僕と彼女の事情
〜彼女の野望編〜
最近、部屋の片付けをしていたら、昔もらった手紙がでてきた。 当時の、女子高生の彼女からの手紙だった。 それを見つけたとき、ちょっとつらくて、中身を確認するのに5分くらい躊躇してしまった。 そう、付き合い始めたときには、キミはよく手紙をくれたんだ。 いつも、こんな内容だったよね。
どこで道を踏み外してしまったのだろう? 僕はどうして奴隷に成り下がってしまったのだろう? 過去のこととはいえ、その手紙を読んで涙が止まらなかった。 最初のころの純情はどこにいってしまったのか?! このころのキミは、とてもやさしかったのに。 そしてしばらくしてから、手紙すら届かなくなった。 こちらからの一方通行だったのだ。 彼女「返事? ええやん、別に。時間ないねんもん」 数年前にだした手紙の返事は、まだ届かない。 そんな彼女と、将来のはなしをしたことがあった。 もちろん、僕が奴隷化したあとのことである。 彼女「あたしと結婚したらぁ〜、月に一回は海外に連れて行ってね。そんでねそんでね、真っ白くてひろ〜いおうちで、大きい犬を飼うの。お庭のブランコで、紅茶飲みながら、本を読むんだ♪」 僕「・・・北海道にでも行かないとムリそうだね(汗)。んで、おれは?」 彼女「お部屋のお掃除して、朝ごはんとお弁当と晩御飯つくるの。そんで昼間は働いていっぱい稼いでね。夜はあたしの肩と背中マッサージして、あと、お洗濯もするの。 夜は・・・赤ちゃんの世話(笑)?」 僕「・・・・・・」 いつ寝ろというのか。 僕「で、キミはなにするの?」 彼女「ん〜、テレビ観る係(笑)」 そのほかにも、クリスマスのケーキ作り、クリスマスの海外旅行、正月のおせち作り、誕生日の海外旅行とブランド物のプレゼントなど、希望が続く。 もちろん、僕に対しての希望だ。 ひるがえって、彼女が「する」ことといえば、他に、ビデオの予約、旅行の行き先決定(手続きではない)、ごはんのメニュー決定(作るのは僕)ということらしい。 たしかに、明治憲法下、江戸時代にはあった男女同権の価値観は崩され、男尊女卑の習慣が生まれた。 それは自然権的発想、自己実現の可能性、ないしそれらの社会的価値への還元という側面を見る限り改めるべきものであり、積極的に肯定する要素は極めて少ない。 そもそも肉体的能力と人間的価値はまったく次元の違う観念であって、性別という違いを価値の違いとして扱うことにはかなりムリがある。 岸田(中島)俊子が、自由民権運動とともにおこなった男女同権運動の基本概念はおそらくは正当であり、不当な差別概念にとらわれた明治憲法とその文化を変革することは行き詰まった明治大正期を打破する唯一の武器だったのかもしれない。 そして、終戦を迎え、現在の日本国憲法が作成された。 条文のすべては、個人の尊厳と自由主義を実現するように制定された。
彼女「ねぇ、あたしと結婚したい? したいでしょ?ねぇ、したいって言って」 終戦直後、敗戦した日本にはGeneral head Quarter、通称G.H.Q.が駐留した。 日本の占領政策を統括する最高機関であった。 その司令官マッカーサーは、治安維持法の廃止や内務省の解体をためらった東久邇稔彦内閣を圧力によって総辞職に追い込んだ。 その代わりに誕生したのが幣原喜重郎内閣である。 マッカーサーは幣原内閣に婦人の開放や労働者の団体権保証、教育の自由主義化、圧制的制度の廃止、経済の民主化という五項目についての指令を発した。 これを五大改革指令というが、おそらく幣原内閣は、断腸の思いでこれを受け入れたのだろう。 なんせ、断ったら切られるのだ。 ああ、幣原喜重郎さん、あなたの辛さが僕にはよくわかる 僕「・・・。 ハイ、したいです」 日本は結局、戦後50年たってもアメリカに逆らうことはできなくなってしまっている。 幣原内閣以来、ずっと、である。 日本の未来は、これでいいはずはない。 不安である。 |