猟奇殺人事件



「ねぇ、最近寝てないんでしょう? 顔が疲れてるよ?」

真由美が僕の腕のなかでそんなことを言った気がした。

「う…ん? まぁね。僕もまだ新人だから、いろいろと3使いまわされて大変なんだよ。聞き込みとかさ。証拠物件の整理とか」

僕は今年から捜査1課に配属になった刑事だ。自慢じゃないが警察官試験を主席で突破して、念願の警視庁の捜査課に行くことになった。

「あの事件? まだ犯人つかまんないの? 怖いよ〜」

真由美はそういって僕の胸に顔をうずめた。

ここ2週間のあいだに、都内で奇妙な殺人事件が勃発しているのだ。
殺されたのはすべて20歳前後の若い女性。鋭い刃物で心臓をえぐられている。

そして奇妙なのは、彼女らの、親指を除くすべての四指が切り取られていることだった。そしていまだにそれらはまだ発見されていない。

「ハハ…大丈夫だよ」

「ねえ、犯人ってどんなヤツなんだろうね? やっぱり頭おかしいのかな」

こういうケースの猟奇殺人には2種類の犯人像がある。

一つは、いきあたりばったりで殺人を犯す無計画パターン。これは情緒に任せて犯行を犯すので、いずれ大きな証拠を残したり、目撃者が現われることになる。

もう一つは犯人が非常にクレバーで、計画通りに犯行を重ねるパターンだ。今回のケースは後者だという見解が捜査本部の見方だ。これまで7人が殺されているが、いずれも重要な証拠なし、そして目撃証人もなかった。いや、指紋が発見されたが該当なしだったのだ。

「犯人ねえ、もし真由美が捕まえてくれたら、僕は一気に階級特進だよ」

「ふふ、じゃあ、あたし、囮になろっか?」

「おいおい、そういう危険なことはしないでくれよ」

僕は軽く頭をつついてそういった。

「ウソだよん。心配させるようなことはしないって♪」

真由美は微笑んでそう言った、ように思えた。僕のまぶたは相当重くなっていた。

「好きよ」

「僕だって、真由美のこと、愛してるよ」

僕はそういったつもりだったが、眠気には勝てなかったかもしれない。真由美の返事を聞くまえに、眠ってしまったらしい。

***

次の日、真由美を大学まで送っていき、僕は警視庁に出勤した。

これまで数ヶ月のあいだ毎日のように広い玄関をくぐり、階段をのぼるのだが、いまだに緊張感が拭えない。

この建物自体に、正義の戦士の気迫が満ち溢れているような気がするのだ。

「あ、おはようございます。…どうしたんですか?」

なにやら空気があわただしかった。まだ定例会議前にもかかわらず、すでに出勤した刑事が数人、眉をひそめて何かを話し合っているようだった。

「あ、おはよう、〜君。さっきな、科警から連絡があって…」

僕は一回では理解できなかった。

「え? どういうことですか? 犯人が一人じゃないって? だって犯行のしかたから恐らく犯人は同一犯じゃないか、ってそういう…」

いかつい顔をした、ザワさんと呼ばれる年配の刑事が口をはさんだ。

ザワ「いや、そういう可能性がでてきた、というだけの話だ。簡単にいえば、2種類の『右手の親指の指紋』が出てきたってことなんだ」

普通、人間の死体には人間の指紋はつかない。

これは人間の肌が人間の出す脂を分解、分散させてしまうからなのだが、凝固した血液の上には稀に指紋が残る場合がある。

これは不完全に凝固した血液に指紋の形が残るのだ。つまり、犯人はそれくらいの時間、ずっと「死体を見ていた」ことになる。

そして右手の指紋が二つ、ということは犯人も二人、ということになるのだ。

僕「で、その新しく見つかった指紋のほうは該当者あったんですか?」

最新式の指紋検索では、過去20年間に渡って、犯罪暦のある人間の、部分的な指紋でさえも照合してしまう。たとえ中央部分が欠けていても周縁部だけで照合が可能なのだ。

「う…ん、それなんだがな」

歯切れの悪い説明が続く。

聞いていて眉をひそめる度合いが高まるだけだった。

「一年前に身元不明で死んだ人間の指紋???」

推定年齢50代半ば。中肉中背。東京湾から引き上げられた自動車の中から発見。自動車は品川区で盗難されたものと確認。1998年5月、●○区の無縁墓地に埋葬された。

資料はそう語っていた。

僕「でも火葬されたんでしょ? その人? じゃあ指紋そのものがもう存在するはずないじゃないですか?」

ザワ「それがな…、不思議というか、不気味というか。 火葬になる前に一度棺桶が紛失されてるんだ。」

僕「棺桶?」

ザワ「そうだ。火葬場に向かう途中のクルマが消息を絶って、半日後に見つかっている。そしてそのまま棺桶は火葬、灰になっちまった。」

僕「つまり、その半日のあいだに、もしかしたら手が切り取られたのかもしれない?」

ザワ「灰になっちまったものを確認はできないがね」

その日一日、僕に与えられた仕事は、その消息を絶った霊柩車を運転していた人、そして火葬に立ち会った人を捜すことだった。

しかし、去年のことだというのに、一向に運転手さえ見つからなかった。

***

コリコリ。

次の日の朝刊の記事は、非番だったので読んだのは昼近くだった。

コリコリ。

「猟奇殺人再び! 女子大生殺される」
○日未明、○▲駅構内の女子用トイレ内で、女性が殺されているのが掃除人によって発見された。被害者は都内に住む女子学生、田代真由美19)。鋭利な刃物で心臓を刺され、直接の原因は失血によるショック死。両手の四指を切り取られていることから、これまでの連続猟奇殺人と同一犯と見られる。

コリコリ。

僕は、味がしなくなった真由美の『人差し指』を口から出してゴミ箱に投げた。

テーブルの上には、人間の皮膚でできた手袋が置いてあった。


ね、父さん。



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