小学生のルール



 


小学校の教育というのは、その人間の人生に大きな影響を与える時期だと言っても過言ではない。

人格形成のほぼ終了した大学生、社会人とは違って小学校〜高校はその過程の途中であり、例えば社会性・感性・倫理観といった人格の根本を成す要素を獲得している時期なのである。

この時期、特に人格形成の第一段階ともいえる小学校の教育においてはその点を充分に理解しておかなければならない。

ここで一つ、僕が小学校の時の体験談を紹介したい。

*****

A君はどちらかというと控えめでおとなしい性格の男の子だった。

授業中にたまに指名されると小さな声で返答したりするくらいで、クラスの中心とはとてもいえないようなタイプ。

イジメられていたわけでもなく、つまり注目を浴びることもなかった。

そんな彼がある日、トイレでウンコをした。

小学校の中のルールはある意味で異常だ。

まさに、社会性・感性・倫理観の形成が途中であるために、普通の大人が考えられない価値観を持って生きている。

学校のトイレでウンコしたら、一週間はウンコマンと呼ばれる。

クラスや廊下、あるいはグラウンドといった公共の場でもなく、授業中でもなく、単に休み時間にトイレで用を足すだけでウンコマンとは!!

A君は、今から思うにどうやら軽く食中毒にでもかかっていたのかもしれなかった。

1時間目と2時間目、2時間目と3時間目、休み時間のたびにトイレで大をしていた。

B君はまさにジャイアンであった。

無法者といっても過言ではない。

B君は、A君が一回目のトイレに行った時から、

父ちゃん、獲物を見つけたよ!!

と嬉々としてA君を『ウンコマン』と呼んでいた。

A君はうつむくだけだった。

そして事件は、4時間目が終わった昼休みに起こった。

トイレの個室にこもったA君に、いたずらを始めたのである。

トイレの個室とはいえ、仕切り板の上と下には隙間があって、モノを放り込むことができるのである。

B君らは最初、教室にあった水鉄砲でその隙間を狙って攻撃していた。

しかし水鉄砲の一射撃で飛ぶ水の量など知れている。

小学生というのはコワイ。

自分のしていることの意味を理解することなく、雰囲気に飲まれて事態がエスカレートしていくことがあるのだ。

B君は、笑顔でバケツを持ってきた。

せぇ〜のッ!

という声とともに、バケツに入った水は仕切り板の上を越えて、下半身を丸出しにしているはずのA君に直撃した。

このときA君は間違いなく『これが夢でありますように』と思っていたはずだが、哀しいことにこれは現実であった。

悪夢はまだ続いていた。

小学校の頃というのは、『帰りの会』の中で『今日の反省』というコーナーがある。

日直が決められたセリフに従って、その日の悪者に正義の鉄槌を下すのである。

その日もまた、日直が決められたセリフを繰り返していた。

日直: 「それでは今日の反省がある人は手をあげてください」

B君: 「ハイッ!!A君が今日学校でウンコしていました。4回も。汚いのでやめて欲しいと思います」

死者にムチ打つという言葉があるが、B君のそれはまさに『自分が殺した被害者にムチ打つ』言葉であった。

人間として大間違いだろう。

日直も多少釈然としないまま、決められたセリフを続ける。

日直: 「A君、なぜそんなことをしたのですか?反対意見はありますか?」



A君はそのとき捨てられた仔猫のように怯えていた。



A君が何も言わないのを見ると、

日直: 「B君に謝ってください」

A君: 「・・・もうしません。ごめんなさい」

A君は次の日、学校を休んでいた。

自殺しなかったのが不幸中の幸いというものだろう。

.
.
.
.
.
.
.

その後日のこと。

校舎裏、プールの陰でウンコをしているB君が発見された。

恥ずかしかったから、という理由を泣きながら訴えたという。

その日の帰りの会では誰もB君のことについては触れなかった。

さすがに子供ながらタブーだと思ったのだろう。

しかしやはりB君のいないところでの彼のアダ名は、『ウンコマン・キング』に決定していた。






教訓「神様はやはり見ている」





英国居酒屋
お遊びページ
僕が出会った奇妙な人々