一般的な話をしよう。 普通つきあうことになった男女は他の人と違う呼び方をすることが多い。 つまり、「自分だけが特に親しい呼び方をする」ことで他者との区別を図っているのである。 もっとわかりやすくいえば呼び捨てやそれに類した名前で呼ぶことによってつきあっているという自分の特別な地位を確保しているということもできる。 また、これは洗脳実験で実際にあったことらしいが、アメリカのとある学校で生徒は発言をする度に先生のフルネームを呼び、固有のあいさつなどを続けた結果、そのクラスの成績は学年でかけ離れて一番だったという。 日本のとある会社ではそれまで必要以上に厳しかった上下関係の序列も、呼び名を役職から「〜さん」に変えたことによって、よりフラットな構造になったという。 呼び名というのは人間相互のその後の関係にも多大な影響を与えるということだ。 そう、あれは当時まだ僕があの彼女とつきあい始めたころのことだった。 僕と彼女は普通に出会い、普通に付き合い始め、普通にデートをした。 しかし普通と違う点が一つだけあった。 彼女は調子に乗った女子高生だったのだ(ちょっと『奥様は魔女』風)。 ***** ここで披露してしまうが、僕の下の名前は『タカヒロ』という。 その日、彼女がウチにきてくつろいでいるときのことだ。 彼女「ねえ、うちタカヒロさんのことなんて呼んだらいい?」 僕「ん?別になんでもいいけど・・・。そのまま『さん』付けでもいいんじゃない?」 彼女「イヤヤ。うち家政婦ちゃうもん」 僕「別に『さん』がついてても家政婦だなんて思ってないって」 彼女「そんなに『さん』付けして欲しいんなら今から名前『ジョナサン』にし。」 おれはカモメか? 僕「別にイヤなら他のでもいいし・・・」 彼女「じゃあねえ、う〜ん、『ポチ』とか『ブチ』とかは(笑)?」 イヌじゃないし。 しかも体に斑点とかもないし。 僕「ペットじゃないんだから・・・。」 彼女「う〜ん、じゃあ名前使おう。『タカ』っていうのは?」 僕「なんかいつも黒いサングラスかけて相棒のユージと一緒にいなくちゃいけないような呼び名だなあ。おれはセクシーか?」 彼女「文句多いわ。いっそ『バカ』にする(笑)?」 僕「バカって・・・(涙)」 彼女「それは冗談として」 僕「女のコは基本的に下の名前呼び捨てでいいけど、男って難しいよね」 彼女「4音節があかんねん。タ・カ・ヒ・ロっていう4音節がッ!! 3音節にしいよ」 僕「しょうがないだろ〜。そういう名前もらったんだから。それにキムタクだって4音節じゃん。タケノウチユタカなんて8音節じゃん」 彼女「キムタクはいいの! それにタケのことは悪く言わないで」 タケ?ヤツはおまえの友達か? 僕「3音節にするったって、どうするんだよ? タカヒ? カヒロ? おれはケニア人か?」 彼女「う〜ん、じゃあ、上の『タカ』使って、『たかじん』とか『たかぎ・ブー』とかにしたら(笑)?」 それってすでに別人だし。 僕「モノマネできないからそれはやめて」 彼女「じゃあモノマネできる人で『タカ』がつく人いないの?」 なんでモノマネできなくちゃいけないかわからない。 僕「え?いないよ・・・」 彼女「なんでいないの〜。いないのっておかしいよ〜」 普通いないだろ。 僕「まあいいよ、好きな名前考えてくれ。この際外で呼ばれて恥ずかしくない呼び名だったらそれでいいから」 彼女「あ、いいのがあった!きいてきいて、えっとね、下の『ヒロ』からとって『ヒロポン』!」 おれは薬物中毒か? 僕「ヒロポンはやめとこうよ・・・。確かに中毒だけどね、おまえに♪」 彼女「文句多いなあ〜。もう『ヤジロー』とか『トメ吉』とかって呼んじゃうからね」 それ、誰? っていうか、きけよおれの話を。 僕「それで呼ばれたっておれが反応できないってば」 ***** その後、僕の呼び名は一応「たーくん」といういいんだか悪いんだかわからないがとりあえず無難なセンに落ち着いた。 それからしばらくたってからのことである。 彼女「ねえ、いい呼び方思いついたんだけど・・・?」 僕「なに?」 彼女「下僕!」 それって呼び名じゃなくて立場じゃ・・・。 彼女を送っていったあと、僕は高倉健主演の古い映画を見た。 その中では女の人は例え自分のダンナでも敬語を使い、気を使い、敬っていた。 ふと外に目をやると、窓ガラスに映った自分が、涙を流しているのが見えた。 景色から見えるこの日本、時代は変わっていくのだろう。 |