絵葉書



その奇妙な絵葉書が私宛てに届くようになったのは、考えてみたらかなり昔に遡る。

記憶に残っているのは、高校のころだ。普通に学校から帰ってくると、テーブルの上には、差し出し人不明の絵葉書が置いてあったのだった。

どうやらどこかの観光地らしかったが、地名の書いてない、めずらしい絵葉書だった。私はそれを誰かのいたずら、もしくは差し出し人が名前を書き忘れたのだろうと思って、気にも留めなかった。

一年後、私は東京の大学に運良く合格し、一人暮しを始めることになり、住みなれた志摩を離れて、神奈川に移ることになった。東京へは修学旅行で行ったことがあるが、横浜は初めてだった。

私はそこで奇妙な感覚に囚われることになる。大学にいってできた彼女とのデートで、海が見える丘公園に行ったときだった。そこは初めて訪れる場所だったのだが、一度見た覚えがあった。それがその絵葉書だったのである。

***

次に差し出し人不明の絵葉書が届いたのは、大学3年のときだった。青い海と白い砂浜だけがキレイに描かれた、イラストの絵葉書だった。エアメールだった。

差し出し人の名前こそ忘れられたのかもしれなかったが、この絵葉書には私の宛て名以外にも書かれていたことがあった。5つの数字だった。

私は、東京の大学を卒業するときに、友人から卒業旅行に誘われた。詳しく言えば、予定以外の卒業旅行である。

私はあまり裕福ではなかったので、卒業旅行は自ずと国内に限られた。そして同じように一人暮しをして、アルバイトで暮らしていた友人らとともに、北海道へ4泊のスキーへいくことを企画したのだった。それが精一杯だったし、それで充分だったのだ。

だから、他の友達が海外に旅行に行かないか、と誘ってきてくれても、断っていた。しかし、彼らのグループのうちのひとりが旅行直前に交通事故に遭って、行けなくなってしまったのだった。

もちろん一人分をキャンセルすればよいはずだったが、彼らは「4名様特別セット」なるものを利用していたために、人数を減らすことができなかったのだった。

私は、彼らが少しずつ援助してくれるという申し出を受けて、その旅行に急遽参加することになった。行き先は、モナコだった。

モナコは地中海に面したフランスの一都市である。その旅行の滞在先は、期間中ずっと海に面した小さなペンションだった。家庭的なサービスを売りにしたペンションだった。

そこに滞在した次の日あたりに、私は、少し驚くことに気がついた。

「あの、玄関に飾ってあるあの絵は、誰が書いたのですか?」

ペンションの管理をしているおじさんはていねいに答えてくれた。

「ああ、あれは前、ここに住んでいた人が描いたものだよ」

「有名な画家だったのですか?」

「いや、趣味みたいなものらしい」

私は、核心をついた質問をした。

絵葉書とかにはなってないですか?」

おじさんは、あ、それならそこに売ってるよ、ここにしか置いてないけどね、と受け付けのデスクを指差した。そこには何種類かの絵葉書に混じって、その絵葉書が置かれていた。

その晩、私たちは、モナコのカジノで少しだけ賭け事をすることにした。もちろん私は彼らほどに裕福ではなかったので、見物を決め込むだけだった。

しかし帰り際、仲間の一人が一回だけでもやってみれば、というので、負けるのを覚悟で、ゲームに参加した。

そのときの勝ち手が、3、3、6、6、9、のツーペアだった。私は、カードを引き、数字を見た瞬間に、背筋が寒くなったのを今でも覚えている。

***

それから数年して、私の手許に届いたのは、「結婚おめでとう」とイラストされたカードだった。

天使が可愛らしく描かれていた。相変わらず差し出し人は不明だったが、当時、私はまだ独身だった。

私は、不思議な感覚に捕らわれたが、だからといってどうすることもできなかった。私は、机にしまい、忘れることにした。

とにかく私は独身であるし、結婚の予定もなかったのだ。消印は読めないし、しかし、別段悪口が書かれているわけでもなかったのだ。

私は、入社して4年後に、今の妻と結婚した。妻とは会社の課が同じだったことが縁で、1年ほどつきあい、そして結婚した。妻は、結婚したら会社を辞めて、主婦に専念する、と言って、結婚の申し出を受けてくれた。

結婚の準備は結構大変だった。しかも当時私は会社のプロジェクトのチーフをしていた関係で、結婚式の準備はもっぱら寿退職した妻に任せっきりだった。

結婚間近に控えたある日、私が帰宅すると、妻は、プリントゴッコを使って何かをせっせと作っていた。

「あ、おかえりなさい。」

「ただいま。何やってるの?」

妻は、まだつくりかけなんだけど、と言って、結婚案内状を見せてくれた。可愛らしい天使のイラストをベースにした手作りのカードだった。

瞬時に、私の記憶が呼び出され、その紛れもない一致に全身から熱が逃げていく。

言葉なく固まる私を不審に思った妻が、どうしたの、と聞く。妻は、私に届く絵葉書のことは知らないのだ。

「あ、いや、…それは、誰か有名な人のデザインを真似したワケじゃないよな」

「ぶ〜、このエンジェルちゃんはあたしのだよ」

偶然の一致なのだろうか。

***

私に届いた差し出し人不明の絵葉書は、まだあと2枚ある。

結婚のお知らせをしたカードの次に届いたのはまた景色の絵葉書だった。写っていたのは、古い日本家屋のような建物で、鬱蒼とした林に囲まれていた。

そのときもメッセージが付けられていた。「この度は畏れ多いことでございます」とだけ書かれていた。ワープロではなく、手書きだった。懐かしい感じがするのは気のせいだったのだろうか。そのときはまだ何もわからなかった。

そのハガキが届いてから一週間ほどした後に、私の父と母が、ダンプに轢かれて死んだ。ダンプの運転手による居眠り運転が原因で、対向車線を走っていた父のクルマに衝突したのであった。

私は喪主として、葬式を行わなくてはいけなかった。私が喪主として最後の役目を果たしに、霊園を訪れたところ、私の目に入ったのは、見たことのある、しかし初めて見るはずの寺だった。

***

最近、一番あたらしい絵葉書が私のところに届いた。相変わらず、差し出し人の名前はない。

しかし、今回の絵葉書がほかのと違っていたのは、メッセージが書かれていなかっただけではない。景色すら描かれていないものだったのである。ただの一色しかなかったのだった。

今、私は、二つのことを理解した。ひとつは、宛て名の筆跡を懐かしいと思ったその理由である。あの字は、どこか私の字に似ていたのだった。そしてもう一つ…。

どこかで遠い声がする。

「おい、救急車はまだ来ないのかよっ!」

そんなに怒鳴らなくてもいい。私はもう多分助からないだろう。私の視界にはアスファルトに広がっている赤い血しか見えなかった。それは最後の絵葉書の表と同じ色だった。

これだったんだな…


 
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