人間には「心」というものがある。 おそらく、宇宙にある未知のあらゆる生命体の中でもここまで高度に精神を育んだ生物はないのではないだろうか。 その高度な精神メカニズムには、高度であるがゆえに必要となった防衛機能がある。 それの一つが「忘れる」というものだ。 人が突然に悲しい、あるいはツライ出来事に直面したとき、失神という形で心を防衛することがある。 (失神できなかった場合は精神が崩壊することもありうる。) 心の防衛機能はその瞬間だけにとどまらない。 その出来事のあと、時間とともに記憶を薄れさせることで悲しみやつらさを緩和することができるのだ。 そう、時がすべてを忘れさせてくれるハズ・・・。 ***** 僕はスターバックスにいた。 目の前にはダダ星人がいる。 普段口を閉じているときは、顔の大きさ、クチビルの大きさが印象的だ。 だが、しゃべったり、何か食べるときには違った部分でインパクトを与える。 歯グキが出ている。 上の歯グキが常に空気にさらされていると言ってもいい。 たまに前歯が乾いてしまって、上唇がはりついていることもある。 そういうとき口を閉じようとすると、たまに上唇が巻物状態になる。 その度に舌なめずりをして、前歯を潤すのだ。 不思議な人だ・・・。 ダダ星人から誕生日のカードをもらってから数日後に電話があった。 僕は早々に切り上げて受話器を置きたかったのだが、どうやらこの時は並々ならぬ決意を持っていたと思われる。 かつてのように5分おきの伝言で留守電が一杯になるのは避けたい。 そして、その日僕はスターバックスへ赴いたのだった。 ダダ: 「あのね、ひみつ券の中身何か知りたくない?」 以前の電話でも聞いた話だ。 僕: 「う〜ん、・・・まあ、教えてくれるなら。でも教えてくれないんだろ?」 ダダ: 「他の4枚のカードを使わないと教えてあげない〜(笑)」 僕: 「・・・。」 ダダ: 「ひみつ券の中身何か知りたい?」 僕: 「だからさ、教えてくれないんだろ?」 ダダ: 「他の4枚使わないと教えない〜♪」 オマエ一体何が言いたいんだ? 恋愛に関して一つ重要な要素をあげるとすれば、それは優しさとか資産とか見た目とかそういうことではない。 相手のメンタルな部分に対する興味や好奇心だ。 裏表のない実直な人がモテるかといえばそうではない。 多少ミステリアスな部分がある人のほうがモテるケースは多々ある。 だとすれば、この場合ダダ星人が「ひみつ券」の中身に対して興味を持たせようとしていることは理に適っているといえよう。 確かに僕は彼女に興味や好奇心はあったが、それはあくまで生物学かつ生態学的な面に関してであって、残念ながら決してメンタルな部分に関してではなかった。 そして何より、知っちゃいけない、と本能が警鐘を鳴らしていた。 後戻りできない道に足を踏み入れるほどの冒険心は持っていなかった。 僕: 「・・・。そのうち、な」 ダダ: 「いいな〜●くん。こんなイイプレゼントもらって。あたしも誕生日にバラとかもらいたいなあ。年齢の数とか」 僕: 「豚のバラ肉?年齢と同じグラム数?安上がりでいいね、ソレ」 ダダ: 「肉じゃなくてお花!」 僕: 「そのうちイイ彼氏見つかって、贈ってもらえるよ」 この時、言葉の駆け引きが始まっていたことに気付くべきだった。 そして相手ペースの会話に引き込まれる前に話題転換をすべきだった。 ダダは、ニヤ、と笑ったようだった。 しまった! 瞬間的に僕は自分のうかつさを呪った。 相手の戦術は二段構えになっていたのだ。 一つめは贈るという行為。 二つめは欲しがるという行為。 ダダ星人は、このチャンスを待っていたに違いない。 そして、一言一句予想通りのセリフがそこにはあった。 ダダ: 「じゃあ、もし彼氏できなかったら●くんが贈ってくれるよね?」 僕: 「あ、いや・・・。それとこれとは関係のない話で・・・。」 平成 3年11月11日、身長170センチ体重100キロの舞の海は、身長204センチ体重233キロの曙と対戦した。 曙はそのパワーと体格にものを言わせ、圧倒的な強さで押し倒そうとしたが、技のデパートとも言われる舞の海はその攻撃をしのぎきって、曙に土をつけたのだった。 あきらめるな、おれ。 魔術師になりたいんだろ? ダダ: 「●くん。私にバラの花束くれる?」 僕: 「誕生日にバラの花束ってカッコイイよね。わかるよソレ。そう、そうなんだよ。誕生日にバラの花を贈るっていうのは彼氏の義務であると同時に権利でもあるんだ」 僕はひとつ息をついて言葉を発した。 ダダはきょとんとしている。 僕: 「いいよな、彼女の誕生日に花束ってさ。だから僕もほんとに好きになった彼女にしかバラの花束は贈らないって決めてるんだ。もし万が一、仮に、おれとキミが付き合うようになったら贈るよ。初めての誕生日花束は、ちゃんとした彼女に、って決めてるんだ」 矛盾は、していない。 僕: 「ちゃんとした彼氏じゃない人から花束なんて、それはもらうほうだけじゃなくてあげるほうにとってもイイコトじゃないから」 ダダ星人を見ると、困惑した表情で固まっていた。 きっと意味がつかめなかったのかもしれない。 僕自身も後半部分は何言ってるんだかよくわかっていなかった。 ひとつ、確実だったのは、その時やはりダダ星人の上唇が乾いた前歯にはりついていたことだった。 父さん、世の中が広いって本当なんだね。 |