鬼ごっこ(前編)



 
_____鬼さん、こちら、手の鳴るほうへ・・・

むかし懐かしい子供の遊び。

私も遠い過去に遊んだ記憶がある。

日曜日の昼下がりの公園。6月ではあるが、梅雨前線が離れているのか今日は快晴で陽射しが強い。

妻と私は5歳になる息子を連れて遊びに来ていた。

仕事三昧で残業続きの毎日だが、やはり家族というのはたまにはこういう時間を取ったほうがいい。

広い芝生があるこの公園は、日曜日には家族連れがレジャーシートを広げてお弁当を食べる姿で賑わうのである。

毎週、とはいえないが私も妻と子供のため、そして自分自身のためにこういう時間を作りたいと思うのだ。

普段はたまに疲れたような顔で家計簿と向き合っていることもある妻も、この公園にいるあいだはずっと微笑みを絶やさずにいる。

家族のだんらん。大事なことなんだとつくづく感じる。

「パパ〜、ママ〜、向こうで一緒に鬼ごっこしてきてもいい?」

少し離れたところで何人かの子供たちが鬼ごっこをしていたのだが、どうやらそれに加わりたいらしい。

先ほどまで人工池で遊んでいたのだが、どうやらそこで友達になったらしい。

子供というのは柔軟性が高いということなのだろうか。

「ああ、気をつけるんだぞ。」

「は〜い」

!!

何だろう? 私は何かとても大事なことを忘れていることに気がついた。

******

「よう、久しぶりだな〜。元気にしてたか?」

7月のある日、私は新宿のレストランで小学校からの友人と会っていた。

テーブルは決まって奥から2番目。

イスの数が5つあるテーブルはここだけなのだ。

大学のときから始まったこの集まりも、もう5年目を数える。

発端は、小学校の同窓会だった。

大学のときに行なった同窓会で私たちは小学校のときに仲がよかったクラスメイトが、中学に入る直前に亡くなったことを知ったのだった。

林くん。

彼は小学校を卒業すると同時に親の転勤で地方へ引越してしまい、地元の中学に進んだ私たちとは縁が切れてしまったのだった。

そのあとも持ち前の活発さを発揮して、引っ越した先でもすぐに友達を作ってるのではないか。

中学に上がった私たちはそう思ったものだった。

しかし、中学校の入学式を目前にして、事故にあって亡くなったのだった。

それを知ったのがその大学のときの同窓会であり、その年の林くんの七回忌を契機に、私たちは年に一回、林くんの命日に集まるようになったのだった。

その日、"最後"にやってきた山本克哉は、"4つめ"のイスに腰を下ろしながらそう言った。

「でも、ひどい話よね・・・」

すでに、私と中島雅子、河野万理の2人はテーブルについてオードブルをつまんでいた。

昨年の食事のときとはまったく異なった空気がこのテーブルにはあった。

そして昨年の食事のときにはいた人物が、今回はイスを空けていた。

私はボーイを呼び、コースを始めてもらうように言った。

今回の食事は4人なのだ。

「警察の話じゃ、金銭目的じゃなくて、怨恨の線で捜査してるらしい」

「やっぱり、普通の人じゃあんなやり方、しないものね」

「でも鈴原くん、それほどまでの怨みを買うようなこと、できる人じゃないのに・・・」

多分、彼は私たち5人の中でも、一番マジメで、そして誠実な人間だったのではないだろうか。

「世の中には、ヤツを逆恨みするような神経の歪んだ人間がいるってことなんだろ・・・。あ〜あ、やだね〜、こういう世知辛い世の中」

「仕事も今一番面白いときだって、このあいだメールで言ってた・・・」

「他人の役に立ちたいって、小学校のときからそういってたもんね・・・」

鈴原は、東大の法学部に入ったあと東京都庁に就職し、私たちの中でも出世頭だと誰もが思っていた。

「ねえ、誰があんなひどいことしたのかしら・・・」

中島が私を向いてきいた。

私は、静かに肩をすくめるだけだった。



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