その日、僕は木屋町に一人で飲みに来ていた。 月明かりがキレイな土曜の夜のことだ。 高瀬川という細いせせらぎだけが、この虚飾の男女の物語のなかで唯一の真実なのかもしれない。 木屋町の土曜の夜には、数多の虚構の愛が生まれては消えていく。 それはあたかも水面に浮かんでは消える月の影のように。 *** いつものBARで僕が口をつけていたのはジン・ライムだった。 冷やしたジンにちょっと多めのライムをしぼったのが僕は好きだ。 お酒自体はそんなに得意なほうではないのだが、こういう場所でいつもいる常連客やバーテンと楽しく会話しながら飲むお酒はそんなに悪くない。 ちょっと暗めの照明の下でジャズを聞きながら、談笑しながら、ちびちびとジンを口に含む。 時間を忘れ、ついつい飲みすぎてしまうものだ。 確か、4杯目のジン・ライムをおかわりしたときだったか。 いつもの僕なら完全に眠くなる量だったが、どういうわけかその日はまだまだいけそうな感じだったのだ。 もう日付も変わって数時間たつ。 それなのにこんな時間に来るなんて、めずらしい。 ドアが開いて入ってきたのは、白いジャケットが印象的な20歳くらいの女の子だった。 バイト帰りなのだろうか? そうでなければ普通、女の子が一人でこんな時間にBARに飲みに来る、なんてことはほとんどない。 一つイスを空けて、彼女は僕の隣のカウンターに座った。 カウンターの中のマスターも気軽に話し掛けようとはしないところをみると、そう常連というわけではなさそうだった。 僕「キミ、一人で来たの?」 大きな居酒屋ならまだしも、こんなカウンターが6席しかないような小さなBARでは、とりあえず話し掛けるのが礼儀のようなものだ。 多分そのとき僕はかなり酔っていたのだと思う。なぜならジンを4杯も飲んでいたのだから。 普段からお酒を飲む習慣もないしそもそもお酒に弱い僕にすれば、ありえないことだったのだろう。 僕はそのあと2時間くらいかけて一生懸命そのコを口説いていたらしい。 お酒を飲むと歯の浮くようなセリフも恥ずかしげもなく言えるから不思議だ。 僕「キミ、なんでそんなにキレイなのに彼氏とかいないの? 肌ツルツルだね。 あ、なんかこの角度だと中山美穂に似てるね。 酒井法子かな? ところで今日のその服とっても似合ってるね、どこでそろえたの? まるでアイドルみたいだよ」 まわりの客がひいていたのも無理のない話であった。 僕はどうやらその晩、二日後一緒にドライブに行く約束をしたらしい。 酔った頭でもそういうことはなんとなく記憶できるもので、彼女の名前と電話番号、そして待ち合わせの場所と時間の書かれた小さな紙が財布に入っていた。 二日後。 前日、つまり飲んだ次の日、僕は彼女に電話をして服装を聞いていた。 黒のセーターにジーンズ。 四条大宮の駅前の交番前に夕方4時。 もう胸はドキドキしていた。 これで僕にも彼女できるかな、と思っていたのだ。 そしたらお弁当作ってもらって、遊園地でデートしたいな。 クリスマスにはケーキ作ってもらって、僕がカクテル作るんだ。 そのあとは、ウフフフエヘヘヘヘ・・・ などという妄想を抱きつつ、クルマは四条大宮へと向かった。 あれ? ここらへんなんだけどな?・・・ 1993年10月28日、日本がサッカーW杯アジア最終予選で、勝てば米国での本選に進めるという対イラク戦。 日本はロスタイムに同点に追いつかれ出場権を失った。 イラクのコーナーキックがただ漫然とゴールに吸い込まれていくその瞬間はむしろスローモーションのようだった。 それを見ていた誰もが、まさか、ありえないよ、と自分の視覚が伝えるものを信じなかっただろう。 東京大学の心理学の権威、立花政夫教授ならこう分析するはずだ。 すなわち、過度の期待や思い込みが自己の中に確立されていた場合、それと反する事実を突きつけられても、一般状態の場合に比べて著しく認識能力が欠落するのである。 もっと簡単にいえば、期待に反する事実は、脳みそが受け入れを拒否するのだ。 四条大宮の駅前、交番前にクルマは到着した。 僕は、視界の隅に、黒いセーター、ジーンズ姿の若い市原悦子を見たような気がしたが、それは人違いのはずだ。 そして右足はブレーキを踏めず、交番前ではフルアクセルを踏み込んだ。 僕はその日、そのまま一人で嵐山にドライブに行った。 そう、待ち合わせ場所には似たような人はいたのだが、どうやら僕はすっぽかされたらしいのだ。 だから仕方なく一人でドライブ。 そう理解しておきたい。 若かりしころの苦い思い出だ。 お酒を飲む場所での女のコは違って見えるんだよね。 その日以来、酔った自分は信用していない。 高瀬川に映る月のカタチがはかなく壊れてしまうように、酔った男のハートも壊れやすいものなのかもしれない。 っていうか、かなりひどいヤツじゃん(笑)。 |