女の子の父親になったという(!!!)。教授も大変驚いたようであるが、あの人間嫌いのSylvianがNYに住み、結婚をし、子供をもうけるとは、人間変われば変わるものである。それまで自らの傷を癒すために音楽を作っていたSylvianだが、人間らしい生活と幸福を手に入れてしまったのであるから、そういったネガティヴな感情につき動かされることもなくなってしまったのかもしれない。←追記:その後サンフランシスコに移ったということです。