ガイドブックに載る店

 
僕は美食家ににはほど遠い食生活を送っている。男の一人暮しなんてそんなものかもしれない。まあ雁屋哲さんは、おいしい食事が精神をも豊かにするからたとえ貧乏でもうまいものを食べた方がいいといっているが、おいしいものを口にしようとすればやはりある程度の手間とカネはかかってしまうものだ。もちろんまずいものよりはおいしいものを食べたいのだが、時間的・金銭的制約はついてまわってしまう。

そんな僕の楽しみは、ジャンクフードだ。ジャンクフードといっても、マクドやらバーガーキングといった「味が予想できる食べ物」ではない。チェーン店ではないほうがいい。よく屋台や露天で売っているあのテの食べ物にはかなり強く惹かれてしまうのだ。うさんくさい食べ物ならなおさら心が揺れ動く。だから、クセのあるジャンクフードにあたるとかなりうれしくなってしまう。

先日ロンドンにいったときに入った中華料理屋は大衆レストランといった感じだった。チェーン店ではなく一軒の中華料理屋なのだが、食堂というほど小さくもなく、4階建ての建物のすべてがテーブルになっていた。結構もうかっているのだろう。基本的にこういったレストランは値段も高く、またジャンクフード好きな僕の管轄ではない。たいていの場合道端で売ってるハンバーガーやホットドックで食欲を満たすのが僕のポリシーでもある。しかし、この中華料理屋には僕の好奇心をくすぐるものがあった。

地球の歩き方、あるいはその他のロンドン観光ガイドブックにもほとんどこの店の記述が見つかる。しかしそれは誉め言葉だけではなかったのだ。

「早くてうまくて安い。でも店員の愛想は悪い。」

日本人向けのガイドブックのほぼすべてのこの記述が見つかるだろう。僕はこの最後の“店員の愛想のわるさ”という点に心を揺さぶられてしまった。「いったいどのくらい愛想が悪いんだろう」という、ただそれだけの好奇心のために、僕らはそのウォンキーに入ったのだった。

まず、客を押しのけながら料理を運ぶ。どうやら、通路の通行権は、歩いている客より、働いている店員の方に優先権があるらしい。入ってみてすぐになんかうれしくなってしまった。どうやらあの記述に間違いはなさそうだ。テーブルについて、メニューが渡される。これは無言だ。いらっしゃいませ、の一言もない。そういえば、テーブルにつく際も、「How many?」と人数を聞かれただけだ。日本語に直したら、「何人?」という無作法なたずね方である。間違っても「お客さまは何名様でいらっしゃいますか?」というていねいな聞き方ではない。うれしくなるじゃないか。そして、メニューを持ってきてから一分もしないうちに注文を聞きに来た。客の事情は知ったことじゃない、ということか。とても一分では決めきれず、10秒ほどもたもたしているうちに、あわただしく店員はどっか行ってしまった。彼がもう一度注文を聞きに来たのは、それから5分くらいたった後のことだった。

たしかに料理は早かった。注文を言ってから、5分もしないうちに出てきたのではないだろうか。そして味も上々だった。難点を言えば、骨がついたままだったことくらいだが、それもまたいい味を出していて、値段に比べれば大した問題じゃなかった。物価の高いロンドンで、ラーメンと半チャーハンを合わせて800円で食べることができたのは、幸運なことである。

そして食べ終わってからまた、店員の躾のわるさが露呈した。なんで箸を置くや否や皿下げんねん。もうちょっと落ちつけよ。そして精算表を持ってきたので、チップ込みで支払いを済ませたにも関わらず、「Thank You」の一言もなしに、お金を持っていった。おまえら、客に対する感謝の気持ちはまったくないのか。

このしつけの悪さが確信犯なら、君らの勝ちだ。だって、それで客足を稼いでいるようなところもあるのだろうし。あれほどまでに愛想の悪さが有名なら、ほとんど確信犯のような気もする。僕はあの、愛想の悪さが気に入ってしまった。おそらくロンドンに行ったときにはまた行ってしまうだろう。あの愛想の悪さを確認しに。
 



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