大学の先輩・その2






ある日のこと。

卒業を控えたアオキさんが僕を呼んだ。

もう引っ越すし、要らなくなった教科書が何冊かあるし、あげるよ。

あ、それなら今度取りに行かせてもらいます。

そういえば、アオキさんと遊んだことはあっても、部屋に上がったことってこのとき限りだった。

アオキさんのマンションは大学をはさんで僕のマンションと反対の方角にあった。

「こんにちは。あれ? 引越しの準備ですか?」

アオキ「あ、ごくろうさん。」

部屋の中はダンボールと荷詰め待ちの荷物で散らかっていた。

今週中には、ここを引き払って実家に戻り、そして東京への引越しを開始するらしい。

アオキ「そこの本棚に教科書とか入ってるし、必要なものだけもっていってよ。ついでに残りの本を縛り上げてくれるとうれしい」

「はい、わかりました。ありがとうございます。」

そこには、勉強したあとがよくわかるような状態の本がたくさんならんでいた。

本は読めば読むほど手垢がつくものだし、赤線、ポストイットで汚くなっていくものなのだ。それが勉強量を示すといってもいい。

『日本の産業政策』、お、これは欲しい。『経済政策論』、これも要るかな。『現代法社会学入門』、う〜ん、要らない気がする。

・・・。

本棚の中に並ぶ3分の1ほどを分別したあと、ん?と思うものを発見した。

僕に教科書をくれるにあたって、この本棚の中身は一応確認したのだろう。

それでも見落としがあったということなのだろうか。

僕とアオキさんはゼミで東南アジアの経済政策について熱い議論を交わした仲であって、木屋町のバーでですら、知的なトークがその大半を占めていた。

多分僕とアオキさんの関係ではこういった本をあいだにはさんでの会話は一度もしたことがない。

だから多分、ここは黙って知らない振りをしておくのが一番のはずなのだ。

先輩、『放課後クラブ』(セーラー服主体のグラビア雑誌)、発見してしまいました。

しかし僕は立ち止まらざるを得なかった。

さっきのアオキさんのセリフが頭をよぎったのだ。

「残りは捨てるし、ヒモで縛っておいて」

『放課後クラブ』はA4版ほどの大きさなのだが、ほとんどの教科書はB5なのだ。つまり、一緒に縛ったらはみ出る

「僕が発見してしまったこと」がバレてしまうことになる。

こいつは気まずい。

しかし本棚はキレイに空にしなくてはいけないのだ。

都合良く隠せるものといえば、僕が持ってきたボストンバックのみだった。

しかたない。こいつももらっていくしかないのか。

・・・。

「アオキさん、終わりました。ここに縛ったものはちょっと管轄外なんで置いていきますけど、じゃあ、これだけもらっていきますね」

そんなことを言いながら僕はその部屋を立ち去ったのだが、まともに目を合わせることはできなかった。

部屋にもどったあと、もうひとつ、ん? と思うことがあった。

僕は1年間のアオキさんとの会話を思い出していた。1年間だけだったけど、いい先輩に会えた、と思って一緒に飲みにも行ったし、素敵な彼女がいていいなあ、と思ったこともしばしばだった。

一流銀行に内定が決まったのもすごいと思うし、なによりその理論と知識に裏付けられた議論の転展開の仕方は驚くべきものだった。

とてもスマートな大学生像を体現していた椎名桔平。

多分、この先僕はアオキさんと飲みにいったり遊びにいったりすることはないのかもしれないけど、それでも僕の学生生活に強い影響を与えた先輩として、覚えておくつもりです。

ありがとうございました。

東京に行ってもお元気で。

『放課後クラブ』、使用済みパンティープレゼントの応募券がキレイに切り取られていたことは誰にも言いません。

教訓「人間は多面体である」


 
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