父は先月、突然の脳梗塞で死んだ。あっけないものだった。
 
そしてその瞬間に、私がこの会社の社長のイスに座ることになったのだった。
 
この会社は108のグループ子会社を持つグループ企業の持ち株会社である。戦前から続く財閥といえばわかりやすいだろうか。
 
***
 
父は自分の死を予感していたのかもしれない。
 
私自身もそうだが、この血筋の者は勘にすぐれているというか、一種弱い予知能力のようなものがあるらしいのだ。
 
だから重大な決断をしなければいけないときには常により正しい選択が可能だったのだろう。
 
私は父の死に際し、動揺することなく喪主として社葬を行い、社長職の引き継ぎを行い、そしてグループのすべての企業にトップとして迎えられたのだった。
 
それはすべて社長であった父の教育によるものだった。
 
***
 
私の予知能力は夢に現れる。
 
そしてそれに初めて助けられたのは中学校のころだった。
 
あれは偶然ではないと今でも信じている。
 
冬休みのスキー教室が近づくにつれ、奇妙な夢を見るようになったのだ。
 
その夢はほとんど内容はもっていなかった。ただ、強く『ひどく冷たいなにか』に包み込まれるイメージだけが鮮明にカラダに染みこむ夢だった。
 
果たしてそれが何を意味するのかは定かではなかったのだが、私はスキー教室に対して強い嫌悪感を抱くようになった。
 
それは毎夜見る夢に対する嫌悪感と同じものだった。私がスキー教室を休み、家にいたときに受けたニュースは、吹雪による遭難の知らせだった。
 
その中には私の学校の生徒の名前がいくつか見受けられたのだった。
 
***
 
次に予知夢を見たのは、大学のときだった。
 
サークルの友達数人と北海道旅行にいくまえの数週間、私は毎日、一色に染められた空間の中に気持ちよく漂っている夢を見た。
 
音もにおいも物体の感触も時間もなく、ただ『色』と『安心感』だけがあった。
 
そしてその『色』は『抜けるような青空の青色』なのだった。
 
北海道についた僕らはレンタカーを借りてドライブがてらいろいろなところをまわる計画だった。
 
メンバーは9人。クルマは2台必要だった。そして友人が調達してきたのは、その『青色』のクルマとオレンジ色のワゴンだった。我々は分乗し、私はなんとなく『青色』のクルマを選んだ。
 
このときにはまさかもう一台のクルマのブレーキに欠陥があるとは思いもしなかったのだが。
 
道路に横転し、漏れたガソリンに引火したそのクルマは5人の友人らを乗せたまま、炎上した。
 
***
 
最後に夢に助けられたのは、私に委ねられた一プロジェクトの運命であった。
 
バブル崩壊後の不景気の下、そのプロジェクトの失敗はそのままグループの崩壊にもつながりかねない重要なプロジェクトであった。
 
社会人になって数年の私に父が示した仕事は、石油化学プラントの建造だったが、まずその建造場所についてはいくつか候補があった。
 
特に、アラスカのベーリング海沖と、フィリピン沖の二つが最後まで候補として残ってしまった。そのどちらも条件としてはほとんど遜色なくそれ以上の比較が難しかったのである。
 
私の仕事は、その候補地選びで暗礁に乗り上げてしまったのだった。
 
しかし、その問題が顕在化する前後から、私は決まって『強い太陽の日差しに灼かれる』夢を見ていた。
 
ただ、まぶしい太陽の光を受けているだけのイメージだ。音もなく、時間もなく。
 
私はその夢を信じた。
 
そしてプラントはフィリピン沖に建造されたのだった。
 
そのプロジェクトはもうじき完成するが、建造のさなか、フィリピン沖に次々と新たな油田が発見されたのは朗報以外のなにものでもなかった。
 
 
そして私は最近、また夢を見るようになった。
 
これまでの夢は決まってすべて私の人生を左右するような重要な運命のわかれ道において現れてきた。おそらく今回もそうだろう。
 
しかし、いったいどういう運命の選択があるというのか。現在の私は108のグループ企業のトップとして職務についたばかりだ。
 
もしかしたらその、これから始まる重責に対しての警告なのかもしれない。
 
私が最近見る夢は、『重圧』、このひとことに尽きるのだ。
 
私は夢のなか、音もなく時間も止まった世界でただ、その『重圧』に窒息しそうになりながら夢から醒めるのを待っているのであった。
 
私はこの財閥総帥として今後ずっとこの『重圧』を受けるというのだろうか。
 
それほどまでに財閥総帥というのは重い仕事なのだろうか。
 
父もそういう夢を毎日見ながら、机に向かってそういう重圧と毎日戦っていたのだろうか。
 
そしてその『重圧』から逃れるには『死』しかないというのだろうか。
 
***
 
コン、コン。ノックの音が私を現実の世界に引き戻した。
 
「入りたまえ」
 
秘書は、お客さまです、と言った。
 
誰か訊ねるとそれは許嫁(いいなずけ)の九条しおりだった。
 
「そうか、じゃあ部屋に」
 
一年間、ドイツに音楽の勉強をしにいっていたのだが、そういえば今日帰国だったか。
 
親同士が決めた政略結婚ではあったが、目もとの涼しい、和服の似合う日本女性だ。
 
私は一目で気に入り、そして私の28歳の誕生日、つまり来月に結婚の予定である。
 
私は数分後、その夢を誤解していたことを知った。
 
私のまえにいるのは、和服ではなくむしろ『まわし』が似合う質量100貫の肉の塊であった。
 
しおりがブ厚い唇をねっとりとなめたのを見て、私はゾッとした。

今夜、私の上に乗ろうとでもいうのだろうか。
 
これか…。
 
私の脳梗塞はいつ起きるのだろうか。
 
残念ながら先月の人間ドックではまったくの健康体と診断されてしまっていたのだ。






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