なぜ旅行に行くのか




 


僕は旅行が好きだ。

特に海外を自分で歩くのが好きだ。

別に買い物が好きなワケではなく、またガイドブックに載っている有名な観光名所を観るのが好き、ということでもない。

自分の足で知らない土地を歩くと知らない文化に触れることができるから好きなのである。

だから逆にいえば日本国内や先進国、テレビやガイドブックで有名になった場所というのは安易にその雰囲気や行動パターンが想像できてしまうので僕の好奇心を満足するには足りないのだ。

例えばロンドン、ニューヨーク。

地下鉄も走ってるし、警官は街を巡回するから道に迷うこともないし、のどが乾けばすぐそこにコンビニらしき売店がある。

物価も日本と変わらず、朝起きて会社に行き夕方に帰宅してピザでビールを飲む光景は日本でもできることだ。

公衆電話はそこかしこにあり、デパートに行けばソニーや松下の商品が並び、衣服だってほとんどのものが日本で手に入るものばかり。

意外性や独自性がほとんど見当たらないのだ。

そこに住む人々がどういうふうに生活しているのだろうという想像をするのにあまりにもつまらないのだ。

そういう理由で僕は誰も行かないような、少なくとも日本人がまだあまり足を踏み入れていない場所を自分の足で歩き、そこの独自の文化を見て回るのが僕の好きなタイプの旅になる。

例えばモロッコ、トルコ、中国、カンボジア。

行っていない地域でいえば中南米やアフリカ。南太平洋の島々。

物価水準も日本と違うし、先進国に共通した機械的な匂いも感じることがない。

もちろん僕はテクノロジーの進んだ日本という文明酷に住んでいることが幸運だったと思うし、それゆえ海外旅行にも行けるのだが。

むしろそれゆえ旅行に行くときくらい文明の匂いのしないところに行きたいと感じるのかもしれない。

カンボジアでは1ドルで食事ができる。2ドルあれば満腹だ。

人々は日本人からみたら不衛生極まりない食事事情だが彼ら自身にはなんの不満もない。

地下鉄やバスネットワークはなく移動手段はもっぱらバイクかトラックの荷台。

雨の日にはレインコートが必要になるがほとんどの人はそんなもの持っておらず、ずぶ濡れになりながら移動する。

あるいは、ピーピー島には道路がない。移動はすべてボート。

夜になると店が閉まり、ボートは走れなくなるので暗くなったら自室に戻るしかない。

パブやレストランが24時間あるいは深夜まで営業していることはなく、お酒を楽しむ文化はあまり発達していないのだ。

それでも何の不満もなく暮らしている。

そういうものなのだ。

しかしこういう驚くような事実があって初めて逆に自分の生活している日本の生活が浮彫りになったりもする。

逆に日本にあるものは何なのか?

確かに発達した流通ネットワークもあるし、移動手段には事欠かない。

しかしきれいな海や自然の景色は都会にはない。

そういったあたりまえのことをカラダで理解するためには実際に体験してみる以外ないと思うのだ。

だから、僕は旅行に行く。

行って現地の人としゃべってみる。

もっと地球と日本のことを知りたい。






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