ゴールデン・ウィークにベトナムのホーチミンへ旅行に行った時のこと。
その時僕は途方に暮れていた。
そこは片側2車線の交通量の多い川沿いの通りだったのだが、横断歩道はあっても信号がなかった。
ホーチミン市内の主要道路でも信号が置かれているのは半分程度なのだ。
スクーター、クルマ、トラックが次々と疾走してくる。
横断歩道の端で波が途切れるのをしばらく待っていたが、彼方の様子を窺う限りではこの往来の流れが途切れる様子はなかった。
かつて、ドイモイ政策が黎明期だった頃はまだよかったのかもしれない。
しかし2005年以降の世界的なクレジットバブルでリスクマネーが一気に新興国に流入し、また金融危機後も経済成長が安泰な新興国が安全地帯となってマネーを呼び込んでいる。
その結果がコレだ。交通量が急増し、信号のない横断歩道は渡れなくなってしまったのだ。
往来の流れは止まらない。
これでは有給休暇が終わるまで待っても渡りきれない可能性がある。
あるいはもしかするとこのままこのホーチミンの横断歩道の端で餓死してしまうかもしれない。
人は死ぬ直前に走馬灯のように人生を振り返るという。
-----あれは高校生の冬のことだった。
「サザンの年越しライブ、一緒に行きたいな」
そう言われて喜んで貯金を下ろして2万円を渡したけど、2週間後に振られた。
-----あれは大学生の、やはり冬のことだった。
塾のバイトが同じだった女子大のコに、
「・・・ねえ、クリスマスの日って空いてる?」
と聞かれて、ドキドキしながら、え?うん、空いてるけど? と答えたら
「バイト代わって!」
と頭を下げられた。
-----あれは社会人になった1年目の、これまた冬のことだった。
彼女が出来て、2週間後。
当時の上司に呼ばれてニューヨーク行きが告げられた。
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ダメだ、ロクな人生ではない。
ふと見ると、横断歩道を渡っている現地人がいた。
それほどバイクやクルマに気を掛けているわけではなく、悠々と歩いて渡りきった。
どうやら、バイク・クルマのほうが彼をよけているのだった。
なるほど、武道でいうところの『死中に活を見出す』ということなのだろうか。
仕方がない、こんな場所で『日本人旅行客、横断歩道で餓死』という意味不明なニュースで有名になるのは避けたい。意を決して渡ることにしよう。
さらにおよそ20分後、流れがほんの少し緩やかになったところで道の半ばまで歩いた。片側2車線なので、到達したのはたったクルマの幅1台分だけだ。
それでも数台のバイクが横をすり抜けていった。
すれ違いざまに、『危ねーな、死にたいのかクソガキ』という罵声が聞こえた気もするが、やはり気のせいだろう。
トラックが抜けたところで一気に道路の中央まで走る。そして今度は反対車線からの流れに注意する。
見ると、100台以上のバイクの集団に続いてクルマの集団、トラックの集団が道路の幅一杯に広がって、クラクションを鳴らしながらこちらに向かって疾走していた。
映画、『マッドマックス2』のクライマックスでこのシーンを見たことがある。
ここで踏み出したら、さすがに轢かれるだろうな。人生には我慢することも必要だ。
軽く30分ほど道路の中央で平べったくなっていたが、ようやく往来の波が緩くなってきた気がした。気がしただけかもしれない。
灼熱の太陽と、この理不尽な状況で少し頭がおかしくなってきた可能性もある。
ともあれ、道路の半分まで一気に渡り、そして残りも渡りきった。その時バイクのどこかが膝あたりを掠めていったらしく、後でみると痣になっていた。
たった4車線分の幅を渡りきっただけなのだが、なんだか無性に『やりきった感』で一杯だった。
今夜は飲めない酒でも飲んで自分に祝杯をあげるとしよう。
僕は満足気に、渡りきった横断歩道を振り返った。
その時は、『帰りにここを通らないとホテルまで戻れない』ということは考えていなかった。